『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「あ〜!定期券忘れた!」
忘れたのは私ではなく幼なじみの親友…
「どうしよう〜」と電車内で困惑していた
親友が私にこう言ってきた…
「先に出て定期貸してよ」と…
田舎ののんびりな駅も通学時だけはごった
がえしたので、ドサクサにまぎれて貸して
と頼み込まれた…
16歳の浅はかな計画だった
何だか可哀想になって「いいよ」と私。
最初に走って出て後方にいた親友に柵越し
に手渡した瞬間…
「こら!何やってんだ!」と駅員さんの声
バレないはずがないわけだ…
学校に行き着く前に駅員さんにこっぴどく
お叱りをうけ私の定期券は没収された。
「学校にばれるよね」2人で話し合って
担任に自首を申し出た私たち…
その後、学校でも怒られて反省文を書かされた。
下校時、駅に寄り謝罪をして定期券を返してもらった…その時駅員さんが言った
「何で学校に言ったんだよ」と…
お灸をすえて返すつもりが自ら自白した私たちに苦笑いだった駅員さん…
一日中ずっと謝り続けた私たちであったが
結局は「自業自得」と言う事だ…
「友だちの思い出」として今も鮮明に残っている。
「友達の思い出」
私には友達との思い出がない。
友達は欲しいそう思ったこともある
でも私には友達はいない。
寂しくても辛くても羨ましくても友達はいない。
それでも私は頑張ってる、
渡り廊下でどっちが変かを競って踊っていたあの頃
雨でずぶ濡れになりながら青春ごっこをしたいと
本気で話していた君のことは友達だと思っている。
___________
君が私のことを友達だと思っているか、ましてや何番目に大切とかはどうでも良いんだ。
こちらだけが友達と思っていた
勘違いだった。
本当は嫌いだった
友達なんて思ってなかった。
でも幼い頃は
知り合いではなく友達
それしか知らなかったの。
相手の心をボロボロにしない程度に
上手に嫌い嫌われる
そして都合のいい時だけ
友達なんて刃を振りかざす
知り合い。だけど友達。
–友達の思い出–
「友だちの思い出」
いい思い出、悪い思い出、それぞれいっぱいある。
大切な友だちの思い出。
両方とも大切にしていきたい。
どっちの思い出があるから今の私がいる。
いい思い出は、楽しい気持ちになるし、
悪い思い出は、反省して間違ったことをしないために。
"友だちの思い出"
当然《あの時》の嫌な思い出だけでは無い。
一時期俺の診察室に入り浸りすぎて『あの人誰?』と、まるで怪談のように噂が立っていた時があった。
業務に支障が出ていないし別にいいかとほっといていたら『あの人ってまさか花家先生の背後霊……』なんて言われだして、さすがに来る頻度減らすように言ったし、他の医師や看護師にはちゃんと説明した。
あのままほっといていたら、間違いなく俺自身や診察室のお祓いをさせられていた。
別にお祓い自体はいいし、むしろして欲しいが、友人が背後霊扱いされ、これ以上大事になって不安にさせたり迷惑をかけるのは居た堪れないから。
日が経った後は笑い話にされたが、ちっとも笑い話じゃない。
友達との思い出
私が高校の時悪口言われてた時にクラスで1人だけずっと私の味方でいてくれて居場所を見つけてくれました。
クラスの人から私と関わらない方がいいよって言われてたはずなのにそれを無視してくれて泣いた時もあったけど相談聞いてくれました
あんなこともこんなことも
そうだったっけ?
どうだったっけ?
