『三日月』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
月の満ち欠けを日常は気にかけたりもせず、満月の日にだけ月のありがたみを感じていた。
それは色んな月の形が満月という存在を支えているからだと思う。
三日月を見つけると不安感を抱かせるが、それと同時に魅力的に思わせるのは何故だろう?
不安感は夜の暗さを引き立てるからだろう。
魅力的に思えるのは夜の暗さに負けずに輝く存在感と周りの星々を際立たせているからだろう。
孤独を和らげてくれるのは満月であり、孤独に寄り添ってくれるのは三日月なのではないだろうか?
そう考えたら三日月にも親しみを感じることができた。
今日の月はどんな形をしていただろうか?
そう思い立ち、寒い中、窓を開けて夜空を見回す。
残念ながら今日は月を見つけることはできなかった。
その代わりに存在感のあるオリオン座と他の星々が強く輝いていた。
何気なく過ごす日常に感動はあるのだろう。
次に見かける三日月に私は何を思い感じるのか少しだけ楽しみに思えた。
#三日月
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、ハルの真っ白な髪を透き通るように照らし出していた。
しっとりとした汗をかいた項に、白銀の髪が張り付いている。ハルは、まるっと大きな目をゆっくりと開いた。とろんと半開きになった灰色の瞳は、まだ眠気でうるうると潤んでいる。くるんと可愛くカールしたまつげが、瞬きに合わせて震えた。
「………んぅ……。……おあ、よ、ぅ……?」
普段以上にぽやんぽやんの頭で、ハルは、んむんむと独り言を漏らす。寝返りを打とうとして、むちむちとした短い手足がシーツの上でもぞもぞと動いた。ぷにぷにとした柔らかくボリュームのある頬が枕に押し付けられ、むにっと形を変える。
「はぅ……くぁー……ん、しょ」
ハルは、白パンのようにむっちりした腕に力を込めて、仰向けから這い上がるようにして、何度もずり落ちながらようやく、上半身を起こした。ぽっこりと膨らんだお腹がパジャマの下で重たげに揺れる。体全体がむちむちしているハルとって、自力で起き上がるという動作だけでも一苦労であった。
ハルはふにふにと自分の手を眺め、枕元に置いてあったタオルをぺたんっと掴もうとする。手先の運動がつたないせいで、掴もうとしているのか、叩いているのかすら、傍からはわからない。
ばんっ、ぺたんっ、ぺんっ。
ようやく掴んだタオルを引きずって、そのまま、とてとて、ぺたぺたと足音を立てて寝室の扉へと向かう。ハルの足首はもちもちとしていて、まるでお餅が重なっているかのようにふっくらと柔らかそうだ。
リビングに出ると、そこには既に美世の姿があった。ハルは、にぱっと表情を輝かせ、るんるんと、弾むような足取りで駆け寄ろうとする。といっても、その重たい体は、ぼすん、べたん、と地面を踏みしめるのに精一杯で、とても走るなんてことは不可能である。
「せん、せ! はる……おあ、よー……っ!」
ハルは、ぴたっと美世の数歩手前で足を止めた。美世から放たれる、刺すような冷たい視線に気づいたからだ。美世はハルの方を見ようともせず、ただ冷徹な声で告げた。
「うるさい。汚い。近づかないで。さっさと着替えなさい」
美世の言葉は短く、氷のように冷ややかだった。ハルは、んっと喉を鳴らして、びくりと肩を震わせる。過呼吸の前兆だ。美世から冷めた声をかけられることは日常茶飯事なのに、ハルは未だに慣れる様子がない。その反応も、美世を苛立たせるひとつの要因であった。美世は、嫌悪感を隠そうともせず、指先一つ触れるのを拒むようにして、予備の服をハルの足元へ放り投げた。
まだ一歳になったばかりのハルにとって、一人で着替えを完遂することは不可能に近い。美世が用意する服はどれも幼子には不向きな、重いフードのついたパーカーや、体にぎゅむっと張り付く短パン、ひらひらのレースがついた靴下だった。
