みずくらげ

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『小さな命』

託児所の一室で、椅子が円環を描いて並べられていた。幼児たちはそこに座し、互いに無垢な表情を向けあっている。
なぜ雨は降るのかと先生が問いを投げた。
Tくんがそれに対して『神様が空から如雨露で水をやっている』と答えた。

今でも時折浮かび上がってくる古い記憶だ。このとき私は初めて自分以外の人を人として承知する慧眼を持ったのだ。それまでの私は救いがたい傲岸不遜な子供であった。
幼年のころは、心があるのは自分だけだと無意識的に仮想していた。他に存在している人間が自分で思考して動いているとは思っていなかったし、逆にそうでないとも考えることがなかった。ただ想像力がなかったのだ。移ろいゆく景色の一部で、植物と同じようなもの、ひとつの流れの中に生きているだけで、各々が内に何かを秘めているなど思わなかった。役者が舞台上で決められた動きを演じるように、彼らもまた私の人生に干渉してくる香辛料であり、私の行動を裏付ける触媒なのだと考えていた。
世界は一枚の書割であり、人々はそこに描き込まれた動く絵具にすぎなかったのである。

しかしあの円環で聞いた彼の言葉は、十数年経過した今でも鮮明に覚えている。

神様が如雨露で水をやる。
こんな発想は私の中にはなかったが、その意見に対して特別肯定や否定の感情は湧かなかった。ただその刹那、私は不意に寒気にも似た感覚に襲われた。
その言葉が稚拙であったからではない。むしろ逆だった。そこには、私の知らない仕方で世界を把握するひとつの完成した意識があった。

それまでの私にとって、他者とは背景であり、装置であり、風景の一部にすぎなかった。人間は人間として在るのではなく、動く物体として、流れの中に配置されているだけの存在だった。自分だけが思考し、感じ、世界を内側に抱え込んでいると、疑いもなく信じていた。

しかし、Tくんの言葉は、私の世界に異物として侵入した。
神、空、如雨露。それらを結びつける彼独自の論理。その論理は稚拙であると同時に、完璧に彼のものだった。

そこで初めて理解した。
この円の中には、私と同じ重さの頭部が、私と同じ密度の人生が、それぞれ独立して存在しているのだ。
人間は例外なく、内部を持った存在なのだと。それぞれが膨らます思考や沸き起こる感情が、密閉された容器のように存在している。心臓の鼓動が世界に少し触れ、わずかに水面が揺れた。弱々しくも確かに波紋は広がったのだ。

これが私が初めて経験した、他者の心の発見だ。

2/25/2026, 1:20:55 AM