『つまらないことでも』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
つまらないことでも笑えばなんとかなる
つまらないことなんてない
意識の問題だ
全部楽しく生きれば良い!
・つまらないことでも
勉強なんてつまらない…
勉強なんてつまらんわ!
でも、将来役に立つはず…
いや、自分の将来に必要なのは勉強より画力だわ
勉強はつまらない……でも
推しは頭がいいんだよなぁ……
だからつまんなくても推しが尊いので
勉強頑張りまーす
世界で最強と呼ばれた戦士を知っているだろうか。
戦士の名は李書文。かつて中国に存在した八極拳の開祖、挑んでくる武闘家たちをことごとく一撃で粉砕し戦う相手全てを殺した武闘家。そのあまりの強さゆえに最後には毒殺されたとも言われている。
何故、彼の一撃はあまねく全ての武闘家を仕留めるに至ったのか。
キリスト教の聖書に出てくる士師の1人、素手で獅子真っ二つに引き裂くサムエルの如き剛力を持っていたのか。
否。
ギリシャ神話に描かれているメドゥーサ殺しの英雄ペルセウスの如く神の加護と知恵があったのか
否。
李書文が使っていた八極拳をはじめとした中国武術の文献を見ると、日々の鍛錬をすると「クンフー」と呼ばれる力がついてくる。それによって中国と武術家などは岩を破壊したり踏み込みだけで石畳を割る力さえも生み出すことが出来る。
李書文はこの「クンフー」という地味な鍛錬を積み重ねあの極地に至ったのだ。
また李書文は弟子にこう言っている。
「千招有るを恐れず、一招熟するを恐れよ。」
これはあらゆる技をこなす者ではなく一つを極めた者を恐れよ。という意味の言葉である。
つまり何でもかんでも例えるなら八極拳全ての技を習得するのではなく、一つの初歩でも技を極めろという教えである。
彼はこの教えを身をもって実践している。
李書文は確かに素手で戦う武闘家だが、「神槍」の李書文とも言われる。
その由来は李書文が槍の一突きだけを鍛錬し続けた結果、誰もその槍が見えないまま突き刺さることから呼ばれた。
つまり現代でも言えることは、自分が何か始めたいと思ったことをちゃんと最後まで続ければ、素晴らしい技術に昇華させることが出来るということだ。
だからこそ何でもかんでもすぐ投げ出さない心が大事なのだ。
お題つまらないこと
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ちょっと説明文ぽくなってしまいました。
石ころのような想いも
燻んだガラスのような夢も
澱みの底にある言葉も
埃まみれの愛も
君が隣にいるだけで
全てが宝物のように輝いて見えたんだ
【つまらないことでも】8月4日
どんな小さい事でも
喜んでくれる
悲しい事があれば、
一緒に寄り添って
くれる。
まるで自分のことのように
そんな君が僕は大好きだ
どんなつまらない事でも/夜凪
皆さんは、学校を転校したくありませんか❓️
皆は、どうですか❓️
私の気持ちは、転校をしたくない
学童さんも卒業したくない
つまらないことでも
つまらないことでも本気でやれば楽しめるだとか、考え方次第だとかいう御託はもうたくさんだ。
つまらないものはつまらない。
本来つまらないものを楽しいとか言ってるやつは現実逃避してるだけだ。
人生はつまらない。
面白い訳がない。
死を恐れるよう設計されておいて、挑戦し勝ち取らなければ欲しいものは、欲しいと思ってしまうものは手に入らず、清く正しい人間性でないものを排除し差別する清く正しい人間たちの中で、まともなふりをして生き続ける。
何もかも、昔よりはいいんだろう。
ならばしかしこの苦しみはなんだ?
ただ、つかの間でも楽しいと心から思える瞬間。
これこそが尊い。
あのとき確かに、心と心で通じ会えた。
その事が私を百年生かす。
ちょったした話
某は今、しんどい戦いを終えようとしている。
相手は平日の曜日さん5人組。月曜日さんから金曜日さん。
なかなかに苦しい戦いだったが、今ようやく最後の金曜日さんがライフ0になってくれた。
ようやくしんどい戦いが終わる、、。
某は肩の力を抜いた。
やっと休める、、やっと解放された、、。
さあ、休みだ、、、。
と、思ったら。
倒れていた相手の一人が動いた。
月曜日さんだ。
倒したつもりが、まだ倒せていなかったらしい。
しっかりトドメを刺したのに、、?