すべからく、笑い話、酒のツマミ
過ぎていく、忘れていく
それでいいのかな。多分、いいのさ
そんなもんだよ友達なんて、人なんて
でも、この関係は過ぎ去るものにしたくないから
何度でも乾杯
私たち、思い出を更新中
【テーマ:友だちの思い出】
友だちの思い出は、沢山ある。
今はもう、友だちの思い出の「思い出」部分だけしか残ってはいないが。
私が、友だちから無視をされても何も思わなくなったのは何時からだろう。絶妙に保たれてたバランスがゆっくりと傾いて行くように、はたまた、砂時計が気付かぬ間に全て落ちきってた時のように、ゆっくりと、しかし瞬く間に私は人としての感情を失っていた。
いや、失っていた、と言うとちょっと違うのかもしれない。ただ見栄を張りたくてそう言った可能性もあると、私は心のどこかで思っている。
自分の感情に鈍感でいた方が楽だと、自分自身を洗脳し始めた時から、本心がどこにあるのかが分からなくなった。
それに対しても、特に危機感や焦りなどはない。どうせ、長生きする気はないのだから、と死という逃げ道が常に目の前に佇んでいるせいで、何もする気が起きないのだ。
死は救済だ。それは、私にとってだけで多くの人にとっては、違うのだと思う。
死は、人の数だけ存在する。天使か悪魔か、大人か子供か、見る人によって姿を変える其れは、私から見ればもう一人の私だった。
死によって、私は完成するのだ、と厨二病も大絶賛のこの言葉を平気で吐けるほどに、心の底からそう思っている。
ああ、話が逸れてしまった。
私は大変仲の良かった(そう思っていたのは私だけかもしれないけれど)友だちに、無視をされた。
二人で遊びに行き、お揃いのものを買って、笑いあっていたのに。
話しかけた言葉に帰ってくる音は無く。それを何度か続けた後に、「嗚呼。やっぱり」と確信したのだ。
最初は、悲しかったのだと思う。けれど時間が経つにつれてどうでも良くなった。
私が何かしたのなら、謝りたいと思う。しかし、それすらも教えて貰えず、謝罪を受け取り許したくもないのなら、関わらなくて良いのだろう、と自己完結したのだ。
私と彼女の物語は、そこで完結した。
ならばもう、何かを考えることも感じることも必要ないだろう。
私は、友だちの思い出だけを手に取ることで、それで充分に満たされている。
それだけなのだ。それだけで、私は彼女に対して興味も感情も失った。その事実がとても悲しい。
友だちとして、とても好きだったし愛おしかった。
なのに、人間として信用も信頼もしてなかった。
これは別に、後悔でも懺悔でもなんでもないけれど、自分が自分じゃなければもっと上手く生きれていたのだと思う。
ごめんなさい。マトモに生まれていれば、人間としての感情が、もっとあれば良かったのかもね。
それでもまあ、仕方ないか。生まれてしまったんだから。私が私として。
じゃあ、またさようなら。
貴方が長生きすることを祈ってます。
───────────
これは、誰にも分からない呪いの言葉。
けれど、貴女からしたら祝福の言葉。
──────────
私は本を通して他人の人生を経験する人なんですが(多くはそうかも、)本の中に入って自分が全てを受けたように感じる、傷も胸も酷く痛む、のに、でもやっぱりそれはまがい物、授けられた物で、結局は返さなきゃ行けない。
男になったり女になったり、賢くなったり馬鹿になったり、犯罪者になったり。そうしても結局、現実の自分は何も無いただの人間。ちょっと悔しい。
今日は、「少女葬」と「贖罪」を読みました。
どちらを読み終えても、苦しくて胸のモヤモヤは決して取れず、数日は思い出してしまうだろうなと思いました。
昨日は、「滅びの前のシャングリラ」を。
何を読んでも、やはり死は救済としか映らない。
生きたまま何もかもを背負って生きる方が、死ぬよりも何十倍も難しい。
「友だちとの思い出」
カラオケでBestFriendを一緒に歌ったよね。
社会人になった今は過ごせない青春のひととき。
友達と良い思い出!
一緒にサッカーしたし一緒にホットケーキ作ったしたくさん夜語り合って飲んだ!
楽しかったなぁ!
また戻りたいなぁ!
