『ブランコ』
フランスの画家ジャン・オノレ・フラゴナールの代表作に、「ブランコ」というものがある。
ピンクのドレスを着た若く美しい貴婦人が、庭園でブランコに乗り、脱げたミュールが宙を舞う瞬間を描いたものだ。
一見、とても美しく麗らかな情景に思えるが、よくよく注意してみると意味が変わる。
中央の女性の足元には、茂みから彼女をのぞき見る愛人の貴族が描かれている。彼の目線は彼女のドレスの中。足の間だ。
また、左端のキューピッド像は秘密を隠すように人差し指を口に当てている。
ここまでなら、秘密の恋。
だが、それだけでは終わらない。
女性の背後には、ブランコを揺らすロープを掴む初老の男性。彼は彼女の夫だ。
彼の傍らに描かれた天使像の表情は驚き?それとも困惑だろうか。
夫の周辺は薄暗く光が差していない。光を浴びているのは自分の妻と、その若い愛人。
なのに、夫の口元は笑みを浮かべている。
夫は何を思ってブランコを揺らしているのだろう。
美しいのに、どこかゾワリとさせられる一枚だ。
『旅路の果てに』
銀河鉄道の終着駅は、拍子抜けするほど静かな砂漠だった。
「ここが、終点?」
私が問うと、車掌は無言で古びた切符を回収した。
足元に広がるのは、星屑が打ち寄せられたような銀色の砂だ。
空には赤くて大きな恒星がふたつ。
これまで数多の星を巡り、石嵐の都も雲の上の遺跡も見てきた。
テクノロジーが発達し、すべてが1と0で構築された場所も。
その旅路の果てが、この何もない場所なのか。
その場にしゃがんで、小さな光の粒を手で掬った。
サラサラサラサラ。
幼い頃の草の匂い、誰かに言えなかった謝罪の言葉、異国の空の下で食べたパンの味。
不思議といろんなことが取り留めもなく思い出された。
果てというのは、終点でもあり起点でもある。
ここからまた旅に出るのもいいかもしれない。
さて、次はどこへ行こう。
『あなたに届けたい』
「やっと、君に届けられる」
男は悦びに震える手で、その小さな小包を丁寧に包んだ。中身は、彼女がずっと「欲しい」と言っていたものだ。
二人が別れてから半年。彼女は男からの着信を拒否し、居場所さえ教えなかった。
けれど、そんなものはどうとでもなる。男は彼女の新しいアパートも、新しい恋人の存在も、すべてを突き止めた。
「君はいつも、僕に『心』が足りないって言っていたよね」
男は独り言をつぶやきながら、真っ赤なリボンを結ぶ。
彼女が去り際に叫んだ言葉を、男は一言一句忘れていない。
――あなたには人の心がないのよ!
あんなに欲しがっていたのだから、きっと喜んでくれる。
男は、数時間前まで彼女の隣を歩いていた新しい恋人のことを思い出す。
あそこから取り出した、まだ温かく脈動していたソレも……
翌朝、彼女の家の玄関前に置かれた箱からは、甘い香りに混じって、わずかに鉄の匂いが漂っていた。
『I LOVE...』
「ママ大好き!」
その声は、色褪せたビデオテープの中でだけ永遠に繰り返される。
画面の中には、溢れんばかりの笑顔の娘。
その隣に立つ私は若く、幸せそうな顔をしていた。
今の私は、誰もいないリビングのソファで、冷めきったスープを啜っている。
娘が旅立ってから、どれほどの年月が過ぎただろう。
彼女が最期に遺した日記の末尾に、掠れた文字で書かれていた言葉を、何度も何度も頭の中で反芻する。
決して忘れないように。
途中で挫けないように。
ドラマや小説と違って、現実に復讐を遂げるのはとても難しい。
時間もお金も親しい人も、すべてを失くした。
けれど、何をなげうっても、どれだけの罪を負おうとも、私はやり遂げなければならない。
静まり返った家の中に響くのは「ママ大好き!」という無邪気な声だけ。
「……私もよ」
独り言のように呟いた言葉は、埃の舞う部屋の空気に溶けて消えた。
私の愛する可愛い娘が、画面の中で手を振っている。
『街へ』
寺山修司の著作で『書を捨てよ、町へ出よう』という本があった。
読んだのは随分と昔だが、面白く感じたのを覚えている。
で、この題名って元ネタがあるんだよね。
アンドレ・ジッドの紀行的詩文集『地の糧』に出てくる言葉で、書斎に閉じこもらず、旅に出て生の感覚を取り戻すことの重要性を説いている。
今日のお題の「街」の字は、商店やビルが立ち並ぶ賑やかな通りのことだから、より人と交わる若しくは多くの人を観察することになりそうだ。
たまにさ。
普段は人と関わるのが億劫なのに、本当にたまに、物寂しく人恋しい気持ちになることがある。
そういう時にふらりと街へ出てみるんだけど、当然周りは知らない人ばっかりで、いきなり話しかける不審者にもなれず、すごすごと帰ってきちゃうんだよなぁ。