某は恐怖を感じ、息が荒くなり、声を漏らした。
「止めてくれ、止めてくれ、、」
しかし、月曜日さんは無情にも両手を広げ、復活の呪文を唱えた。
すると倒れてた残りの平日さん、火水木金曜日さんが全員復活した。
「やめろおおおお!」
某は絶句した。その肩を誰かが叩いた。
振り向くと、土曜日さんがいた。
土曜日さん「逃げても無駄だ。私も"祝日の土曜日"という技がある」
「うわあああああ!」
某は絶句でしかなかった。
つまらない事でも、何でもやってみな。
楽しくなると見る世界が変わるよ。
例えそれが難しいことだったとしても。
それが君に向いてないなら、別の道を辿ってもいい。
ただ、何でもやってみる。
この冒険心を忘れないで。
つまらないことでも、一生懸命がいいのかな…つまらないことでも頑張らないとダメなのかな…つまらないことでも諦めちゃだめなのかな…だってやりたくないし頑張りたくない…だってつまらないんだもん、それでもやらなくちゃだめ?
必要なの?チャレンジしないと前向きじゃないと一生懸命やらないとダメなの?
『つまらないことでも』
あの頃、セカイは僕のものだった。
欲しいものはちょっと駄々をこねれば買ってもらえたし、周りの大人は僕が何かすると皆してやたらめったら褒めてくれた。クラスの中心にいつもいる、お調子者の男の子。それがあの頃の僕だった。
あの頃毎日通った通学路。
周りを空と田んぼに囲まれて、その間を貫くように薄茶色の砂利道がどこまでも伸びている。カタカタ。僕のランドセルが鳴らす音以外、目立った音は聞こえない。そんな静かで何も無い道を、僕は毎日歩いていた。
毎日。毎日。同じ道を。
そんな登下校の時間が、僕にはどうも退屈でとってもつまらないものだった。だって、僕のセカイは毎日楽しいことで溢れているのに。この時間だけが何も無い。遠くに見える青々とした山も、雲一つ無い空も、もう見飽きてしまった。
「あ~あ。今すぐ隕石でも降ってこないかなぁ。」
そんなようなことを、毎日考えていた。
そして今、俺は世界の一部品として働く社会人になった。欲しいものが出来ても躊躇してしまって結局買わないし、上司に褒められることなんて滅多にない。居ても居なくても変わらない、ごくごく平凡な会社員。それが今の俺だった。
毎日乗り込む通勤電車。周りを冷たい鋼鉄と人に囲まれて、その間に体を縮こまらせるようにして立つ。ガタンゴトン。そこかしこから、音が聞こえる。そんな忙しない、冷たい毎日を俺は生きている。
あの頃の僕が見飽きたつまらない光景を、俺が最後に見たのはいつのことだっただろう。あの頃、セカイは僕のものだったはずなのに。もう久しく、青空なんて見ていない気がした。あの何も無い通学路が何だかどうしようもなく恋しくて、息が詰まる。
つまらないことでも、どうやら俺にとっては大事な思い出の一部だったらしい。狭い車窓から青空をのぞき見て、初めて気が付くのだった。
つまらないことでも
つまらないことでもやらなければ
なんて考えてしまう自分が嫌い
つまらないことなんてやりたくないのです
できれば楽しいと思えることをしたいのです
つまらないことは我慢できる範囲で
頑張りすぎないでやる
無理するくらいならお断りして良いのではないでしょうか?
