昨日の分、「雪明かりの夜」妻サイドのお話です。
そちらを先に読んでいただいた方が良いかもです。
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〈凍てつく鏡〉
従姉の雪が嫁ぐ日、私は小学校に上がったばかりだった。
二十歳そこそこの雪姉ちゃんは、隣町でも評判の資産家の家に嫁入りすることになった。
母は「良縁」と喜んでいたが、私には大人の会話の端々に漂う微妙な空気が分かった。
嫁入りの日、母に連れられて雪姉ちゃんの家を訪ねた。
大人達が支度に忙しく動き回る中、私は雪姉ちゃんの姿を探す。
花嫁衣裳に身を包んだ雪姉ちゃんが、大きな鏡の前に座っていた。白無垢姿の雪姉ちゃんは、まるで雪そのもののように透き通って見えた。
「……冬ちゃん、来てくれたの」
こっそり見ていた私に気づいて振り返った雪姉ちゃんの目には、涙が浮かんでいた。慌てて拭う仕草に、私は「おめでとう」の一言も言えなかった。
迎えの俥(くるま)に乗る雪姉ちゃんの瞳は凍りついたように動かなかった。
それから数年後、雪の降る日に雪姉ちゃんがいなくなったと母から聞いた。
「どこかへ行ってしまったらしい」という曖昧な言葉だけが、私に伝えられた。
大人になってから、母の愚痴で真実を知る。
雪姉ちゃんは相当年上の資産家に見初められ、結納金として家の借金を肩代わりしてもらったこと。
嫁ぎ先で姑にいびられ、使用人のように扱われていたこと。
実の母──私の母の姉が危篤の時も、帰ることを許されなかったこと。結局、雪姉ちゃんは母の死に目に会えなかった。
「あの子は可哀想だった」
「逃げたなら、その先で幸せに暮らしていればいいけど」
母はそう言って、二度と雪姉ちゃんの話をしなくなった。
私は就職で上京し、同郷の男性と結婚した。
夫は昔話なぞしない人なのに、あの雪の夜はふいに話し始めた。
「昔、故郷で雪女のような女性を見たことがある」
夫が語ったのは、真冬の夜、橋のたもとで出会った美しい女性の話だった。
雪のように白い肌、血のように赤い唇。橋のたもとで川の向こうを見つめていたという。
「まるで、この世のものとは思えない美しさだった。
あの人は本当に雪女だったのかもしれない」
六十年以上も前の一瞬の出来事を、夫は鮮明に覚えていた。
胸の奥に、冷たい思いが広がった。一瞬、それが嫉妬だと気づいて、自分でも驚いた。
でも、すぐに思い直す。
──雪姉ちゃんの嫁ぎ先の隣町は、夫の実家の近くだった。時期も一致する。
夫が見たのは、もしかして──
六十年も前の記憶の中で、雪姉ちゃんは永遠に美しいままでいる。白無垢姿で鏡の前にいたあの日のまま、凍りついた時の中に留まっている。
夫の記憶の中でも、雪姉ちゃんは雪女のように美しく、儚く、神秘的な存在として生き続けている。それは、きっと悪いことではない。
窓の外では、今夜も音もなく雪が降っている。
「……雪の夜は、連れていかれやすいのよ」
私は夫にそう言って、窓辺に立った。
いつの間にか雪は止み、雲の切れ間から満月が顔を覗かせていた。
凍てついた鏡のように光を湛えた月。
その光の中に、白無垢姿の雪姉ちゃんがいた気がした。もう泣いてはいない。ただ静かに、遠くを見つめている。
雪姉ちゃん、どこかで幸せになれましたか──
問いかけに答えるように、また雪が降り始めた。音もなく、景色の境目を消しながら。
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……ホラーで終わらなくて良かった( ;∀;)
というわけで100作品達成。ヤッター!
読み返しづらいので、古いお話から外部に移植する予定です。
12/28/2025, 1:09:08 AM