ああ……この男にこうして、闇の世界を照らす黒い『太陽のような』微笑みを向けられたのは、これで二度目だ。
あの日彼と初めて会ったときも、そしていまも。
この微笑みの前では、どんな隠し事だって明らかにされてしまいそうで──それでも、わたくしはそれに耐え、踏ん張らなくてはならない。
この、前世に読んでいた小説の世界で、わたくしが無事、生き抜くために。
そもそも、いまわたくしの目の前にいる、すべての魔の者を統べる王──彼の姿を知る者はこれまで、誰一人としていなかったのだ。
数多の魔の物たちは、見えないながらも感じられる、彼の膨大な魔力や覇道力に心酔し、彼に服従を誓う、その姿が見えなくとも──と。
子供の頃からの伝承にも、歴史の授業でも、そう聞いていたはず、なのに。
なんだってこんな、人間の姿でわたくしの前に現れたのか──サラサラストレートの黒髪ロングで細マッチョの体がフツーに上級貴族の服なんか着こなしちゃってて、それは前回の夜会でわたくしが、うっかり彼の正体を見破ってしまったときとおんなじで、本当になんでなのか全然わかんないし。
それに加えて、まるで当たり前のように当家の入り口に馬車を乗り付けて、今夜の夜会へ向かうべく出てきた私へと、タイミングよく手を差し伸べちゃってるのは……本当に本当に、なぜなんでしょうね???
「エスコートをするお約束でしたので」
口にしていないはずのわたくしの問いに、彼はその微笑みを崩さずに答えた。
「お約束をした覚えが、わたくしにはないのですが」
「先に私の真の名を呼んだのは、貴女だというのに」
「っ、それ、は……」
彼の姿を目にしたとたん、前世で読んだ小説の記憶が何故かいきなりひらめいて、頭に浮かんできた名前をそのまま、つぶやいてしまったから、なんですけどね?
でも人には聞こえないくらいの声だったし、すぐにその場を離れたのにっ。あーそっか、魔王サマだもんね、きっと地獄耳なんだ……いや、そんな納得してる場合じゃない! 全力で誤魔化さないと!
「いえそんな、名を呼んだ、など……そんな記憶もわたくしにはありませんし」
「フフッ。その名を知る貴女なら、逃げられないことくらい、お分かりなのではないですか?」
あー、はい。マジこれ、詰んだ。
そうだよねー。正体バレたら、殺すよねー?
魔王サマから、逃げられるわけなんてなかったー……少し時間をいただいて、お父様とお母様に最期の挨拶をしてこようかしら?
「……べつに貴女を、取って食ったりはしませんよ?」
と。いつの間にか至近距離にいた彼がそんなふうに、固まっている私の耳元で囁いた。
だから、声に出してないってば、もう……なんだろう、地獄耳じゃなくて、直接心を読まれてるのかな?
「共に夜会を楽しむだけです。今日のところは」
っっっ! 今日のところは、ですって?!
でも、これ……どっちにしたって、彼についていく以外の選択肢、ないじゃんかーーー!
心の中で絶叫しながらわたくしは、なにもかもをすっかり諦めることにし、エスコートに応えるべく、差し出されていた彼の手に、自分の手をそっと添えた。
すると彼がわたくしの手に、口づけを落としてきて──。
「楽しい夜に、なりそうですね」
「っっ、……どうぞ、お手柔らかにお願いいたします」
殺すなら、お手柔らかに。
そういう意味でも言ってみたけど、ちゃんと伝わったかしらね?
2/23/2026, 7:16:05 AM