ハルにはまずパーカーの頭を通す穴を探すことさえ難しく、ましてやズボンの足を通す動作は、ぐらぐらと身体のバランスを崩してしまう。
「……んー……んしょ、んしょ……」
ハルは、ぽてぽてっと床に座り込み、必死にズボンに足を入れようとした。ハルの腕は、まるでちぎりパンのように段々になっていて、太い手や指も動かすのに一苦労だ。そして、もちもちとした太ももが布地に引っかかって上手くいかない。足首のぷにぷにとした肉が邪魔をして、踵が抜けないのだ。
「うぅ……っ、せんせ。……これ、……んぅー……でき、ぅ……な、い……」
ハルがすがるような目で美世を見上げ、ぎゅっと美世の服の裾に触れようとした瞬間。
「触るなと言ったはずよ」
美世は、汚物でも避けるかのように、鋭く身を翻した。ハルの小さな手は空を切り、ぺちっと空しく自分の膝を叩く。美世は、苛立ちを隠さずにハルの襟首を掴み、乱暴に着替えさせ始めた。刺激に弱い柔らかな肌を労わる気など微塵もない。ハルの白くもちもちと弾力のある腕を美世の冷たい指先が強く圧迫する。
「ぁうっ、……ん、んぅ……せ、ーせ」
痛みに、ハルの大きな目はじわっと潤む。じわりじわり、と目尻が濡れて、今にも涙が溢れそうになっている。しかし、泣けばさらに嫌われるかもしれないという恐怖で、むにゅむにゅと歯のない口で唇を噛み締める。
そして、着替えを終えると、次は朝食の時間。
テーブルの上に置かれたのは、ハルのための「食事」だった。
それは、生焼けのどろりとした脂身や、泥のような苦い野草、鼻を突くほど生臭い腐りかけの魚や牛乳をすべて混ぜ合わせ、ぐちゃぐちゃに踏み潰したような、吐瀉物の色をしたなにかだった。器からは、幼い子供が到底受け入れられないような、鼻を刺す不快な腐敗臭が漂っている。固形と液状もごった煮状態で、使っている食材が食べられるものであるだけの、食べ物とは到底呼べないなにかである。
ハルは、ひうっと喉を鳴らして、脂肪だらけの小さな手を震わせた。感覚過敏のハルにとって、その悪臭と、舌を焼くような苦味や不気味な脂の感触は、地獄そのものだった。
「ぇ……あ、う……く、しゃ……ぃ。……せん、せ……これ、……あ、あうぅ……」
ハルが、うるうるした目で、助けを求めるように美世を見上げる。しかし、美世はハルなど視界に入れていない。彼女の前には、美しく磨かれた銀の皿に、完璧な形に切り分けられた黄金色の果実が並んでいた。それは、美しく、優雅な弧を描く、美しい三日月の形に切られた最高級マンゴー。
ハルは、うるんだ目で、その輝くような三日月を見つめた。自分の目の前にある、吐き気を催すような泥色の塊とは正反対の、光を放つ宝石のような食べ物。
「……っあ!せんせっ、み……か、つき……っ」
ハルは、もちもちとした短い指を、ふにふにと動かした。表情の薄いもちもち顔には、にぱっと笑顔を乗せる。
ハルはただ、甘い匂いや綺麗な色に釣られたわけではない。美世のことが大好きで、彼女の持ち物に触れたい、同じものを見ていたいという身勝手で無垢なハルのわがままが詰まった結果だ。
ハルは、んしょんしょと、むちむちの身体をゆすって椅子の上で身を乗り出した。ぽっこりと出たお腹がテーブルの縁を圧迫し、ぐににっとへこむ。
ハルの不器用な指先が、美世の皿の端、その美しい果実へと、ぐーっと伸びた。
──その瞬間、美世の瞳が耐え難い嫌悪に染まった。一切の躊躇いなく、手に持っていた銀のフォークをハルの柔らかく白い手の甲に押し当てた。鋭い金属の冷たさに、ハルは、びくんっと身体を大きく跳ねさせる。一度離して、勢いをつける。
そして、磨きあげられた鋭利なフォーク先を容赦なく振り下ろした。
ずぶり、と鈍い音がして、刃先がハルのましゅまろのような柔らかい皮膚を深く突き刺す。
「………っ! ぁ、あ……あ"ぁっっ!!」
最初は声が出なかった。衝撃と鋭い痛みが一瞬遅れて到達する。喉を引き裂くような悲鳴を上げ、全身を硬直させたかと思えば、びくびくびくっと不自然に体を何度も跳ねさせる。神経が過敏な薄い皮膚。そこへ鉄の爪が食い込んだ衝撃に、ハルの大きな目は 目を剥くほどに見開かれ、気付けば大粒の涙がぼろぼろと溢れ出している。
