『私の名前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私の名前
別の世界で幼い女の子を導いている
老婆がいた。美しい虫がいた。
そのモノを私は夢で何度も見た。
そのモノのように全てを見通すことは出来ないが
少し力を借りたくて
名前を借りた
結婚して名字が変わって嬉し恥ずかしい気持ちだったのに…今は何だかギチギチに縛られてる感じ。
苦しい時、辛い時に旧姓で書かれた自分の物を見ると心がキュッってなる。
頑張れ私!
頑張って頑張って20年後にでも旧姓に戻ってやる!!
それまでは責任持って頑張るからさ!
「透けて香る名前」
「名は体を表す」だの、「親がこういう子に育って欲しいという願い」だの言うが、私はこの名前が嫌いだ。
私はこの名前みたいに可愛くない。
私はこの名前みたいに魅力がない。
でも、あなたに出会ってからはこの名前が好きになった。
「ぼく、名前好きですよ。名前の通り可愛いし、色々な魅力があって。」
「あと、香りも好きですよ、香(かおる)さん。」
...香り?
変な人。
でもあなたの透けるくらい純粋なところ、好きだよ。
透(とおる)くん。
「揶揄われる筋合いはない」
ある人は、キラキラネームだな、と言う。
別の人は、古風なお名前ですね、と言う。
人によって印象が違うのは仕方がないけれど、どうやら読めない人はキラキラネームと認識しているようなのだ。
仕方がないのかもしれない。
だが、わざと間違った読み方をされ揶揄われるのは腹が立つ。
小学生のころ、揶揄ってきた同じクラスの男子に反撃して泣かせたことがあるが、これは黒歴史だ。
この名前を読める人も、なぜこの漢字でその読み方なのか、知っている人は多くない。
私の名前の由来は、それと関係がある。
だが、由来を長々と説明するのは面倒で仕方ない。
古今和歌集の和歌でも使われている言葉。
読み方は珍しいけど、意外とこの名前の人は存在している。
私と出会った人は、この先どこかで私と同じ名前の人に会ったとき、間違うことなく読めるはずだ。
「そうは言うけど、まだ出会ってないなぁ」
長い付き合いの友人が、子供をあやしながら呟く。
高校入学時にクラス名簿を見て、名前の読み方を尋ねてきたのがきっかけで話すようになった子だ。
「大学の時の友達で、今パートで医療事務してる子がいるんだけど、この前、私と同じ名前の患者さんがいたって」
「へー。どんな感じの人だったって?」
「おばあちゃんだったらしい」
「やっぱり古風な名前なんだよー。まぁ私も人のこと言えないけど」
「だよねー」
この子に限らず、私の友達は古風な名前の子ばかりなのだ。不思議なことに。
────私の名前
「私の名前」
私の名前は、美恵。
「美しい知恵に恵まれるように」つけたとおばあちゃんに聞いた。
その名前と半世紀付き合った。
そして思う。
美しい知恵に恵まれる時は、人の役に立つ時だ。
自分勝手な時は、美しい知恵はやってこない。
「名前、なんて言うんですか?」
「わたしの名前は ___ って言います。」
このやり取りって何気ないけど、実は凄く良い瞬間じゃない?
生まれた瞬間の記憶を持つ人間はそう居ないけど、
両親から初めて頂いたプレゼントは誰しも覚えてるじゃない。
だって、初めてのプレゼントは自分自身の名前。
両親から初めて頂いたプレゼントという
'' 宝物 '' を相手に見せびらかして自分を表現する瞬間。
だから、名前を知るって大事なんだよ。
初めましてなのに、相手の大切な宝物が知れちゃう。
どんな形であろうと、
わたしはわたしの名前を一生大切にするし、
貴方も貴方の名前を大切にして欲しい。
「私の名前」
「親から貰った名前なんだから、大切にしなさい。」
うるさい。何でお前らは名前が大切に思えるの?
