【お題:突然の君の訪問。 20240828】
「ゴメン。今日は駄目なんだ」
俺のその言葉に、君は一言も発することなく俯いた。
チラリと玄関の三和土にある女性物の靴を一瞥し、くるりと踵を返して静かに去っていく。
その後ろ姿が寂しそうで、走って行って抱きしめたくなる。
あぁ、なんてタイミングが悪いのだろうか。
もう少しで一緒に暮らせるかもしれないと思っていたのに。
「何?誰か来たの?」
「あー、いや。ちょっと音がしたから気になって。何でもなかったよ」
「ふーん。で、ビールは?」
「あ、忘れてた」
「何しに行ったのよ。早く持ってきて!」
「はいはい」
リビングのソファでふんぞり返ってテレビを見ているコイツは腐れ縁の幼馴染。
家が隣で母親達が親友とくれば、それはもう兄弟のように育てられるってもんで、両親が2人ずついるような感じだ。
昔はコイツと俺が結婚してくれたらいいなとか母さんは言っていたが、兄弟のように育ってしまった手前、こいつに対してそういう感情はこれっぽっちも湧かない。
例え全裸で迫られたとしても、俺の息子はピクリとも反応しないと自信を持って言えるほどだ。
結局俺は大学進学を機に実家を離れ、一人暮らしを始めた。
まぁ利便性を重視した結果、築50年の古いアパートで大学卒業後もそのまま暮らしてる。
母親にはもう少しいい所に引っ越せと言われてはいるが、場所の利便性は譲れない。
そうなると、賃料が今の倍近くになるためどうにも二の足を踏んでしまい、結果いまだ住み続けているという状況だ。
いい物件がないか常に探してはいるんだけど、なかなかどうして見つからないものだ。
で、コイツ。
コイツは大学も地元の大学に進み、地元で就職し、今でも実家に住んでいる。
今俺の家にいるのは、明日ナントカっていうアーティストのライブがあるとかで、俺が会社から帰るとリビングで1人酒盛りをしていた。
家の合鍵は一応何かあった時のために母さんに渡していたが、コイツはそれを使って入ったらしい。
「ほい、ビール」
「サンキュ」
ソファの上で胡座を組んで、渡されたビールを早速開け、ぐびぐびと飲む姿はまるで中年の親父そのもの。
色気の『い』の字すら見当たらない。
「なぁ、いつも言ってるけどホテルとかに泊まった方がいいんじゃないか?」
「何で?お金かかるじゃん。それにアンタんとこ便利なんだよね。駅近いし大抵の会場に行くのに乗り継ぎなしで行けるし。最高じゃん」
「そうですか。ならせめて事前に連絡してくれ。こっちにも都合が⋯」
「え、別にアンタが居てもいなくても構わないし、私」
「俺が構う」
「えっ、こんなボロ屋に彼女連れ込むの?やめた方がいいよ、絶対。隣に声筒抜けじゃん」
「⋯⋯⋯⋯はぁ、もう良い。俺明日も仕事なんだ。風呂入って寝るから」
「はーい」
こんなヤツ相手に、どこの誰が欲情できるんだろうか。
もしそんな奇特な人がいるなら見てみたいものだ。
⋯⋯うん、考えるのはやめよう。
明日に備えて早く寝ておかないと、大事なプレゼンでミスしてしまいそうだ。
脱いだ服は洗濯機に入れておく。
風呂から出たら、タオルも入れて回せば、明日の朝には乾燥まで終わってる。
夜に使うことが多いから、できるだけ動作音が静かなものを選んだ。
価格は結構したけど、買って大満足な家電の一つだ。
「ねぇ。なんか酒の肴になるものない?」
「⋯⋯冷蔵庫の隣の棚、下から3番目に缶詰がある」
「わかったー。⋯⋯ふぅん、結構いい体してるね。それに大きい」
「⋯⋯⋯⋯はっ?」
「ナニよ、ナニ!」
「なっ、とっとと閉めろ!」
「へーい」
風呂場のドアを確認もなく開けて、人のナニを⋯⋯、本当にアイツと結婚なんて死んでも無理だ!
結局夜中までアイツはテレビを見て笑ったり、テレビ相手に話しかけたりしていて煩く、俺はあまり眠れずに朝を迎えることになった。
そして、朝のリビングの惨状に愕然とする。
転がるビールの缶、開けて少ししか箸の付いていない缶詰が5個、脱いで床に投げ捨てられた服、ソファに大の字になって寝ている下着姿のアラサー女子。
ケツをかくな、ケツを!