美世はフォークを突き刺したまま、ハルの手をテーブルに縫い付けるように強く押し切った。
「その不潔な手で触れないで、と何度言わせるの?……本当に、存在するだけで迷惑」
ため息混じりな美世の声は、低く、地を這うように冷たい。ハルは、痛みと恐怖で、止まらない痙攣で椅子の上で身体を揺らす。小さくぷりっとした唇からは、はくはくと小さな呼吸が漏れたかと思えば、咳き込み、過呼吸に近くなる。柔らかい白髪が、幼子には不釣り合いな脂汗でびっしょりと湿って、まろい額に張り付く。
「ぁ……ひ、ぐっ……っけほ……ぁ"う……っっ」
突き刺さった場所からは、鮮やかな赤色が溢れ出し、真っ白なハルの手と、美世の黄金色の三日月を汚していく。
「あ"ぁ、ぃ、だ……ひゅ、ぐっ……は……ひゅっ」
ハルは、必死に痛みに耐えようと、むちむちの身体をよじらせた。しかし、美世は突き刺したフォークをさらに、ぐりっと捻り、ハルの柔らかな肉を抉るようにして引き抜いた。
その衝撃で、ハルは椅子からどすんっと無様に床へ転げ落ちた。オムツで膨らんだお尻が床に叩きつけられ、ぽんっ仰向けになる。その拍子に、テーブルの上に置かれていたハルの器が、がしゃりと嫌な音を立てて落下した。
生焼けの脂身と腐った牛乳、生臭い魚が混ざり合った、どろどろの灰色をした流動食が、倒れたハルの顔のすぐ横で、べちゃっ、と飛び散った。鼻を突く強烈な腐敗臭が、声にならない絶叫に悶えるハルの意識を逸らす。
「はぁ……今すぐ死んでくれないかしら」
それはただのひとりごとだった。どうせ、知能の低いハルに言っても伝わらない。それ故に、心の底から這い出でた嫌悪であった。
美世は立ち上がり、ハルのせいで汚れた果実をゴミ箱へと放り捨てると、床で震えるハルを冷たく見下ろした。彼女の靴の先が、ハルのぽっこりと出たお腹のあたりを、ぐいっ、と強く踏みつける。
「ぐ、ぁ……っ、せ、せ……ひっ……」
「その汚い声を聞かせないで、耳障りよ。黙ってそこに散らばったお前の"朝ごはん"を、今すぐ全て食べなさい。従わないならお前を捨てるだけだから、選んでいいわよ」
美世の短い宣告に、ハルの目の前が真っ暗になる。
──捨てる。
それは、美世に言われる少ない言葉のなかで、ハルが最も耐えられないものであった。ハルの望みは、ただ美世といること。そして、美世に話しかけてもらって、笑いかけてもらえて、たくさん撫でて抱っこしてもらえること。それらすべては、美世がいないと叶わないことで、美世じゃなければ意味がない。
まあ、尤も、ハルに対して無関心ときどき嫌悪のみしか抱いていない美世なので、それはハルのひとりよがりの空想でしかない。たとえハルが美世の言うとおりの利口で可愛い子になったとしても、どうにかこうにかハルが変ったとしても、美世の無関心は度を増すだけだろう。
#三日月
26.1.9
三日月
三日月には三日月なりの美しさがあるのです。
まんまるではなく尖っていて、凛としているでしょう。
私にも私なりの綺麗さがあるのです。
それはすべて貴方のため、貴方の目に留まるため。
月もきっと私たちに見てもらうために、
形を変えて、変化を楽しんでもらいたいのでしょう。
私たちが飽きないように。
だから私も貴方に会う度に髪型を変えて、
服の系統も変えて、挑戦しているのです。
今日も、月が綺麗ですね。
にこにこ笑う月に見られてる気がして
宙に向けてピースサイン
【三日月】
ふと月を見て
今日は三日月か…と
満月や上弦の月、下弦の月や新月
それらは形がハッキリしてるから
見ていても特に思わない
でも三日月を見ると
どこか怖くて
でも寂しくて
不思議な気持ちになる
三日月って何だろう
『三日月』
教室から最寄り駅までの道中、
ふと空を見上げると月が出ていた。
見てすぐに、月が笑ってるって思った。
素直になれなくて悩んでるのがバレてるらしい。
笑うくらいなら、