【貴方の名前の由来は?】
中学校の頃、家庭科の課題で出されたプリント。その中の一つに、名前の由来の欄があった。俺は両親に聞いた。
「俺の名前の由来って何?」
「そんなのないよ。適当につけた名前だからね。」
その言葉を聞いた瞬間、時間が止まった。姉二人には理由があったのに、何で俺だけ。手が震えた。結局、名前の由来は書けずに提出した。
あの時から、俺の中でモヤモヤが消えない。家族から先生から友人から、名前を呼ばれる度に苦しくなった。もう辞めろ。俺の名前を呼ぶな。俺が無意味な存在みたいじゃないか。こんな名前で呼ばれるくらいなら、死んだほうがマシだ。
海月 時。これが今の俺の名前。自分でつけた意味のある名前。俺はこの名前が好きだ。
【海として地球の一部になり、月として宇宙の一部になれたのなら、俺の時間は未来へと移り変われる。】
海月時として生きる時、俺は酸素が吸えた。きっと馬鹿馬鹿しいと笑う奴も居るだろう。例え何と言われようと、俺は自分を殺してでも、自分が愛した名前と生きる。
・5『私の名前』
午後から出社した。
銀行に行ったり早め処理しなければならない事はそれなりにあって忙しくしていたので朝の事は忘れられた。
嫌な事は忘れるに限る。
会社を出ると私の名前を呼ぶ声がした。
Kだ。私の自転車を返しに来たのかと思ったら自転車は見当たらない。
カフェに行こうと言われた
……禁煙のところなら、と私は答えた
【続く】
「私の名前」
以前名前について、母に聞いたことがある。
どんな風につけられたのか。
答えは意外と単純だった。
名前は親から与えられる最初のギフトだと。
それを聞いた時、私の名前にも何か意味があるのかなと思ったけど、母から聞いてがっかりした記憶がある。
子供もペットもいないけど、大事なものに名前をつける時は、ちょっと辞書を引いてから、名付けサイトで見て、名前を考えてつけようと、意味もなく思った私だった。
「名前について思った事」
昨今、俗にいうキラキラネームや、読み方だけの当て字で作った名前を見ると、平凡でもちゃんと考えてくれた名前は、時代を超えて親の愛を感じてならない。
かといって、キラキラネームは悪いわけではない。
そこに親の愛があるかないかで、子供がどう受け止めるかが問題だ。
名前が変えられる、自由がある現在は、とても運がいいと思う。
私の名前
(本稿を下書きとして保管)
2024.7.20 藍
私の名前はあて字
人名辞典かなんかで探して名付けた
ただ「友」という字は入れたかった
そう親に聞かされていた
願いも思い入れも特にないらしい
でも私は
何気に自分の名前を気に入っている
当て字なせいで幼い頃からよく漢字を書き間違われてきた
卒業証書は明らかに付け足したような
他の字と違う色とバランスの悪さ
間違われたまま渡されるよりはマシなのだろうけど
就職の際に交わした雇用契約書にも名前と違う漢字の表記があった
訂正をお願いしたものの
再度提示されたものは前回とはまた別の違う漢字が使われていて
また訂正するのは面倒だったのでそのまま放置した
幸い公式文書で間違われることはなかった
郵便も違う表記のまま何事もなく届くことが多々ある
よくこれで届くものだ
住所さえ合ってれば他はどうでもいいのか
最早訂正するのにも疲れてきた
でも
間違われたままなのは流石に癪に障る
私を示す唯一の名前なのだから
そんな思いで間違われる度にしつこく訂正し続ける
今後の人生
あと何十回訂正すればいいのだろうか
私は覚えるのが苦手だ。人の事は疎か、自分の事ですら分からなくなることがある。一時期は病気なのかと疑った時期もある、まぁネットで調べても何もなかったんですけど…学校行っても苦労しかなかった、名前が思い出せず何なのかも分からなくて自分がいやになった。「あぁなんて自分は不出来な奴なんだろう。どうして皆と一緒じゃないんだろう」皆と違って自分は不出来。これだけで私が私を嫌うのには十分な理由だった。
実はこの症状?だけは実際に自分に起きた出来事なんですよ。名前とか誕生日、年齢すら忘れてしまって一時期は大変でした。ちなみに今も年齢は覚えていません。
#私の名前
僕らさ、
どうせ死んだらなんて呼ばれてたとか関係ないじゃん。
私の名前
自分の名前が好き。こんな名前で生まれてこれて嬉しい。あだ名も気に入ってるし、皆に親しんで貰えてる。ずっとこんなふうに、言われる日々が続いてほしいな。何かしらの節目を迎える頃には、いつもそう思う。