「はぁぁぁ」
口から出るのは大きなため息だけ。
朝食の準備をしながら、半裸のアラサー女子に肌がけ布団を掛け、脱ぎ散らかされた服を拾い集め畳み、空き缶を拾い、食べかけの缶詰を流しに運ぶ。
「勿体ないなぁ」
いざと言う時の非常食として買っておいたものだったのに、見事に全種類開けられてしまった。
まぁ、各3缶ずつ買っておいたのだが、また買い足しておかないと。
あぁそうだ、ビールも買ってこないといけないな。
買い置き分は昨日全部飲まれてしまったから。
「はぁぁぁ」
コイツが来ると大体いつもこんな感じだ。
だから事前準備をしたいから、連絡してくれと言っているのに、毎度毎度突然やってくる。
母さんに鍵を返してもらおうか⋯⋯、いや、無駄だろうな。
鍵がなくても来るだろうし、そうなれば今の比じゃないくらいご近所さんに迷惑がかかりそうだ。
気持ちよさそうに鼾をかいて寝ているアラサーに一応書き置きをして家を出る。
朝の清々しい空気の中、今日のプレゼン上手く行きますようにと、空で輝くお天道様に祈りを捧げた。
でも、この時俺は間違っていた。
祈るべきはプレゼンではなく、部屋の無事を祈るべきだった。
「⋯⋯⋯⋯嘘だろ」
たった半日、部屋を留守にしただけで、何故こんなにも汚れているのか。
テーブルの上には飲みかけのジュースが入ったペットボトル。
もちろん蓋はされていない。
それとビールの空き缶に、食べ終わったコンビニの弁当、アイスのカップ、そして化粧品の山が所狭しと並んでいる。
テレビも電気も点けっぱなし、エアコンは22度設定で点けっぱなし。
ソファの上には脱いだ服と下着がそのまま放置され、湿ったバスタオルとフェイスタオルもソファの上に放り投げられている。
挙句の果てには風呂場からリビングまで、床が濡れている。
「勘弁してくれよ⋯⋯」
今日のプレゼンはいい出来だった。
上司にも褒められたし、顧客の反応も良かった。
ちょっとばかり良い気分だったから、奮発して牛ステーキ肉を買ってきた。
家に帰ったら、サッと焼いてアイツが帰ってくる前に食べてしまおうと思っていた。
嘆いていても始まらない。
取り敢えず床掃除をして、リビングも片付けて、服と下着は洗濯機に突っ込んで回す。
その間に、買ってきた肉を常温に戻し、付け合せの野菜を準備、ご飯も炊いておく。
スープも欲しいところだが時間を考え、インスタントにすることに決めた。
そして、肉を焼いてホイルに包んでしばし待っていた所に、突然の君の訪問。
俺は慌てて、玄関のドアを開けた。
君はいつものように俺を見上げると、じっと目を見てくる。
俺は壁際に寄って、中に入るよう君を促す。
「ちょっと待ってて、今準備するから」
君のために買った食器を戸棚から出し、同じく戸棚から缶詰を取り出す。
今日は少しお高いやつにしよう。
昨日、あげられなかったから。
「はい、どうぞ」
三和土で大人しく待っていた君は、目の前に出された器を見て一声鳴くと、無心に食べ始める。
「昨日はゴメンな。アイツ猫アレルギーでさ、すぐ目がぐじゅぐじゅになってくしゃみが出るんだ」
だから昨日は、こうやって餌をあげられなかった。
「美味いか?」
「うにゃっ」
「⋯⋯なぁ、俺と一緒に暮らさないか?ここペットOKなんだ」
それに、君がいればアイツはここに来れない。
「勿論、次の物件もペットOKの所を探してるから。どうかな?」
「にゃーん」
ご飯を食べて満足した君は、前足で顔の掃除を始めた。
俺が手を伸ばすと、擦り寄って甘えてくる。
ここ半年で警戒心はほぼ無くなって、こんな風に甘えてくれるようになった。
だからこそ、余計に一緒に暮らしたい、そう考えるようになった。
「な、一緒に暮らそうな」
「ぅなーん」
君にとっては今よりも窮屈な生活になるかもしれないけれど、安心して眠れる場所と、毎日の食事を約束しよう。
1年前の雨の酷かった日の夜、部屋の玄関の前で蹲っていた白猫。
ずぶ濡れで寒かったのだろう、ガタガタと震えていて放ってはおけなかった。
タオルで拭いて暖めてやり、ネットで調べてご飯を作って与えた。