つまらないことから学ぶこともあるから
ある程度はしても良いけど
無理はしないでやっていきたいのです
楽しいことだけ考えたい
それだけです
浴びるほどお酒をのんで、気持ち悪さで吐いている間は
吐く苦しさで、生きる苦しさを忘れられるから。
結局、どう足掻いても
私を苦しみから救ってくれるものは
また別の苦しみしかないんだよな。
幸せのタネと言う物は
自分自身が拾おうとすれば
どんなに些細な出来事からでも
見つける事が出来る…
トマトが赤く熟れた事…
朝顔が綺麗に咲いた事…
夕立が来て久しぶりに
涼しい風が吹いた事…
「つまらない事でも」
私が幸せのタネを拾って
毎日花を咲かせていたら
ずっと穏やかに生きられる
叶えられるのは…
……私の心ひとつ……
つまらないことでも
“これ、やってみたい”って感じたことを“何でもやってみよう”と思ってます。
漫画喫茶もそのうちの一つでしたが、行ってよかったとしか思わなかった。自分の知らない世界を知ることが出来た喜び、もうこれに尽きます。
例え“知らなきゃよかった”って思ったとしてもです。
少し前の投稿でも書いたのですが、先日今まで経験したことのないある事に、トライして来ました。
何も知識も技術もないまま飛び込んだ私は分かってはいたものの、完全アウェイでした。それでも基礎の基礎を教えてもらって、今は自宅にて練習中。それもまた楽し。
結果、行ってよかったんです。
まだまだ、やっていきたい、知らないことを。
人から見れば、つまらないことでも私の世界を広げるには充分な一歩なのだから。
「地球は青かった」と言えるのは宇宙に行った人だけが言うことができるのです。(スケール違いすぎ)
今のとこ、「私は無知すぎた」としか言えませんが。
でも、だからこそ、何処でも飛び込んで行けるんですから。なんて、いつも通りのノーテンキでいきますよ。
夏終われーend
あなたのつまらないことでも
私がやっていると、嫌な顔を一つもせず、付き合ってくれる
あなたが嫌いなことでも
私が嫌がると代わりにやってくれる
あなたが苦しいことでも
私も苦しいとその苦しみから守ってくれる
あなたにばかり、無理をさせてる
だから
だから、私も一緒に抱えたい
一人で抱えることはできない、ごめんなさい
でも、二人で抱えることは、あなたを支えることは、できる
それならいくらでもやる
私が死んでも、あなたは死なせない
それが私でしょう?
「ありがとう」?
何を今更、そんなのこっちのセリフよ
これから私も抱えるから
あなたも辛かったら、私に寄りかかっていいのよ
て言うより、寄りかかりなさい
命令よ
私はあなたの椅子になるし、ベッドになるし、サンドバッグになる
そのくらいの覚悟は持ってるのよ
そうじゃなきゃ、妻なんて、やってらんないわよ
愛してるわ
つまらないことでも
ぬわー退屈だ
そんな時、別の世界に飛ぶ
魔法が使える世界
自然豊かな世界
土壁のマイハウス
人はあまりいない
地に足つけて、世界を生きないといけないと
分かっていても、ここにくるのがやめられない
つまらないことでも
どんなお題でも毎日書くと決めたら書くべきなんだろうけど、やっぱり書けないものは書けないし書きたくない。価値観は人それぞれなんだから、私にはとうてい書けない書きたくないお題を大切に丁寧に扱ってすばらしいものを書く人もいるだろう。私はそんなに出来た人間ではないから、書けないものを無理して書いたりしない。というか、そもそも「つまらない」と判断することがあまりよくないことなんでは? そもそも世の中にほんとに「つまらないこと」ってあるの? 私は「つまらないことでも」というお題をつまらないと感じるのだけど、ここで美しく文章を終わらせるために、私は「つまらないことでも」というお題も含め私につまらなくても誰かには面白い可能性があるんだから、世の中にはつまらないことなどないのだと宣言する。
つまらないことでも
どんなにつまらないことでも、
どんなに意味のないことでも、
なにもないより、ずっといい。
だからまだ、生きていたいの。
夏、海、死
これらは合わさることで何にも代えがたい世界で最も美しいモノへと変化した
咲き誇る花
その音で、波の音はかき消されて
惨めなままで生きていきたいと願った