でも、不思議。私の名前のどこがいいのかが分からない。なんとなくそう思うのかな?よく分からないけど、まぁいいや。
あの人、元気にしてるかな。
私の名前
私の苗字は珍しい。
読みはありきたりだけど、
漢字が日常ではまず見ないようなもの。
1文字を説明する難易度が高すぎるの。
だから、よくある苗字が羨ましい。
小さい川で小川とか、大きい森で大森とか、
説明するまでもない、佐藤、鈴木とかさ。
『まだ私の名前を覚えている?』
あなたが私の名前を呼ぶたび
胸がキュッとなる
その理由に気づいた時は
もう会えない距離
#私の名前
私の名前
まいねーむいずしもへいへ
苗字と名前をもじったあだ名で気に入ってるよ。
苗字と名前両方揃って初めて個体の識別がしやすくなるのだから、あだ名とか両方の要素が入ってるとキレイだな〜って思うよね。
私は私の名前に負け続けている。
物心ついてからずっと名前と戦ってきたけれど、100戦98敗といった具合でボロ負けだ。そのたった2回の内訳は、親と幼馴染み。自分の力で勝ったとは到底言えない。
私の名前は変わっている。いわゆるキラキラネームというやつ。口頭で自己紹介するとまず漢字を聞かれるし、書類に書けば読み方を聞かれるし、会った事もない隣の隣のクラスの人に、ああ名簿で名前見たことあると言われたこともある。そうしていつも私を置いて、名前が独り歩きしていく。私はそれを、どこか他人事のように眺めているものだ。
国語の教科書のどこかのページにこんなことが書いてあった気がする。名前は物を識別するラベルのようなものだ。椅子と名付けるから、四角い板に4本足がついているものを椅子と机に分けられるし、名前がなければその2つを分けることもできない、と。
ラベルはときにそのものより先に情報として入ってきて、偏見や先入観にもなる。例えば、女とか子供とか外国人とか老人とか、個別のものを失わせてもっと大きな集団の一部に吸収してしまうのだ。人の名前だって、個人を識別するためにつけるとはいえ、大抵は既にある名前の中から名付けるし、名前によって国籍や性別を表したりもできる。
人の個性って本来そうやってどれもありきたりなもので、掛け算で唯一無二になるのだと思う。早起きが苦手な人はゴマンといるし、あのアイドルが好きな人はゴマンといるし、この街に住んでいる人もゴマンといるけれど。早起きが苦手であのアイドルが好きでこの街に住んでいて…とかけ合わせたら私だけだ。
なのに私の名前は、名前だけで私を独特な存在にして、私の内に宿る普遍性もそれらが合わさってできる私らしさも失わせる。私の名前の個性が注目されるとき、かえって私はただその名前のラベルが付けられただけの空っぽな器になってしまうのだ。
名前に負けない個性を磨いてやろうといろいろな趣味に挑戦したりもしてみたけれど、あれこれするうちにどれも中途半端になって、結局何もない私になってしまった。
そうして何もない私にたった一つ残った個性は、私の名前だけだった。私はやっぱり、私相手ですら名前に負けてしまうのだった。
「私の名前」
「私の名前」
私の人生のタイトル
それが 私の名前
″明るく生きよ″と
仰せつかった私…
どんな辛いことがあっても
どんな悲しいことがあっても
明るく生きてなんぼの人生らしい
参ったなぁ…
仕方ない!!
とことん明るく生きて見るか ꉂ(ˊᗜˋ*)
【書く練習】
[君と僕の散歩道:9君がいなくなっても]
君がいなくなった
涙はでなかった
わかっていたはずなのに
ただただ呆然として現実を受け入れられなかった
君の好きだったもの、一つ一つ手にとって、そっと撫でる
君の遊ぶ姿を思い出して胸が苦しくなった
いつもの散歩コースを一人で歩いた
僕の前にはいつも君が歩いていた
ああ、いつもこの辺で動かなくなったな
立ち止まって空を見上げる
いない君に話しかける
なんでここで止まってたのさ
お前と一緒にこの景色を見たかったんだよ
風が吹いて、草原がザザザと波打つ
川辺の水はキラキラと反射していた
確かに美しい、いつも見ている景色のはずなのに
うん、確かに良い景色だね
だろっ!
…君が居なくて寂しいよ
新しい犬を飼えばいいだろ
いやだよ、僕は君がいいんだ
女々しいやつだな
…君のことが大好きだよ
はずかしーやつ
ふふっと笑みがこぼれた
ああ、笑えるんだ、君がいなくなっても僕は笑えたのか
さあ、帰ろうか