数日一緒に暮らして、元気を取り戻した君は、朝、俺が出勤のためドアを開けたら隙間からスルリと外に出ていってしまった。
しばらくして夜にドアを引っ掻く音がして、そっとドアを開けると君がいた。
それから君は、家に来るようになった。
けれど、君はいつも三和土から先には進まない。
だから俺は、君が三和土から先に入るのは、俺と一緒に暮らす事を受け入れてくれた時なんだと思うようになった。
「ん?行くのか?」
「にゃーん」
「そっか。気を付けてな」
玄関のドアを開けて、君を送りだす。
この辺りは交通の便が良いだけあって、車の数も人の通りも多いし、人間の中にはアイツみたいに傍若無人な奴もいる。
決して安全とは言えない環境だから、俺は心配なんだけど。
暗い街に溶けこんでいく君の後ろ姿を見送って、俺は料理を再開する。
若干時間を置きすぎたが、肉は良い感じに馴染んで食欲を誘ういい香りが部屋に充満している。
付け合せの野菜を焼いて肉を乗せた皿に添え、炊きたての米をよそって、インスタントのスープにお湯を注ぐ。
リビングのテーブルに並べ、ワインのボトルを手に取る。
やはり肉には赤ワインだろう。
先々週の同僚の結婚式の引出物として渡されたワインは、新郎新婦の写真がラベルとして貼られたもので、中身はそこそこ良い物だった。
「いただき⋯⋯⋯⋯誰だ?」
絶妙なタイミングでかかってきた電話。
スマホの画面を見るとそこには会社の後輩の名前が表示されている。
「もしもし?」
「あ、先輩、こんな時間にスミマセン」
「いや、構わないが、どうした?」
「実は⋯⋯」
どうやら客先からの問い合わせで、明日の朝イチまでに回答資料が必要との事で残業していたらしい。
だが、分からない部分があってどうしようもなくなり、電話してきたと言う事だ。
「あー、言葉での説明は難しいな。じゃぁ今からリモート繋げるから少し待て」
「あ、ありがとうございます!」
俺は寝室に入ってパソコンを立ち上げる。
例の感染症のおかげで、家からリモートできるようになった利点がこういう時だな、とか考えつつ、俺はヘッドセットを着けパソコンの前に座る。
それから何だかんだで30分ほどかかって、後輩の資料はどうにか完成の目処が着いた。
「ふぅ、終わった。さて、やっと肉が食べれるぞ!」
ヘッドセットを外し、パソコンをシャットダウンしてリビングに足を踏み入れる直前、はたと気づく。
聞こえてくるテレビの音と、昨夜嫌という程聞いた笑い声。
「ま、さか⋯⋯」
案の定、テーブルの上に並べていたステーキもスープもご飯も既に無く、アイツの手にはワインがなみなみと注がれたグラスが握られている。
そして足元には、空になったワインボトルが転がっている。
「あ、肉美味かった。もっとない?」
「⋯⋯⋯⋯ない」
一気に脱力して何もする気が無くなった。
「お前、明日帰るんだよな?」
「さぁね、どうしようかなぁ」
「頼む、帰ってくれ」
「何それ。まぁいいや。ね、ビールない?なかったらワインでもいいよ?」
「ワインはない。ビールは冷えてないかもしれないが冷蔵庫にある。自分で取れ。俺は風呂入って寝る」
「ほいほーい」
あぁ、早く君と一緒に暮らしたい。
そうすれば君は安全な寝床と食事を手にして、俺は君という癒しを手にして、この傍若無人な人間を俺のテリトリーから弾き出すことができる、一石三鳥だ。
あぁ、神様、どうか哀れな俺を救って下さい。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 自由な人が羨ましく思う時がアリマス。
【お題:雨に佇む 20240827】
最後にその人を見た光景を、私は今でも鮮明に思い出せる。
真っ赤な傘をさし、ブランド物の大きなボストンバッグを手に振り返ることなく歩いて行く後ろ姿。
玄関先で冷たい雨に佇む父の背中が小さく震えていた。
「私は真実の愛を見つけたの!」
言い切るのと同時に、美香子は料理の乗ったテーブルを両掌で叩いた。
食器がカチャンと音を立て、先程まで置かれていた位置から僅かにズレている。
