テーマ:「スリル」
雷が走ったかのように肌の表面が痺れ、鋭敏な感覚が思考をフレームへと細切りにする。
拳銃の角度を見て咄嗟に傾けた額を、鉛の塊が掠め、一瞬の間を置いて血流が噴き出す。
その後に訪れるであろう暗闇を察知していた脳が、与えられた一瞬のうちに今の視界を網膜へと焼き付け、
そして、閉ざされる前に目を閉じることで眼球を保存し、
闇雲に踏み出した一歩で距離を詰め、
頭を相手の頭に向かって突き出す。
衝撃と流動する液体が、攻撃の成功を証明し、
一歩引きながら服を破り、顔を一通り拭き取るようにしてから、源泉を巻きつけて塞ぐ。
目を開けると、拳銃も失ってその場で闇雲に暴れるだけの姿が見え、
その緩急に合わせるようにして、私は勢いのついた拳を相手の頬へと叩き込んだ。
テーマ「脳裏」
美しい、と
称せるような感傷だった。
今、考えると…、
いや、今に至るまで何度も考え直した結果として、
私が彼女に抱いた、あの感情の由縁は
容姿、ではなく
所作だったのだろうと確信している。
真面目な彼女が毎日着ていたのは、
見直してみなければ、
白と赤と黒を基調としていた事が分からない、特徴の薄いセーラーに、
太ももがギリギリ見え無いくらいの長さのスカートであり、
そして、身に着けていた装飾は、
男性が着けても印象が変わらないような黒フレームが楕円のガラスを包む平凡な眼鏡と、
ほんの少し配慮したような可愛げがある為に、
却って印象に残らないような、髪を纏めるためのクリーム色のゴムだった。
当時の私はルールを創作せしめる様な同輩に対して、
追従には至らない程度の遠巻きな憧れを抱いており、
その代償、或いは証左として、
変哲も無い風体の生徒を、
内心…
正確に言うと、
自覚するほどではあるが、口には出さないくらいの心持ちでもって、
軽蔑して見下し、
そして実際に、
敬遠していた。
教師からの心証の良さだけが頼りになるような連中とみなしていた彼女とは、
授業時の噛み合わせの運も相まって、
同じクラスにいながらほぼ一切の交流がなく、
一緒にいた数人の、進学時に別れてしまった知り合い達からの嘲笑への恐れもあって、
自分から話しかけることもなかった。
そのまま、出会いと別れを繰り返す中で、
何人かの客観的な事実として美人と言えるような女性と話す機会に恵まれ、
その上で、
私にはあの時以上の感動がもう無いのかもしれないと、
今の今まで思い続けてきている。
喋り方から歩き方に至るまでに感じる全ての物足りなさが、
あの時代のよく知りあわなかった彼女に連なっていると自覚してしまった今の私は、気づけば何度も何度も夢想してしまっているのだ。
掠めていたのだろう、青春の日々を。
テーマ「意味がないこと」
チリン。
風の音で、私は目を覚ました、
何もかもが詰まった黒のような、何もかもが無いような白のような、
線引きがなく、判然としない頭の中で、
真っ先に産声をあげたのは、
「寝過ごしてやいないだろうか」
という、馴染みきった不安で、
私は近くのテーブルに置いていたであろう
端末に、ほとんど無意識に手を伸ばし、
そこに書いてある数字に、まだ、お昼時だと言い訳が聞きそうな
時間帯を見た。
寝付きの悪さを考慮すると、正確性には欠けてしまうようだが、
オムライスを食べ終わった時に消した、テレビに最後に写っていたOP曲の事を何となく思い返すと、
「大体、2時間くらいだろうな」
と、考えた。
休日の、昼食後の、独り身での、中時間の、風通しの良い晴れの日の、お昼寝。
随分と、気前の良い言葉なのだが、
それでも少しの後悔………
とはちょっとズレた、
残念というような気持ちがあって、
その芽生えた感情に
未練がましさを自覚してしまって、
チリン。
風が笑っているんだと、思った。
テーマ:「柔らかい雨」
ぽつぽつと、音が聞こえ始めた。
本来であればこの後に、ザブザブというような喧騒や、ボタボタというような振動が続くのだろう。
ただ、今日の音はそのままだった。
…精々、その天候を名乗るために最低限必要なだけの勢いをともなった、
不協和とも、調和とも判断のつかない純粋な水と土との触れ合いを、
私はじっとその場で、聞き続けた。
そのうち、波を思い出した。幼い頃、浅瀬の中から見た海面の波を。
揺らめく視界の中での、全身で水に触れ合いながらの、自然な態度のそれは、
