『時を結ぶリボン』
結婚して3年目。
相変わらず、彼女にとって師走という時期は忙しなかった。
毎年改定されるカードゲームのレギュレーションのように、我が家ではイベントごとにサプライズという解釈が明瞭化されていく。
そして今回、ついにサプライズという行為自体が禁止された。
改悪もいいところであるが、推しへのプレゼント贈呈のイベントそのものが消滅する可能性をチラつかせてきたため、不本意ではあるが了承する。
リビングでマットを広げてストレッチをする彼女に、俺は声をかけた。
「『今年のクリスマスプレゼントは自宅で手渡しをする予定です。俺はあなたに、なにを贈ったら喜んでくれますか?』」
挙げ句の果てには、5W1Hを明確化したフレームワークまで導入されてしまった。
全くもって面白くない。
ストレッチの手を止めないまま、彼女は横目で俺を捉えた。
「すっごいイヤそう」
「ええ。とても不本意です」
「黙ってると調子に乗るからじゃん。だからきちんと口を出すようにしてるの」
「それは大変ありがたい限りなんですけど」
年々俺に対してワガママになっていく彼女は最高だ。
しかし、最近はそのワガママの方向性がおかしい。
どこかでお育ての舵取りを間違えてしまったのか、特に彼女の誕生日、クリスマス、バレンタインデーのイベントでは、警戒心が高くなっていた。
「勝手に黙って家を建てようとしたこと、忘れてないから」
「違います。計画しようとしただけです。予備罪にもいたってないと思います」
「予備罪とか言葉が出る時点でダメだからな?」
「ワハハ」
ぐうの音も出ない彼女の正論には、雑に笑ってごまかした。
「……ったく。結婚して『俺の金』も『私の金』になったんでしょ? 変な理屈こねて変なもの用意するのやめてよね」
マイホームのどこが「変なもの」なのか。
小一時間かけて問い詰めたいくらいだ。
ドリームしか詰まってないはずだろう。
計画を練ろうとした段階でバレたのは想定外だったが、彼女のための家なのに俺基準で推しのための最強の家を建てるのも違ったから、そこはおとなしく引き下がった。
断じて「俺の金は彼女の金」という素晴らしいキャッチコピーに感銘を受けたわけではない。
「髪の毛、結んで」
「は?」
彼女の言葉を噛みしめていると、耳を疑いたくなる要望をされた。
ついに金すらも使わせてもらえなくなってしまった……?
いや、それよりも、だ。
「俺、不器用です」
「知ってる」
「だから、明日から早起きして練習して」
「!?」
一度、彼女がリビングを出たと思えばすぐにヘアセットアイテムを抱えて戻ってくる。
ブラシや鏡をはじめ、ヘアゴム、ヘアピン、……今年、彼女の誕生日に贈ったハンカチをローテーブルの上に、彼女は静かに並べていった。
「ちゃんとハンカチも結べるようにしてね?」
「正気ですか?」
結婚してから、彼女の小さなポニーテールに俺が贈ったハンカチが加わる。
今ではすっかり彼女のトレードマークになっていた。
「やり方なら教えるよ?」
「それは大前提でしょう」
合法的に彼女の髪の毛に触れることを許されることはありがたいが、要求がデカすぎる。
彼女が着飾るための舞台裏を見てきているとはいえ、実際に同じようにやれるかと言ったら否だ。
サラサラで細い彼女の髪の毛を結うことなど、できる気がしない。
「なんなら今から自主練につき合うけど?」
自主っ!?
え!?
これ、ガチのヤツかっ!?
イラズラっぽく口元を緩める彼女に、俺はただただ狼狽えたのだった。
*
冗談ではすまされなかったポニーテール講習を終え、早朝から叩き起こされた俺は震えた指先で実技試験に臨んでいた。
彼女が手を下せば5分もかからないシンプルな髪型である。
だが、柔らかな髪の毛はトゥルントゥルン手から滑り落ちるから、仕上がりにずいぶんと時間がかかってしまった。
「できましたよ」
「ありがと」
リビングで、彼女は出来上がったポニーテールを何度も鏡で確認する。
「んー……」
今日から数日間、彼女はホテルに宿泊する。
大切な試合があるにもかかわらず、彼女は宣言どおり、俺に髪を結ばせた。
1週間程度では俺の努力は実らず、頼りないポニーテールと歪なリボンができあがる。
「崩れそう」
「……返す言葉もありません……」
リップサービスのカケラもない彼女の素直すぎる感想に、俺は項垂れることしかできなかった。
「んふふっ」
それなのに、彼女は歪んだポニーテールを満足そうな表情で見つめている。
「せめてハンカチは、あなたがやったほうがよかったんじゃないです?」
「いいの。大丈夫」
愛おしそうに、彼女はリボンになったハンカチの先端に触れる。
交際期間含めて、彼女とのつき合いも長くなった。
だからこそわかる。
来年も同じことを頼まれるだろうと、確信した。
「来年はもう少しきれいに結べるように尽力します」
鏡を片づけたあと、すぐに玄関に向かう彼女を見送るついでに宣言すれば、まろやかな声で笑った。
「そんな大げさに捉えなくても」
「気持ちの問題ですから」
気合の入ったメイクを崩さないように、耳の後ろにキスをする。
「体調には気をつけて」
「ん。ありがと」
スニーカーを履くだけで、いつもより不安定にポニーテールが揺れる。
「いってきますっ」
ハンカチが髪の毛から滑り落ちないか気が気でない俺の心情を、彼女はいつものきらめいた笑顔で吹き飛ばした。
12/21/2025, 6:25:22 AM