「美香子、一体何個目の真実の愛よ!それに、そんな事はどうでもいいわ!問題は相手に家庭があることよ!あんたにだって武田くんがいるじゃない。それとも何?武田くんとは別れたの?」
「別れてないわよ。今別れたら私住むとこないもん。それに彼は奥さんと別れてくれるって言ってくれたもん!」
「美香子、いい加減に目を覚ましなさいよ。あんたのそれは浮気よ?不倫なのよ?」
「浮気じゃない、本気だもん。彼が私の運命の人なんだから!」
「⋯⋯⋯⋯」
グラスのジュースを一口飲んで、私はピザに手を伸ばす。
少し前に店員が運んできたピザは、まだだいぶ温かい。
この辺りでは珍しい、窯焼きのピザでこのビルの隣のビルの地下に入っている店の自慢の逸品だ。
頬張ると、チーズと小麦の良い香りが口の中に広がり、トマトの酸味がいいアクセントになっている。
「真実の愛でも運命の人でもどっちでもいいわよ。でもね、本当に本気なら、武田くんと別れて、相手の人が離婚した後で付き合いなさいよ」
「だから、浩二と別れたら、私あの部屋出て行かないと駄目じゃない。そんなの困るもん」
「困るもんって、美香子、あんた⋯⋯」
「だってちゃんと家賃払ってるよ、私」
「ならそのお金でどこかに部屋を借りればいいじゃない。小さく不便な部屋にはなるだろうけど」
外資系に勤めてる武田くんは駅近の広めの物件に住んでいるから、そこを出るとなればそれなりの覚悟は必要だね。
ピザを食べ終わった私は小皿を手に取り、テーブル中央に置かれたパスタを取り分ける。
『小エビの桜パスタ』という名の、エビと明太子のパスタだけど、これがどうして最高に美味しい。
エビはぷりっぷりで、明太子の出汁の効いた塩味とピリ辛感がマッチして堪らない。
また、細く切られた大葉が乗っているところもポイントが高い。
大抵のお店ではこの場合、刻み海苔が乗ってくるのだけれどアレは歯に着いたりするのでどうしても倦厭しがちになってしまう。
それが大葉になるだけで、これほどまでに安心して食べられる、なんて気が利いているのだろうか。
「お金じゃないもん」
「え?」
「お金で払ってないよ、家賃」
「えっ?じゃぁ、家事⋯⋯なわけないか。美香子、掃除も洗濯も料理も何一つできないもんね」
「うっ、そ、その通りだけど」
「じゃぁ何で払ってるの?」
「え、そんなのセッんぶっ」
私がフォークにぐるぐるに巻き付けたパスタを頬ばろうとした瞬間、フォークは文乃によって美香子の口に突っ込まれていた。
口に入れられたパスタをゆっくりもぐもぐと咀嚼し、ゴクンと飲み込む美香子に対し頭を抱える文乃。
「美香子、それは家賃を払ってるとは言わないわよ」
「そうなの?」
「そうなのよ⋯⋯はぁぁぁ」
盛大にため息を吐き出して文乃はソファに倒れ込んだ。
美香子と文乃とは大学で知り合った。
と言っても、同じ大学なのは文乃の方で、美香子は文乃の父方の従姉妹で文乃経由で親しくなった。
私と文乃がびっくりするくらい、一般常識が欠けている美香子は、身長152cmの小柄な27歳だ。
顔は所謂童顔と言う奴で、とても27歳には見えない。
フランス人形のようにぱっちりとした目鼻立ちをしていて、カワイイお姫様系。
本人もそれは自覚していて、服装なんかもふりふりふわふわしたものが多い。
ただしお胸は何が詰まってるの?と思うくらいの大きさがある。
そして世の中の男性陣の中には、そんな女性が大好きな人が多いのも事実。
でもそれは、性的欲求を満たすためだけという場合も多く、生涯の伴侶としてのそれとは別。
無論、その女性の内面も含めて『好き』というのであれば何ら問題はないけれど。
「美香子、浮気や不倫ってお金がかかるんだよ」
「え?詩織、どういう事?」
「まず大抵の場合、慰謝料が発生するの。相場は200万から300万。離婚して子供がいればどちらが養育をするかにはなるけど、養育費を払わないといけないわね。その場合子供の人数や年収にもよるけれど、子供一人で平均月に5万くらい」
「さ、3人だと?」