私に素直さをプレゼントして欲しいな。
ねぇ、今日も月がきれいだね。
三日月
実際に空に浮き出る三日月は、のっぺりとして、白くて、のもーんという顔をしていて、魅力に欠ける。あとなんか小さいし、電線とか家々に邪魔されてよく見えないというのもある。絵に描くような、ぐるんと巻かれた三日月は見られない。そんなに黄色くもないし。
大人になって、感性が豊かになったらあの三日月のことも、美しい、風情があると思えるんだろうか。だとしたら楽しみかもしれない。
まさにこういう三日月。→🌙
"三日月" すり減った私の心みたい。
誰にも助けを求められなかったあの頃の私は、ただただ暗い夜の道を一人で歩いて、泣き疲れて家に帰る。
そんな日々を繰り返していた。
あの日もいつもと同じだった。何もかも上手くいかなくて、私は無能なんだって改めて気付かされたあの日。
自転車で海が見えるところまで行って、涙が枯れるまで泣いていた。
そんな私に君は手を差し伸べてくれた。
あの頃が懐かしい。君だけが手を差し伸べてくれて、こんな私に優しく微笑みかけてくれた。あの日も確か三日月だった。
君は今、どこで何をしているのかな…。
あの頃みたいに笑っているのかな…。
本当は会いたくてたまらなかった。あの頃みたいに私に優しく笑いかけてほしい。君の笑顔は太陽よりも眩しくて、温かくて。嫌なことを忘れさせてくれる。
三日月を見るとあの日を思い出す。
私は今も君に救われているよ。
「三日月」
「三日月」
あの小池 時折三日月 浮かびたり
大事に掬ひて 君に見せたし
【#8】
満月より三日月が好きだと、きみは言った。
満ちることなく、欠けたままの月。
夜の闇に溶け込むこともできなくて中途半端にぽつんと浮かんでいる。
…なんだか分かった気がする。
彼がああ言った理由が。
たぶん、きっと、満月は隠れられないからだ。
丸くてどこもかしこも明るくて。
どこに行っても照らされる。
…俺も、三日月の方がすきになっちゃったよ。
三日月 #245
三日月のようなハンドル手のひらに
夜へ夜へと漕ぎ出してゆく
(三日月)
「三日月」 #242
欠けているのに、
満たされていないくせに、綺麗。
私もあの月のように
完全でなくても愛してもらえるのでしょうか
#13 三日月
三日月って、コスパいいよな。
満月みたいに気を張らなくていいし、だからと言って新月みたいに暗くない。
しかも、半月よりも注目してもらえる。
三日月がモチーフのアクセサリーは定番だもんな。
彼氏との買い物の最中、女物のアクセサリーケースの前でそんなことを考える。
「深月、決まった?」
おっとりとした、あったかい声が上から降ってくる。
「これにしようかな」
そう言いながら、私が指さしたのは三日月のかわいらしいネックレス。
普段より半音高い猫撫で声。
彼氏の前でしか出ない私。
本当は、その隣にあった、丸いリングのついたやつが欲しかった。
新月みたいで私っぽかったから。
「ほんとにこれでいいの?」
太陽は、私の目をまっすぐ見て聞いてきた。
彼はいつも、私に物を買ってくれるとき、そう質問してくる。
私は決まって頬をかきながら頷くのだ。
そうすると彼は、
「ふふ、深月っぽい」
一拍おいてそう言ったあと、微笑んで私の選んだネックレスを優しくレジに持っていく。
ああ。また、言えなかった。
太陽と付き合って三ヶ月。
私はずっと、可愛い彼女を演じてきた。
アクセサリーも、メイクも、食べ物も。
かわいさを重視して選んだ。
本当は、アクセサリーだって、ボーイッシュな方が好きだ。
メイクだって肌が荒れるし、時間もかかるからしたくない。
甘いものなんか、全然好きじゃない。
「お店の外で待ってて」
そう言われたから、すぐそこにあったベンチに座る。
太陽が戻ってきた。
「はい、どうぞ」
太陽はそう言いながら可愛くラッピングされた小包みを優しく手の上に置いてくれた。
「ありがとう、家で開けようかな」
そう上目遣いで笑いかけると、彼は嬉しそうに片手を差し出してくる。
