旅に出る、ことにした。行き先も、目的も、特に無い。ふわふわと無意味に生きてきた僕の、ふわふわとした無意味な旅だ。
手提げのトランクケースに、必要最低限の荷物を詰め込む。お金を全て下ろしきって、分厚いそれをトランクの底にしまい込んだ。どれだけの期間出るかも分からない。ひたすらに、何か居場所が欲しくて、まだこの刺激的な世界を揺蕩っていたかった。
最寄り駅からでは味気ないので、少し歩くことにした。大きめのトランクは、町中ではそれなりに目立つ。旅立つには随分な軽装だが、僕はもうそんなことどうだってよかった。
最寄り駅から二駅歩いて、そこから電車に乗り込む。降り
たのは、名前もよく知らない、よく分からない山中の無人駅だった。周りには特に何があるでもなく、小さな集落がぽつりぽつりと点在している。それらを繋ぐ細い道を辿れば、ちょっとした大通りに出た。
大通りを伝って山を下ると、少し栄えた町が広がっていた。もう日も沈みかけていたので、何か宿でも無いかと歩き回ってみる。宿なんかなくたって、正直よかった。野宿だって、僕は別に厭わない。
結局、古びたホテルを見つけてそこに泊まった。よほど客が珍しいと見え、チェックインの手続きも久々なのか、店員側が不慣れだった。
清潔で管理の行き届いた客室は、しかしやはり埃っぽい淀んだ空気をしていた。窓を開け放てば、都会には無い、鳥の声と澄んだ静かな空気がふわりと流れ込んでくる。
ようやく息を吐けた気がして、上着もそのままにベッドに倒れ込んだ。これからどこに行こうか、どうやって移動しようか。何も決まらない。
多分、死んでもよかった。だから、山中で野宿するのだって別に厭う必要はなかった。あの灰色の都会で忙殺されて、没個性のまま消えたくなかった。
この田舎町の空気を吸って、騒がしい鳥の声を聞いて、僕は少しだけ、ほんのりと淡く色付いたようだ。透明だった僕に、薄っすらとした輪郭が生まれた気がする。
心のままに動くこの旅は、もう少しだけ続きそうだ。電話の鳴り止まない携帯は、嫌になって電源を切った。僕は、もう少しの間だけ、心のままに、穏やかに、海月のようにこの世界にゆったり流されていたかった。
テーマ:心の旅路
12/29/2025, 7:31:58 AM