汀月透子

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〈手のひらの贈り物〉

 手の大きい人に、ずっと憧れていた。

 原点は、幼い頃にプロ野球選手と握手したときだ。自分の手がすっぽり包まれて、とても嬉しかった。
 あの温かくて大きな手のひらの感触を、私は今でも覚えている。

 そもそも、うちの家系は背が低く手も小さい。
 父親の手もずんぐりむっくりしたような手だ。母も、祖母も、みんな小柄で手が小さい。
 私もその例に漏れず、身長は百四十三センチ。手は、友人たちと並べると一回り小さい。

 友人たちは皆すらっとした手をしている。細くて長い指。ネイルが映える手。自分の小さな手は、少しコンプレックスでもある。
 だから飲み会の時、「手相見てあげる」というノリにもついていけない。
 手のひらを広げて見せるのが、なんとなく恥ずかしい。友達の手と並べられて、「みみちゃん、ちっちゃ!」と言われるのが嫌だった。

 今日も、ゼミの打ち上げでそんな流れになりかけて、私はトイレに逃げた。

 帰りの電車で、同じゼミの大田宏樹と一緒になった。
 彼は背が高い。百八十センチ以上はあるだろう。今日のゼミの発表で資料運びを手伝ってくれたとき、その大きさに圧倒された。段ボール箱を軽々と持ち上げる姿が、妙に頼もしく見えた。

「お疲れ様」と大田君が言う。
「お疲れ様。今日はありがとう、手伝ってくれて」
「いやいや、こっちこそ」

 電車が駅に滑り込む。扉が開くと、乗り換え客の波が押し寄せてきた。人混みに押されて、私は思わずよろめき転びそうになる。

 その瞬間、誰かが私の手を掴んだ。

 引き寄せられるように体が止まる。顔を上げると、大田君だった。
 人混みを避けるように、彼は私を柱の近くまで引っ張っていた。

 心臓の鼓動が早鐘を打つように速くなる。
 大きな手に包まれる感覚──幼い頃に感じたあの安心感とは、少し違う何かがある。

「ごめん、急に掴んじゃって」
と、大田君が気まずそうに手を離す。
「ううん、助かった」と答えながら、まだ手のひらに残る温度を意識してしまう。

 前の席が空いた。並んで座る。いつもより大田君が近くに感じる。

「小川さん」
「ん?」
「今日の資料作り、ほんとありがとう。
 俺、不器用だから助かった」
「大田君も色々手伝ってくれたんじゃん」
「いや、でも小川さんの丁寧な仕事があってこそ、だよ」

 そう言って笑う大田君の横顔を見ながら、私は自分の手のひらを軽く握りしめる。

「私、手が小さいのがコンプレックスでさ」

 思わず口に出していた。
 大田君が驚いたように私を見る。

「だから、飲み会とかで手相見ようとか言われると、ちょっと嫌で」

「そうなんだ」
 大田君がゆっくり頷く。
「俺は逆に、手がでかすぎて。
 この前もスマホ落として割ったし」

 二人で笑う。
 なんだか不思議だった。こんな風に、自分のコンプレックスを話せるなんて。

「でもさ」と大田君が続ける。
「小川さんの資料、いつも丁寧だよね。
 細かい修正とか、俺には絶対真似できない」

 頬が少し熱くなる。

 次の駅のアナウンスが流れる。大田君が「あ、俺ここで降りる」と立ち上がる。

「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」

 電車が止まり、大田君がホームに降りる。
 扉が閉まり、電車が動き始めたとき、彼がこちらを向いて手を振っていた。
 大きな手だった。

 窓越しに、私も手を振り返す。自分の小さな手のひらが、ガラスに映る。

 ホームの大田君が、だんだん小さくなっていく。でも、さっきまで感じていた手の温度は、まだ消えない。

 自分の手を見つめ、そっと握りしめる。これは私の手だ。誰かに贈れる、温かさを持った手のひらだ。
 小さいけれど、この手で私も誰かを支えられる。そして──誰かと繋がることもできる。

 窓に映る自分の顔が、少し笑っていた。

──────

背の高さと手の大きさは比例するわけじゃないんですよね。
プロ野球選手でも、意外と手がちっちゃい?と思う方がいます。

みみちゃんの名字を小川さんにしたのは、ちいかわ……いや何でもありません。

12/20/2025, 9:08:13 AM