手つなご、の合図だ。
私は素直に彼の手に触れる。
彼の大きな手が私の手を包んだ。
そして、二人で歩き出す。
二人の部屋に向かって。
部屋に着いた。
二人でソファに腰かける。
彼が、
「ねぇ、プレゼント、開けてみてよ」
柔らかくて、甘い声でそう言う。
「さっき、一緒に買ったじゃん」
私はそう笑いかける。
「いいから!」
彼に促されるまま、小包みを開いた。
呼吸が止まる。
そこに入っていたのは、私が本当に欲しかった、丸いリングのついたネックレスだった。
「なんで」
思わず、いつもの猫撫で声を忘れてしまう。
「これの方が深月っぽくて素敵だったから」
彼は申し訳なさそうにこう続ける。
「いつも、無理させてたよね」
私は、何も言えなかった。
「気付いてる?深月、嘘つく時、必ず頬かくの」
私、そんな癖、あったのか。
酷いこと、したな。
ずっと騙してたのと一緒だ。
そう思って、謝ろうとする。
でも、遮るみたいに太陽は、
「俺、そんな深月も大好きだよ」
そう言って抱きしめてくれた。
そのまま耳元で、呟く。
「だけど、俺の前で、無理しないでほしいな」
私はそこでやっと口を開く。
「太陽、大好き。」
三日月
空を見た
三日月だった
ずっと見てたいと思った
お題『三日月』
「うーん、疲れたぁー」
言葉にすれば口から白い吐息が流れていった。
私は今朝会社まで送ってくれた同僚に甘えて、帰りも図々しく家まで送ってもらうことにする。だって、送迎するって夕べLINEをくれたから。
だからこうして同僚の車に乗り込んだ。
乗ったばかりの車はちっとも暖かくなくて、シートヒーターの熱だけが救いだなー。
「これどうぞ」
同僚がくれたのは温かい缶。おしるこ、とプリントされている。
「ありがとう。……って、私がお汁粉好きなことなんで知ってるの!?」
「え、そうなんですか!? 海鮮チゲ雑炊のボタンを押したら何故か出てきたやつなんですよ、それ」
そのチョイスは、それはそれで十分おかしいと思ったので、素直にクスクスと笑った。
「笑うことないじゃないですかー。だって昨日のLINEで夕飯がキムチ鍋だって言ってたから、辛いものが好きなんだなと思っただけですよ」
「ごめんなさい、こういうチョイスが意外だったから」
両手で包み込んだお汁粉から手に熱を移していく。手だけじゃなくて、頬もつい緩んでしまう。
「それじゃあ出発しますね」
路肩に雪を積もらせている車道へと車は滑り出していった。
——————
おっとりしているというのは、完全なる俺の思い込みだったらしい。同僚はよく喋った。最近聞いた曲のことからお気に入りの動画のことまで。声のトーンから察するに、この人の胸の中には大切なものがいっぱい詰まっているんだろうな。
「そういえば、昨日ね」
どうやらとっておきの話をしてくれるらしい。「うん」と相槌を打って先を促した。
「とある料理配信者の生配信があったの。男の人なのに手がきれいな人でね、トークは普通なんだけど手の表情がとても豊かでね。とても良き」
俺は動揺した。だって、生配信? 料理? 俺も昨日やってた! 他に料理の生配信をしてた奴いたっけ?
だけどひっそりと世を忍んでいたいので、「そうなんですね」と、自分が思っている3倍くらいぶっきらぼうな声が出てきた。
「あ、ごめん、私ばっかり喋って……」
「いえ、俺こそなんか……すみません」
車内を気まずい沈黙が流れる。
違う、違うんだ。俺はこんな空気を作りたかったわけじゃないのに。
——————
動画の話はこれ以上やめておこう。それはさておくとして……同僚に何か世間話を振ろうと思いつき、話題を探す。
どうやらこの同僚は流行りの曲やら動画にはまったく疎いらしい。これまで蓄積してきた会話でそれはなんとなく察しがついてしまった。
「そういえば、ネットサーフィンが趣味って言ってたけど、どういうのを観るの?」
言ってから、もしもセンシティブな話が出てきたらどうしようかと内心慌てた。
「料理のサイトはよく見ますよ」
よかった、普通の話題だった!