キミの好きなところ
お料理上手なところ
豪快にわらうところ
正義感が強いところ
ほっぺたのそばかす
おっちょこちょいで
免許の更新を忘れて
自学へ通ってたこと
忘れない忘れないよ
たくさん笑ったこと
またどこかでねまた
『友だちの思い出』
友達との思い出
小学生の頃から一緒に遊んでいた友人2人とは
大人になった今でも連絡を取り合って
ご飯に出かけたりしている
今までを振り返れば二人と過ごした日々は
思い出がたくさんで懐しい
これからも年を重ねながら二人と一緒に
楽しく過ごして時間を大切にしていきたいと
思っている
友だちの思い出
こんな私でもあるんですよ。一応。
今現在、友だちとの連絡を断(た)ってしまったから、友だちとゆーより、友断ちだ。
正確には、こちらが断ったとゆうより、断たれたと言う方が合ってる気がしてる。
でもね、時々あの子達と過ごした日々を思い出して、少し笑顔になる自分がいる。
何十年経っても消えない思い出って、すごくありがたいと思う。
ただ、私にとっての楽しい思い出が、あの子達にとってもそうであるかは、わからないんだよね。
当然のことだけど、友であっても他人。心の内は手に取れないから。それに気付くのが遅過ぎたんだよね、どんだけ鈍感なんだよって。
それでも、わがままではあるけれど。
彼や彼女たちが私と一緒に過ごした日々を思い出した時、「しょーもない毎日だったけど、なんか楽しかったな」と、ほんの少しでも笑顔になってくれたらいいなと、心から思い願います。
end
友だちの思い出。
あの頃はよかったね。
“あの頃”だって嫌なことや苦しいことはあるはずで、そんなの幻想だよ。
まあ、そうだね。だけどさ、思い出って支えになるんだよ。だから、そう思える事はきっと、素敵なことなんだよ。人間の、特に若い人、思春期の記憶っていうのはさ、危険を回避するためにポジティブな記憶よりも、ネガティブな記憶の方が残りやすいんだよ。そう考えたらさ、”あの頃はよかった!”って思える記憶は、たとえ嫌なことと隣り合わせだったとしてもね、宝物にしていいと思うの。
これからも、支えにして生きていこうよ。
最後の友達の思い出には僕の姿が映っていた。
僕との野球が友の最後の思い出になった。
今でも思い出してしまう。
帰り道、君は夕日を背景にして
こっちを振り向き手を振った。
そして君は僕の目の前から姿を消した。
僕はその事実を未だに受け入れることはできない。
ベッドに入るとふと思った。
あのクラスで私のことをいじめてきたあいつは今、私より幸せなのだろうか…と。
正直、私は幸せの絶好調にいる。趣味も、優しい仕事仲間も、さらには恋人にまで恵まれている。だからこそ時々怖くなる。この生活がいつか終りを迎えて全てなくなってしまうのだろうかと。
この前たまたま会った昔の同級生が言っていた。
【私】ちゃんのことをいじめてた子いたじゃん?そいつ今結婚して子供最近産んだらしいよ~そんなやつが親なれるわけなくねw?
私は思った。
なんで不幸になってくれないの?
私より幸せにいることが許せない。
あいつの旦那不倫してるの知ってるのかなw
はやくバレて離婚しろよw
何故か思考回路は悪い方に、悪い方だけに進んでいった。
気づくと夜が明けて、窓からは少し明るい光が差し込んできた。
私は寝返りを打った。するとそこには恋人の寝顔が目に映った。ものすごく愛おしくて仕方がない。
彼が私と一緒のベッドにいることが嬉しすぎてついつい思ってることが口に出てしまった。
「もうすぐであいつじゃなくて私の旦那になるのね…」
そんな昔の思い出を振り返りながら
私の復讐劇はまだまだ始まったばかりだ。
お題:昔の思い出
#7『友達の思い出』
私には親友がいた。
でもその関係は10年で終わった。
保育園児から小学生までずっと一緒だった。
夏休みは毎日外で遊んだりお互いの家で遊んだりした。
中学生になってからお互い仲のいい友達が出来て関わるのはだんだん無くなった。
写真の私はいつも笑ってる。
戻りたい。
題【友達の思い出】
友達の思い出?
うーん。分からないな。
えっ、なんで分からないかって?
えっ、逆にわかってたら怖くない?
だって、私は友達のプライベートなんて知らないよ?
友だちの思い出
社会人になってから、中学でクラスが同じで一応友だちと言えるか言えないかくらいの相手から電話を受けること数十回程度。
毎回選挙の話されました。
親から、それは○○の人なんだねと聞き、初めてそういったシューキョーとセイジの関係があることを知ったのでした。
電話では、ふーん、そうなんだなるほど、選挙には行ってみるよ!と答えつつ(誰にいれるかはもちろんワタクシの自由ですが)毎回大変だねえ、とねぎらうと、電話しなくなったら活動やめたと思ってください、などと返された記憶。
すっかり電話は来なくなりました。元気にしてるかな。会いたくはないですけどね。