汀月透子

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〈降り積もる想い〉

 雪が降ると、私は必ず母を思い出す。
 窓の外で静かに舞い落ちる雪を見ていると、三十八年の人生で積み重ねてきた母との記憶が、まるで雪のように一片ずつ心に降りてくる。

 母は苦労した人だった。
 父は真面目だけれど無口な人で、母の辛さを理解しようとしなかった。姑は厳しく、母は嫁としての完璧さを求められ続けた。
 そんな愚痴を、母は私にだけ話した。
 夜、私が宿題をしている横で、母は延々と語り続けた。どれほど辛いか、どれほど苦しいか、誰も自分を理解してくれないと。

「あんたは長女だから、わかってくれるわよね」

 母のその言葉が、いつも私の肩に重くのしかかった。六つ年下の妹、八つ下の弟には決して見せない、母の暗い顔。
 なぜ私だけがこの重荷を背負わなければならないのか。子供心に、そう思い続けた。

 二十歳の冬、私は家を出た。就職を機に、実家から遠く離れた街へ。
 その日も雪が降っていた。玄関先で、母は私の腕を掴んで叫んだ。

「私を見捨てるの?!」

 その顔は、雪のように白かった。怒りなのか悲しみなのか、それとも絶望なのか。
 今でもあの表情の意味がわからない。

 結婚して娘を産んだ。初孫だった。
 でも、母は娘を可愛がろうとはしなかった。抱っこを促しても「腰が痛いから」と断り、誕生日には電話一本で済ませた。
 比べるのはよくないとわかっていても、夫の母が娘に手編みのセーターやおもちゃを送ってくれるたび、私の中で母に対する期待が失われた。

 夫の転勤で、実家との距離はさらに遠くなった。年に一度帰るかどうか。
 私は、ほっとしていた。母の重さから、ようやく解放されたような気がしていた。

 そして去年の冬、母は倒れた。脳出血だった。
 病院に駆けつけた時には、もう意識はなかった。
 三日後、母は静かに息を引き取った。

 葬儀の前夜、遺影を選びながら妹がぽつりと言う。

「お母さんね、お姉ちゃんに謝りたいってずっと言ってたよ」

 妹は涙を拭いながら続けた。

「昔のアルバムを見返して、お姉ちゃんが子供の頃の写真が少ないことに気づいたんだって。それで泣いていた」

 確かに、小学校の入学式などイベントは写真が一応残っているが、弟妹たちに比べると圧倒的に少ない。

「私たちが生まれた後自分の体調が悪すぎて、いっぱいいっぱいだったからって。
 本当はもっと抱きしめてあげたかった、もっと笑顔を見せてあげたかったって」

 私は何も言えなかった。母が姑からプレッシャーを受けていたのを知っていたからだ。
 自分が男の子に生まれなかったから、母が責められる。出来が悪いと母のせいにされる。
 自然と、手がかからず聞き分けがいい子供を演じていた。

「いい子ね」
──母の、その一言が聞きたかったのだ。

 葬儀の当日も雪が降っていた。あの日と同じように、静かに、静かに。

 謝りたかった。そう母は言っていたのだという。
 でも私は、母が謝る姿を見ることはできなかった。母もまた、私が「いいよ」と赦す声を聞くことはできなかった。

 涙が出ない。悲しいのに、苦しいのに、胸が張り裂けそうなのに、涙だけが出てこない。

 もう母と喧嘩することもできない。言い合うこともできない。
 ただ想いだけが、雪のように降り積もっていく。母の想い、私の想い、すれ違ったままの想い。

 窓の外では、雪が降り続けている。

 いつか泣ける日が来るのだろうか。いつかこの凍りついた心が溶けて、涙となって流れる日が来るのだろうか。

 今日もただ、降り積もる雪を見つめることしかできない。

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もういない人にあーだこーだ言ったところでどうにもならない、わかっちゃいますけどね。

12/22/2025, 4:10:54 AM