「バズってるレシピからイタリアンのシェフまで、いろいろ」
「へー! 料理、好きなんだ」
「まぁ……一人暮らしもそれなりに長いんで」
へへ、っと笑っている同僚は頬を手でポリポリ掻いている。
その手に私は釘付けになった。見覚えのある気もしたけれど、いや、まさか……ね?
私は浮かんできた疑問に蓋をした。
「話は変わるんですけど、今日の三日月、きれいですね」
フロントガラス越しに空を見上げれば、弓張り月が細く姿を現している。
「本当だ……あ、そうだ。三日月に纏わるお話をひとつしようか?」
返事を待たずに私は続けた。
「お祈りすることで幸運に恵まれるんだって」
「へぇー。何かお祈りしたいことってあるんですか?」
興味ないのかと思っていたら、思いのほか食いついてきた。
でも……お祈りしたいこと……うーん……あ、そうだ!
「件の料理配信者のごはんをいつか食べられますように!」
同僚は盛大に咽せた。咳き込んで、それから「らしすぎます!」と笑った。
「三日月」
やけに暗い夜だった。雲一つない空にはポツポツと星が瞬いている。低い位置には三日月がポツンと浮かんでいて、ぼんやりと薄く光っていた。
その日は、男にとって厄日だった。朝はなぜだかアラームが鳴らなかったせいで遅刻してこっぴどく叱られた。寝坊のせいで朝食もろくに食べられず、昼休みまで空きっ腹を抱えて働く羽目になったし、昼休みは昼休みで後輩に泣き付かれたせいで落ち落ちと食事も出来なかった。
そんなわけでとっくに夜も更けた今まで、ろくに食べられないままだったのだ。空腹を通り越してもはや痛みを感じるまである胃を摩りつつ、ふらつく身体を引きずってどうにかここまで帰ってきたのだ。家まではあと五分ほど。暗い夜道に目を凝らし、先を急ぐ。
マンションの隙間から三日月が視界に入った。ぼんやりと光る月に視界を奪われる。月を見たまま、一歩、二歩足を進める。
視界が上になったせいで足元が疎かになったのか、男はふらついて電柱にぶつかった。額を強かに打ち付けた衝撃で蹲る。蹲る拍子に膝まで打ち付けたせいで足まで痛い。
月なんか見ていたせいだ。地面に這いつくばったまま、月を睨みつける。黒い空の上、三日月がニヤニヤと笑っていた。
「なに描いてるの〜?」
俺がベランダで夜空を見上げながらスケッチしていたのを後ろから翔くんが声をかけてきた。
「あれ、ほら」
暗闇の中に輝くあの三日月を指差す。
しばらくキラキラとした月に見惚れていると
「月が綺麗ですね」
とイケメンスマイルで言ってきた。
「もう、なんだよ」
「あれ?智くん知ってるんだ」
口角を上げそれこそ三日月のように口元がニヤッと動く。
「はあ…?俺だって分かるよそれぐらい」
なぜか余裕じみた翔くんに苛立ちが覚える。
じゃあどういう意味?と聞いてきたから、得意気に言った。
「あなたが好きです」
あ、と思ったときにはもう遅かった。
言った瞬間、口を塞がれた。
「俺も」
そう言って部屋に戻っていった。
今はまだ、三日月のスケッチに集中できそうにない。
三日月
真っ暗闇の中で三日月がぼんやり光る。仕事を終え、ふらつく足はまるでそれに誘われるように道を進む。倒れないように見守られている気すらした。ふと顔を少し上げると、腹のすく匂いが鼻をかすめる。キョロキョロと辺りを見渡すと、赤い提灯をつけたいかにもな屋台が少し先の方にあった。
……今どき屋台のおでん屋なんかあるのか?