砂で立ってみた時よりも、神秘的で、違って見えたのを思い出した。
そしてそれが、雨を、ほんの少し暖かく感じさせた。
そろそろ止むだろうな、と感じた。
それが、時間のせいなのか、温度のせいなのか、思い出のせいなのかは、分からない。
ただ、実感だけはあって、
気がつくと体の準備が出来ていた。
数分後、雨はやんだ。
ほぼ同時だったそれに、
感謝とも、寂しさとも、愛しさとも、
なんとも判別できない感情を抱えつつ、
私は、漸く帰路についた。
多分、包んでくれていたのだろう。
テーマ:『心の灯火』
キンッ
「しまっ―」
盾を弾かれた瞬間、隙かさず突きを放ってきたその右腕が、
ズブリ、と
腹と背中、そしてその中にある内臓を穿つ、その衝撃を感じながら、
俺の目に映る視界は歪み、意識は暗闇へと落ちていった。
どこからか、自分に向けられた愛おしそうな声が聞こえて
すぐに、自分が今、夢の中にいるのだと気づいた。
目の前には自分をあやしつける
母親が…いた。
そうしてしばらくの間、赤子の側からの平凡だがかけがえの無い親子の一幕を見て、
俺は、一つおかしなものがある事に気がついた。
母の胸が透け、そこに火が見えたのだ。
それが何だか熱そうに燃えているのを見て、
俺は最初、これは死神だけが見えるという命の灯火、なのではないのかと思った。
…その認識が間違いだと分かるのに、
そう時間はかからなかった。
度し難い程、濃くなっていく鼻が裂けるような鉄の匂い、
頭の後ろから聞こえる甲高い悲鳴と、その合間を縫うように吐き出される重い吐息。
暗闇で感じるそれらが、漸く終わり、
父によって母の抱擁から解放された俺は、
ボロボロになった母の胸の中の火が
細く、小さくなって
消えかかっているのを、見た。
俺はこの時こそが魔物に殺されたという母との今生の別れの時なのだと悟り、
どうしてこんな思い出せない程の物を
態々見せつけられるかと、
俺と重なって泣き叫んだ。
…目の前に燃え盛る火が飛び込んできた。
異臭の中でも確かに感じる、寂しい程に甘ったるい乳の匂い
頭の上から聞こえる、切れ切れの息の中で弱々しく、それでも何処までも優しく紡がれる子守唄。
温もりの中で母を感じ、目の前に今までにない程の火の盛りを見ながら
俺の意識は消え、
次に、目を開けた時、
あれだけ、
燃えていた母親の胸の火は
ただ静かに、消え去っていた。
その後、俺は、修羅の様になった父の手で育てられた。
記憶通りの姿の父の胸には記憶には無いどす黒く燃える火が宿っており、
俺は思い出したくもない程の厳しい日々を再体験することとなった。
そんな父との別れの日、
魔物に両の腕をもがれ、地を這わされていた父の火は、
急速に勢いを失っていったが、
それでも、俺をかばって貫かれたその胸には、
直前に、大きくて暖かな火が見えた。
始まりから終わりに向かって再び映し出されていく人生の中で、
俺は数多くの火の燃え盛るのを見た。
最後まで迷惑をかけた師匠も、
救えなかった村の娘も、
魔王に切り裂かれた仲間も、
皆、最期の時、俺の目のまえで胸の火を燃やしていた。
「グ、ハッ!!」
腹から頭へと上がってきた激痛と、口まで込み上げてきた血による窒息が気付けとなって、目が覚めた。
目の前には右腕の先の爪で腹をかき混ぜながら、勝ち誇る魔王がいて、
事実、力の抜けた俺には、もう情けない声で喘ぐ事しか出来そうになかった。
俺は、負けて、もう死ぬのか、と
そうして、落とした視界の先に、
自分の
消えかけの、
弱々しい胸の火が
見えた。
瞬間、俺の中で、
全てが弾けた。
今見たばかりの魔物に殺された人々の顔とその胸の火が、
高速で頭の中を過って行って、
それが、俺の胸の火の勢いを与え
俺は、
残った全ての力を、全ての思いをかけて
未だ片手に握られていた剣で
嗤う魔王の顔を、
真っ二つにした。
崩れ落ちた魔王の亡骸の上で、
薄れいく意識の中、
俺はまもなく死ぬのか、
と思っていると、
「勇者様!!」
今迄倒れていた仲間が意識を取り戻し、駆け寄ってきた。
泣くばかりで、それ以降何も言わずに胸の火を萎ませていく彼女に、
俺は絞り出した声で
「後の…こと…頼め、るか…?」
そう頼むと、
彼女はやはり泣いたまま何も喋れないまま、
それでも頷き、
その涙で縮んだ胸の火には、強い光が灯った。
それを見て俺は漸く、皆の最期が理解できた。
火は移り、継がれていくのだ。