〈光の回廊〉
テレビでは冬のイルミネーション特集が流れていた。きらびやかな光の粒が、都心のビル街を彩っている。
「わあ、綺麗」
隣で妻が声を上げた。
娘も「今年は例年より規模が大きいらしいよ」とスマホの画面を見せてくる。二十代後半になった娘は、相変わらずこういうイベントが好きだ。
「素敵ねえ」
妻が言うが、俺にはそれほど魅力的には思えない。
確かに綺麗だとは思うが、わざわざ人混みの中を歩いてまで見に行きたいとは思わない。ソファに座ったまま、俺は生返事をした。
「昔行ったときとは大分様変わりしたわよねぇ」
妻が懐かしそうに言う。そういえば、娘がまだ小学生の頃、江ノ島や宮ヶ瀬ダムに家族で見に行ったことがあった。あの頃は豆電球で光がまばらなところもあったが、今はLEDの普及でかなり華やかな演出になっている。
「俺は酉の市を思い出すな」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
「酉の市?」
娘が不思議そうな顔をする。そうか、娘には話したことがなかったか。
──
子供の頃、うちは小さな食料品店を営んでいて、両親は朝から晩まで働いていた。
年に一度、必ず家族で出かける日があった。十一月、都心の大きな神社で開かれる酉の市だ。
あの日だけは、父が早々に店を閉めた。普段は無口で気難しい父が、その日だけは終始笑顔だった。
繁華街で、普段は食べられないような御馳走を注文する。
ハンバーグステーキ、頭のついているエビフライ。フォークとナイフを使った料理は、子供心に特別な日なのだと感じた。
そして駅の地下街で、父は必ず俺におもちゃを買ってくれた。
食事の後は、露店が並ぶ参道を歩く。
提灯の明かりが、ずっと先まで続いていた。あの光に満ちた参道が、俺にとっての冬の風物詩だった。
最後に、熊手屋へ向かう。父が新しい熊手を選び、店主と値段の交渉をする。
商談成立の後、威勢のいい手締めが響く。その音を聞きながら、俺は父の隣で誇らしげな気持ちになった。
──
「へえ、そんなことがあったんだ」
娘が興味深そうに言う。
「おじいちゃん、そういう時は楽しそうだったの?」
「ああ。あの時の父さんは、本当に嬉しそうだった」
そういえば、いつから行かなくなったのだろう。
──
思い返せば、俺が中学生になった頃だったか。近隣に大きなスーパーができた。
駅前の一等地に、二階建ての巨大な店舗。品揃えも価格も、うちのような小さな店では太刀打ちできなかった。
店の売上は、目に見えて減っていった。周りの商店も、次々と閉店していった。顔なじみの店主たちが、一人、また一人と消えていった。
それでも父は店を続けた。母に店を任せ、近くの市場で働く。俺が大学を卒業するまで、歯を食いしばって続けた。
いつのまにか酉の市には行かなくなっていた。
俺が就職した頃、ついに店じまいをした。
奥の棚に埃をかぶった熊手が置いてあるのを見た。あれが最後に買った熊手だったのだろう。
父にとって、あの光の回廊は景気が良かった頃の象徴だったのだろうか。自分が商売で成功していた証だったのだろうか。
それとも、家族で過ごせる余裕があった時代の記憶だったのだろうか。
今となっては、もう父に聞くこともできない。
──
「ねえパパ」
娘の声で、俺は現実に引き戻された。
「今年の酉の市はもう終わっちゃったけど、みんなでイルミネーション見に行こうよ。
どこかで美味しいもの食べて。おごるからさ」
娘が提案する。
妻も「それいいわね」と乗り気だ。
「金曜の夜、仕事帰りにどこか待ち合わせしようよ」
「丸の内がいいかしら」
「六本木も綺麗だって聞いたよ」
二人がスマホを覗き込みながら、あれこれと相談し始める。
どこが一番綺麗か、何時に待ち合わせるか、どの店で食事をするか。楽しそうに話す二人の声が、リビングに響く。
俺はその光景を眺めながら、ふと思った。
あの頃の俺も、こんな風に母と父が相談するのを見ていたのだろうか。酉の市の日程を確認し、どの店で食事をするか決めていた両親の姿を。
「パパ、六本木と丸の内、どっちがいい?」
娘が顔を上げて聞いてくる。
「お前たちに任せるよ」
俺はそう答えた。二人はまた相談を始める。
テレビでは、まだイルミネーションの映像が流れている。いつもと変わらない、冬の夜だ。
でも、今年の冬はいつもと少し違う気がした。
光の回廊は、形を変えて続いていく。父から俺へ。そして俺から娘へ。
「……楽しみだな」
その繋がりを感じながら、俺はソファに深く座り直し呟いた。
──────
夜のお出かけって何であんなに楽しいんでしょうね?
うちはいつのまにか父だけ行くようになりました。
遠い遠い、昔の話です。
12/23/2025, 6:20:06 AM