『今日にさよなら』
輪ゴムみたいなヘアゴムが大量に入った袋を手にした彼女は、ぷりぷりした様子で俺を見上げた。
「イヤなことあったから八つ当たりする」
あまりにも珍しい彼女の宣言に嬉々として跪いた俺も大概かもしれない。
リビングの座椅子の上で正座する俺の髪に触れたかと思えば、彼女は遠慮容赦なく引っ張りやがった。
「いってぇ!?」
「我慢して」
はあぁぁあ!?
かわいいっ!!
理屈が全然通じなくなった彼女なんて最高でしかないが、いったいなにをしているのかは気になる。
いや、手つきから俺の髪を結んで遊んでいるのは想像がついた。
手際よく消費されていく細いヘアゴムに、容赦なく痛めつけられる頭皮から、どんな髪型になっているのかはあまり想像したくないが。
「よし!」
彼女にされるがまま30分ほど、満足そうに彼女が声をあげる。
「満足しました?」
「んっ、ふ……」
振り返れば、目のあった彼女は笑いを堪えるように口元を押さえた。
俺の短い髪で遊べる幅は、あってないようなものだろう。
本当になにをしてくれたんだ。
首を傾げる俺に、彼女は鏡の代わりに、インカメに設定した携帯電話を俺に差し渡す。
「うわ」
ツンツンと結ばれた髪は器用に等間隔に立ち並び、俺の頭は見事にサボテンと化した。
「あっはははははは!!」
「ちょっと。笑ってないでちゃんと解いてくださいよ?」
「ん、ごめんっ」
「あと、責任を持って俺の頭皮を風呂で労ってください」
「調子に乗らないで。ヘアスプレーで固めてあげようか?」
「一緒に風呂に入る権利をそれでもぎ取れるならかまいませんけど?」
スプレーなんてかけたらその分、風呂の時間は長く確保できる。
俺にとっては得でしかなかった。
「ヤダね」
ツンと拗ねた態度でゆっくりとヘアゴムを解いていく手つきは、結ぶときとは打って変わって丁寧だ。
心地よさに身を委ねたくなり、彼女を抱きしめて体勢を変える。
「ちょっ、と。急に動かないで」
「いいじゃないですか。このくらい」
風呂は許されなかったのだ。
代わりに思う存分、ギュウギュウと彼女の体温を堪能する。
「なにがあったか、あとで聞かせてくれますか?」
「もうスッキリしたからいいの。蒸し返さないで」
「そうですか」
つれない態度を崩さない彼女に、俺はつい口元を緩めた。
「なら、今度はあなたが俺を甘やかしてくださいね?」
彼女の胸元でそう言えば、彼女の手が止まる。
「ん、わかった」
「なら、明日は一緒に風呂に入りましょう」
「やっぱりヤダ」
「運んであげますから、ね? 遠慮しなくていいですよ?」
「……そういう問題じゃない」
そっけない言葉とは裏腹に、乱れていく彼女の心音につい期待値を高めてしまう。
明日、今日以上に楽しそうに笑うあなたを拝めるのなら、俺は喜んで今日という日を手放そう。
2/19/2026, 8:28:50 AM