【泡になりたい】
「これを3錠飲んだら本当になりたい物になれるの?」トロンとした目でヒサシの肩に顎を乗せて泥酔した私はその錠剤を見ていた
もうこの酔のまま覚めたくなかった
「人魚姫になれますように」
私はその錠剤を気持ち良くシャンパンと一緒に飲み干した
グラングランしてきて訳の分からない叫声をあげた、既に私ではない
意識はない
私は泡を吹いて床に仰向けになっていた
「もう少しで人魚姫にしてやるからな」とヒサシは言った
私はヒサシを愛してる、全ての望みを叶えてあげたい、なのに……ヒサシには彼女が居たなんて…だけどヒサシの願いを聞いたら私を1番に愛してくれるって言った
「愛してるよ、だから俺を助けて!
マリしか居ないんだよ」って言うから
差し出された紙に名前とヒサシが用意した印鑑で判を押した
それから一緒にお酒をいっぱい飲んで楽しかった、それなのにヒサシは彼女と結婚すると言った、「酷い!嫌だ!そんなの」と私が泣くと
「愛してるのはマリだよ」とまたお酒を私に注いだ、ヒサシの囁きは甘かった
「おっ!来た来た、遅いよ〰️
近くにいろって言っただろ
車に乗せるから手伝えよ」
そう言ってヒサシは弟分に金を渡した
「今、人魚姫にしてやるからな
泡になりたいんだろ」
その声を聞きながら私は海へ沈んで行った
足首に重りを付けられて……
重りの付いた人魚姫なんて居ないよヒサシ………
ヒサシ1つだけプレゼントを残してきたよ
ホテルの引き出しに
「私はヒサシに殺されます
いえ、殺されました」ってメモに書いてきたの
サヨナラ、ヒサシ
私、満足よヒサシに殺されて
だって死にたかったの
私が彼女だと思ってたのに利用しただけなんて、
だけどヒサシ、幸せになってね
ヒサシを本当に愛してたら彼女は許してくれるはずよ、殺人犯のアナタを…
【ただいま、夏】
グラスに溶ける氷が軋んでカランと鳴る
ミルクをかけてストローで氷を沈めてから
くるくる回す
ほろ苦いアイスコーヒーを1年ぶりに飲む
「ただいま、夏」
今年は一人で迎える夏
アナタ(夏)が戻って来る間に色々あったのよ
来年はまた誰かとアナタ(夏)を迎えたい
吹っ切るのに意外とかかってしまった恋だったよ
だってね、やっぱりそれは、あの人に出会ったのが夏だったから
思い出してしまう、どうしてかって?それは
切ない思いを初めて経験した恋だったから
切り傷も深かったのよ
だけど、もう大丈夫
今年は間に合わなかったけど
また、誰かとアナタ(夏)を待っているからね
暑い太陽を引き連れてやってきてね
【ぬるい炭酸と無口な君】
汗をかいた缶をずっと撫でていた
波の音だけが耳に届く
私は君の声を待っている
ひと口またひと口と私はぬるい炭酸を飲む
飲み切ったら私から言うよ
「ねっ、今夜の夏祭り、一緒に行ってくれる?」
無口な君は何も言わずにコンクリートのボコボコを指でなぞっていた私の左手の小指に
恥ずかしそうに小指を重ねて
小さな指切りをした
うつむいていた私はハッとして顔をあげた
其処には君の顔が近くにあって
ぬるい炭酸を飲んだ私の唇に
無口な君は分かるようで分からないような
かすかなキスをした
私はただ「あっ」としか言えなかった
本当は「好き」って言いたかったのに
【波にさらわれた手紙】
私はいつも海辺でサッカーのボールを蹴ってランニングするアナタの横で応援しているトイプードルのエミリです
毎日アナタが通るのを心待ちにしています
どうにかしてお友達になりたいけど
近づき過ぎると私はランニングの邪魔になります
そんなある日…私の可愛いの天敵チワワを連れたアナタと親しげに話す女性がいました
そうです……今の私の敵はその女性に他なりません
私はアナタを取られまいかと悲しい気持ちで二人を見ていました
私は思い余って道端のお地蔵様に「人間にして欲しい」とお願いしました
それを聞いていた科学者の太平教授が
私を可愛い女性に変身させてくれました
注意しなければならないのは濡れると元の犬に戻ってしまう事でした
私は太平教授の家で暮らしシャワーを浴びる度に犬に戻りドライヤーで乾かすと女性になれました。
私は太平教授に文字を教えて頂き、アナタへラブレターを書きました。
風の吹く海辺で私はアナタへラブレターを渡そうとしていました
アナタは未だ人間の私を見る前でした
突風が吹いてラブレターは波にさらわれました
私は咄嗟にラブレターを追って海へ飛び込み
犬かきで手紙を追って
トイプードルに戻ってしまいました
それでも想いを届けたくて
咥えたラブレターをアナタに渡すことが出来ました
アナタは「アレ?誰かのお使いなの?」と言い微笑んで受け取ってくれました
あの瞬間、あの微笑みは私だけのもの…心は満たされていきました
私は犬に戻っていたのでアナタの言葉が分からず「ワン」とシッポを振って返事をしました
私は犬に戻った自分を見て
何事にも無理があり行き過ぎは良くないと知りました
教授にもう人間にならないようにしてもらいました
完全に犬に戻った夏の日の午後でした
翌朝、私はアナタのサッカーボールのランニングを、少し遠くから応援していました
【8月、君に会いたい】
僕はトウモロコシ畑を歩いていた
川から吹く風で揺れるトウモロコシの波の中で…
あれは幼い頃見た幻なのか
僕は祖母の家に夏休み遊びに来ていた
少し高台にあるトウモロコシ畑
背の高いトウモロコシの間を歩くのが僕は好きだった
夕方と夜の間、太陽が落ちてほのかに光る頃
トウモロコシ畑を抜けて野原に出た
其処には青い瞳の君が居た
金色に揺れる長い髪に花冠を付けて座って野の花を摘んでいた
まるで絵本の中みたいで……僕は立ち尽くしていた
だけどそれは絵本の中なんかじゃない
その女子は野原の向こうに住んでいる「エリス」と教えてくれた
僕達は野原を走ったり、テレビで流行ってるアニメの歌を歌ったり、学校の話なんかもした
エリスは軍の中の小学校へ行っていた
僕は今にも消えてしまいそうな、とても綺麗なエリスに「また毎年、此処に来るよ、必ず来るからエリスも来て」と伝えてトウモロコシ畑をくぐり抜けて祖母の畑に出た
あれから僕は毎年、8月に君に会いたくて
こうして夕方と夜の間のトウモロコシ畑を歩く
今年も歩いている
あの野原を目指して
もう一度、あの8月の夢のような、君に会いたい
僕は何故か走り出した
分からないけど勝手に思い切り走り出した
野原に抜けて
エリスは花冠をつけて僕を見付けた
僕は驚いた
エリスは小学生のまま何も変わっていなかった
僕はとてもとても怖くなって祖母の畑まで戻った
祖母にはトウモロコシ畑には入らないように言われていた【魔除け】なんだと言っていた
お風呂に入って鏡を見て恐怖した
背中に小さな手の跡が紅く付いていた