「平均で月9万弱かな。まぁ10万みといた方がいいかも。それから相手の奥さんは不貞の相手、この場合は美香子に慰謝料を請求できる。で、これも大体、200万から300万」
「えっと、旦那か不倫相手かのどちらかに請求できるの?」
「違うよ。両方に請求できるの。例えば旦那が5人と不倫していたとしたら、奥さんは、旦那さんと不倫相手5人の合計6人に慰謝料請求できるって事」
「え、それって奥さんズルくない?」
「ズルくない。結婚⋯⋯婚姻関係が国によって認められているっていうのは、それだけの権利を持つの」
「⋯⋯⋯⋯」
「だから文乃の言う通り、本当に本気なら相手は離婚、美香子は武田くんと別れてから付き合うべきよ。まぁ、もう既に不貞行為をしてるなら、相手の奥さんからは慰謝料請求されるとは思うけど」
でもまぁ、武田くんはどんな事があっても美香子を手放さないだろうけど。
「美香子、きちんと考えなよ。私達もう学生じゃないんだから」
「文乃の言う通りだよ。真実の愛とか運命の人とか言うけど、そういうのって、出会ってすぐにわかるものじゃなく、長い時間を一緒に過ごしてからわかるものなんじゃないかって私は思う」
「でも⋯⋯」
「だって今までに5回も美香子の真実の愛があったけど、本当に真実の愛だった?」
「⋯⋯⋯⋯」
「長くて半年くらいじゃなかった?」
「⋯⋯⋯⋯」
「私が言えるのはここまで。あとは自分で考えてみて。ね、美香子」
「うん⋯⋯」
「よし、じゃぁ歌うよ〜♪」
その後、終了時間までの4時間半歌いに歌いまくって喉がちょっと痛くなった。
ちょっとスッキリした顔の美香子を見送って、私と文乃は駅に向かって歩く。
「詩織、ありがと」
「うーん?まぁ、友達だしね。で、文乃はどうなの?」
「仕事が楽しくて全然そんな気になれないのよね」
「はははっ、私と一緒か」
「まぁ、子供産めるうちに結婚はしたいかな、って思ってるよ」
「だねぇ、父さんに孫抱かせてあげたいな」
あの人は浮気も不倫もせずに、父ときちんと離婚して、私を父の元に置いて出ていった。
私と会うことについて、父は特に制限を設けなかったが、あの人はケジメとして一度も連絡してくることも、会いに来ることもなかった。
父は再婚することなく私を育ててくれた。
そして先日、酔った勢いでポロリと零した言葉。
『俺にとっては運命の人だったよ、あいつは。だって、詩織を産んでくれたからな』
そう言った父の顔は、穏やかだった。
「じゃぁ、また連絡してね」
「うん」
駅の改札を通って、それぞれのホームに向かう。
階段を上りホームに立ち、名前も知らない人の後ろを歩き、いつもの乗り場に立つ。
運命ならばきっと、こんな人混みの中でもお互いを認識できるのかもしれない。
まぁ、今の私にはそんな人は居ないけれど、少しはそっちのアンテナを張り巡らせていた方が良いかもしれない、と思った。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 不倫、ダメ絶対。
【お題:私の日記帳 20240826】
「新しいノート買わないと」
手元のノートの残りが2ページとなった今日、日記を書き始めて20年が経った。
始まりは小学校一年生の時の、7歳の誕生日。
祖父から貰った1冊の洋書風ハードカバーのノートと万年筆。
7歳に贈るものじゃないわよね、と、母が呟いていたのを今でも覚えている。
けれどそれから毎年誕生日に、祖父が亡くなるまでの8年間、ノートと万年筆が送られてきた。
7歳の時に貰った手紙には、短く達筆で『毎日でなくてもいいから日記を書きなさい。いずれそれが貴女の宝物になるから』と書かれていた。
まぁ、当時の私が読めるはずもなく、母が教えてくれたのだけれども。
祖父は私の性格をよくわかっていたようで、日記を毎日書くことは、ズボラな私には難しいことだった。
けれど、ふと時間が空いた時や、気分がいい時、楽しい事があった時、辛いことがあった時、書く量を決めずにただ、日付を書いて、その日あったことや、思ったことなどを好きなだけ書く、そんな形式にすれば、日記を続けることが出来た。