不審に思いながらも、その匂いに抗えずに俺は暖簾をくぐっていた。
「らっしゃい」
にっと笑うのは三十代後半くらいの短髪の男だった。すらっとした見た目をしており、想像していた店主像とは真逆だなと思いながら、お辞儀をしてから椅子に座る。机にメニュー表があり、俺はとりあえず大根と卵、それから牛すじを頼む。店主は慣れた手つきでそれらを菜箸で取り、綺麗な皿にもって「辛子なんかはお好きにどうぞ」と調味料を指差した。
「ありがとうございます。……あの、いつもここで屋台を?」
「いえ、場所は決まっていません。ふらふらとね、月が綺麗な時にやってるんですよ」
「……月が?」
俺は牛すじを一口頬張り、店主の返事に首を傾げながらついそう言ってしまった。いやしかし、“月が綺麗な時にやってるんですよ”なんて言われたら少し気になるだろう。
「そうです。お客さんも今日の月にふらふらと誘われていたでしょう? だからうちに来れたんだ」
「は、はあ……」
人懐っこい笑顔を浮かべてサラッとそう言うものだから、自然に流されてしまう。
「あー、店主さんあれですか。詩とか好きなタイプ?」
「はは! まあ、そうですね。人が書く物は私達と視点が違うから面白い」
俺は疑問が浮かびながらも、曖昧な返事をして大根を口にする。じゅわりと口の中に味が広がり、それが腹の中に入っていくと不思議な安心感が広がった。
「……お客さん、余計ですが食事はちゃんととっていますか?」
「え? あ、ああ。まあ……」
言われてみたらここ最近、栄養食のゼリーや固形の物ばかりを口にしていた。きっと今食べている物が“ちゃんとした食事”に入るだろう。
「……時間が無けりゃ、飯を作ろうとは思えませんよね。すみません」
「あ、いえ。俺も言われるまで食事の事なんか考えてなかったです。……ただ、胃に入れば良かったので」
「…………なら、今日は私が奢りましょう!」
「へ?」
「まあ、道楽でやっているんでね。良ければ色々食べていって下さいよ。苦手な物はあります?」
「い、いえ。無いですが、いや、え?」
新しい皿に新しい具が乗せられ、机に置かれる。俺は断るが、店主があんまりにも悲しそうな顔をするので、有り難く頂く事にした。
「……私はねえ、人は仕事ってやつにあまりに生を支配されている気がするんですよ。いや、きっと子供達でも学校に支配されて藻掻いている子もいるんでしょうねえ」
店主はどこか遠くを見る目でそう言った。俺はただ黙って言葉の続きを待つ。
「私みたいな奴にはね、こんな事しか出来ないですよ。もどかしいったらありゃしない。人にとって生きるという事が、苦しいばかりなんて、そんなの何が人生なんだか」
鼻の奥がツンと痛む。辛子を入れ過ぎたとかではない。鈍くなっていた感情が何かに照らされたみたいに浮かんできているからだ。
「貴方は偉い。十分やっていらっしゃる。だから好きなだけ食べて腹を満たして行ってくださいな」
視界が揺らいだ。名前も知らない誰かの前で、俺は声を殺して泣いた。
「お月さんの下ではねえ、辛いって言っていいんですよ」
――不思議な屋台の名は月下堂。月の綺麗な晩、誰かがまた誘われる。
日々家
#三日月
みかづき むつき はづき
違和感なし
「お月さまって、なんでひとつしかないんだろう」
遠くを見つめて先輩は言った。その一言だけで、僕は宇宙を旅する猫みたいな気分になった。月って、ふたつ以上ほしいものだろうか。
月は北極星なんかと違って動くから、道しるべには向かないけれど、それでも、行き場のない暗闇を照らしてくれる光ではあるはずだ。縋れるものがいくつもあったら、どれを頼りにしていいかわからない。
そんな夜をこれっぽっちも知らない先輩は、言う。
「だってふたつあったら、三日月の夜は笑ってるみたいに見えるでしょ?」
屈託なく笑うその顔を見て、僕は知る。夜空が笑っていると、先輩は嬉しいのだ。それなら月がふたつあったっていい。満月の夜はぱっちりおめめだし、新月の日はどこに目があるのかすらわからないけど、空も笑う日があるというだけで、明るくなる心もきっとある。
「右の月には私が住むから、左の月は君にあげよう」
「当然のように所有権持ってますね、先輩」
「地球が滅んだら移住する予定なんだ」
目に住んでしまったら、笑っている夜空を自分では見られなくなる。そういう細かいことをきっと先輩は何も考えていない。先輩はいつも適当だ。
そして先輩はひどい人でもある。とてもひどい先輩は、僕と一緒の月には住んでくれないらしい。月と月の間を行き来するロケットが、その頃には出来上がっていてくれないと少し困る。