本当に自由に書いていた。
一言だけの時もあれば、3ページに渡って読んだ本の感想を書いたり、下手な絵だけを描いたりもした。
祖父が亡くなってからは、ノートは自分で買うようになった。
その時書いているノートが残り少なくなったら、近所の雑貨屋や文具店に足を運び、気に入ったものがあれば購入する、と言った風に年に2回程度はノートを買っていた。
ここ数年はノートを買う頻度が上がった。
と言うのも、ほぼ毎日書いているし、書く量も増えたからだ。
「宝物かぁ⋯⋯」
インターネットの通販サイトを覗くと色々なノートがあって、本当に迷ってしまう。
けれど、不思議と初めて祖父に貰ったノートと似たようなものばかりに目がいってしまう。
普段は使うことの無い、少し立派な、勉強で使うのとは違う感じが良いのかも知れない。
「よし、これにしよう」
栞付きで、少しファンタジーチックな感じの、魔導書風とか書いてあるノート。
次のノートが届くのを心待ちにして、今日の日記に1行付け足す。
『次のノートをポチッた。早く届きますように』
ノートを閉じて、机の抽斗に仕舞う。
書き終えたノートは50冊を超え、段ボールに詰められて納戸で眠っている。
部屋を出て、リビングに向かうとそこでは旦那様が1人寂しく晩酌をしていた。
「お帰り。声かけてくれれば良かったのに」
「ただいま。仕事の邪魔しちゃ悪いかと思って」
「気を使ってくれてありがとう。私も貰って⋯⋯あ、やっぱいいや」
「ん?そう?」
「うん、お茶にしとく」
旦那が飲んでいるのは梅酒の炭酸割り。
さっぱりしてこの時期に飲むのには丁度良いのだけれど。
キッチンでグラスに氷を入れて、ペットボトルのお茶を注ぐ。
澄んだ高い音を立てながら、グラスの中で氷が崩れる。
「つまむもの、何か作ろうか?」
「いや、大丈夫。コレがある」
そう言って、旦那が見せたのはパックに詰められたチーズやジャーキー、ナッツなど。
「後輩がくれてさ。そいつ今燻製にハマってるらしくて」
「えっ、自分で作ったって事?」
「あぁ、桜チップとか言ってた。これがまぁ、美味いんだわ。食べてみな」
「⋯⋯⋯⋯わぁ、売ってるのよりも美味しいよ、これ」
「だろう?燻製やってみたくなっちゃうよな」
「うんうん。ちょっと調べてみようかな。あ、そうだ」
「うん?」
「今日、病院に行ってきたの」
「えっ?」
旦那様の動きがピタリと止まった。
心做しか、顔色も悪くなったような?
「あ、どこか悪いとかそう言うのじゃないよ。心配しないで」
「え、じゃぁなんで⋯⋯⋯⋯えっ?えっ?」
「もう少しで3ヶ月だって」
「えっ?えぇっ!」
大変、日記にまた付け足さないとダメだね。
『妊娠の報告をしたら旦那様は「えっ」しか話せなくなりました』って。
私の日記帳には、色々な事が書かれている。
今日はすごく嬉しかった事と、面白かった事、そして美味しかった事も追加しておこう。
いつか読み返した時に、今日の出来事を昨日の事のように思い出すことができるように。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) ワタシハ三日坊主派デス
【お題:向かい合わせ 20240825】
よくある『恋のお呪い』と言うやつで、満月の晩の午前零時丁度、合わせ鏡に映った蝋燭の火を同時に吹き消すと魔女の使い魔が現れる。
現れた使い魔にジンジャークッキーを3枚与えると、好きな人との未来を教えてくれると言う、そんな出処の不確かな話。
けれど、『呪い(まじない)』と言われるものは良くも悪くも人の口に上り、それが恋愛に絡むもので思春期の女子の耳に入れば試してみたくなるのも当然の流れ。
クラスの女子の半数近くが試している現状で、やらないでいるのは良い選択とは言えない。
そして実はちょっと興味もある。
恋とかお呪いとか、そういうのでは無く、『魔女の使い魔』こちらの方に。
学校の友達に言えていないが、小学校高学年の頃からハマっているものがある。
かれこれ5年以上になるのだが、俗に言う、異世界モノという漫画にどっぷりとハマってるのだ。
これは両親の影響が大きく、家の部屋ふたつまるまる漫画本が並んでいるどころか、廊下にも本棚があり、最近では客間にも本棚が設置されたほど、父親も母親も漫画や小説などが大好きなのだ。
最近の風潮に合わせデジタル化すれば家が本に占拠されることは無いのだが、そこは両親のこだわりで紙媒体が良いらしい。
ただ紙媒体で手に入らないものなどは、電子化されたものを買うこともある。
そんな漫画喫茶のような環境にいれば漫画を読むのは自然なことで、アイドルを好きになるのと同じように特定のキャラクターに思い入れることもあった。
でもそれも中学生位までの話で、高校に入ってからは周囲に合わせアイドルや俳優、アーティストなど一般と言われる程度の知識は身につけ、仲間はずれにされない為の努力に時間を費やしていた。
けれども漫画ほどに興味を唆られる人物を見つけることは難しく、周りに置いていかれないよう、外れることがないようにするだけの行為は少しずつ、心に疲労を蓄積させていた。
そんな所に囁かれ始めた『恋のお呪い』。
そこに『魔女の使い魔』というキーワードが含まれていたのだから、興味を持たないでいることが出来るはずはなく、この三ヶ月間ネット等でも情報を収集して準備してきた。
調べてみると噂で流れているものには幾つかパターンがある。
恐らく人から人へ伝わるうちに変わってしまったのだろうと推察できる。
ということは、逆を辿ればホンモノになるのではと考えてしまった。
そこで調べ考え、分からない所は直感で導き出した答えが、今、目の前にある。
「えーと、3面鏡をふたつ、ロウソクを6本、月の水で浄化した水晶の欠片を5個、それと魔法陣の描かれた紙とジンジャークッキーにシナモン抜きのアップルパイ⋯⋯と」
魔法陣と言うか、良くある図形の組み合わせが描かれた少し大きめの紙。
描かれているのは、二重の円に接するように六角形、更にその内側に接するようにもう一度六角形、というように全部で六角形が4つ描かれ、いちばん小さい六角形の内側に五芒星という形。
その紙を窓辺の床に広げ、外側の六角形の辺に沿うように三面鏡をふたつ、向かい合わせに置く。
次に100円ショップで購入した小さな陶器の器に、厚めの両面テープを貼ってロウソクを立てる。
魔法陣に直接立てる事も考えたが、ここは部屋の中、ロウソクが倒れて火事にでもなったら大変、家は燃えやすい本がいっぱいなので、安全策をとることにした。
強力な両面テープを使う事で、ロウソクが倒れる心配もないだろう。
ロウソクを立てた器を一番小さい六角形の頂点部分に置き、五芒星の頂点に水晶を配置する。
「で、クッキーを真ん中に置いて、完成〜♪」
なかなか儀式っぽい感じに出来上がった。
カーテンは全開、窓も全開、月は綺麗な満月。
時間は午後11時55分、予定時刻まで後ちょっと。
大切なのはここから。
午前零時丁度に、蝋燭の火を6本同時に吹き消さなければならない。
チャンスは一度、これに失敗したら次の満月まで待たなければならない。
スマホを取り出して、『117』に接続、スピーカーに切り替えると音声は11時57分を告げた。
6本の蝋燭に火を灯し、その瞬間を待つ。
このために、蝋燭6本を同時に消す練習を何度もしてきた。
「ふぅ、⋯⋯緊張する⋯⋯」
頭の片隅では、ただの噂だし、本気で使い魔が来るはずないし、とか考えているけれど、何事もやってみなくては分からない。
それに、このドキドキ感が堪らなく楽しいと思ってしまうのは何故なのか。
時報の音声が11時59分30秒を告げると同時に深呼吸をひとつ。
『ピ、ピ、ピ、ポーン。ピ、ピ⋯⋯』
蝋燭の灯りが消えた室内には、青白い月明かりが差し込んでいる。
床に敷かれた紙の上、綺麗に並べられた鏡と蝋燭、そして水晶の欠片、それから⋯⋯⋯⋯。
「昨日の夜、何してたの?」
「うん?」
「何か話し声が聞こえてたけど、友達と電話でもしてたの?」
わかめと豆腐、それから長ネギが入ったお味噌汁をコクリと飲み込む。
出汁の香りが鼻をぬけて、味に深みを感じさせる。
「あー、うん。ちょっと数学で分からない所があったから、教えて貰ってた。煩かった?」
「そんな事はないけど、珍しいと思って」
「ん、そう?」
「まぁ、勉強も程々にね」
「はーい。ご馳走様でした」
いつもよりも少し早い鼓動を誤魔化すように、努めて明るく返事を返して、洗面所へと向かう。
自分の歯ブラシに歯磨き粉をつけて、口に加える。
昨夜のことを思い出すと、キュッと眉間にシワが寄るのがわかる。
ほんのちょっとした興味本位、色々と調べて考察して組み立てたものを検証したい、とか思ったのはそういう性格だから。
「⋯⋯⋯⋯」
上を向いたり、下を向いたり、首を右に曲げて、左に曲げて、また上を向いたり下を向いたり。
その間、歯ブラシはビィィィと小さな音を立てて、細かい振動を繰り返している。
暫くして口の中のものを吐き出し、軽く水でゆすいで口元の水分をタオルで拭き取る。
「はぁぁ、どうしよう」
廊下に顔を出し、階段の上を覗き込む。
無論そこから見たいものが見える訳では無いのだが、何となく見てしまうのは気がかりだから。
ヘアーアイロンで前髪を真っ直ぐに伸ばしながら、ため息をもうひとつ。
こうなったら、腹を括るしかない。
うじうじ考えていてもどうしようもない、世の中なるようになるものだ。
前髪をバッチリと決めて、2階の自分の部屋を目指す。
深呼吸をひとつして、勢いよくドアを開ける。
「にゃーん」
ベッドの上で寛いでいた黒猫は、部屋の主を視界に収めると可愛らしく一声鳴いた。
「お、おはよう」
金と緑の瞳にじっと見つめられ、ヒュっと短く息を吸い込む。
「わ、私これから学校なんだ。行ってくるから大人しくしててね?」
「にゃっ」
わかったとでも言うように、猫は短く鳴き声をあげた。
鞄を持って、スマホも持って、忘れ物がないのを確認しもう一度ベッドに視線をやると、黒猫はくるりと丸くなって既に寝入っている。
そっと部屋から出て、ドアを閉めて、階段を降りてキッチンに入ってお弁当を持って玄関へ。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
母親の見送りの声を背中に貰って、玄関のドアを開ける。
今日もいい天気だ。
「皆に何て言おう⋯⋯」
何も起きなかった、そう言うのが一番波風立たないだろう。
それに、確証がある訳では無いのだし。
昨夜、蝋燭が消えた直後、部屋の中に黒猫がいた。
事実はこれ。
問題はこの黒猫がどこから来たのか、なのだが、儀式のために窓を全開にしていたので普通に黒猫が部屋に迷いこんできたとも言えるわけで。
「リボンしてたしなぁ」
首には青いリボンが結ばれていたし、怖がることなく擦り寄ってきた。
「でもジンジャークッキーなくなってたし⋯⋯うーん」
取り敢えず、窓を少し開けてきたので、何処かの家の飼い猫だったら自分から出ていくだろう。
それに部屋には食べ物も飲み物もないから、お腹が空けばきっと出ていくはず。
「うん、うん、帰ったら居なくなってる確率高いよね。まだ居たらその時考えよう」
問題の先延ばしでしかないけれど、今はそれでいい事にしよう。
学生の本分は勉強だ、今は勉強に集中しないといけない。
駅に向かって走りながら、『そういえばアップルパイどうしたっけ?』と昨夜と今朝の記憶を探るが一向に思い出せず、少しだけモヤモヤした気分になったが、それも友達に会うまでの間だけだった。
「にゃ」
ペロリと舌で前足を舐め、くしくしと顔を洗ってソファの上で寛ぐ黒猫は、あの少女が帰ってきて己の姿を見つけた時にどんな顔をするのか想像して、少し楽しげに短く鳴いた。
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(´-ι_-`) 短く纏めるって難しい( ˘•ω•˘ )
【お題:やるせない気持ち 20240824】
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(´-ι_-`) 時間取れないので後日up