【お題:踊るように 20240907】
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(´-ι_-`) くっ、また間に合わない、だと?
【お題:時を告げる 20240906】【20240909up】
どうして、こんな事に⋯⋯
ルドヴィカの体力は、もう限界に近かった。
並の令嬢とは違い、それなりに体を鍛えてはいたが、それでもやはりまだ16歳を迎えたばかりの女の子だ、年格好の変わらない女性を抱えての移動ともなれば、負担は大きい。
息が上がり、喉がひりつく様に痛い。
唾液を飲み込む事で、喉の渇きをやり過ごそうとしても、その唾液すら僅かにしか出てこない。
今朝までは、宿で朝食をとり食後の紅茶もしっかりと楽しみ、残り僅かの旅程を今日の昼過ぎには終える、そんな平和な一日のはずだったのに。
「ルド、ヴィカ、様。私の、ことは、置いて⋯⋯」
「嫌よ。ニーナを、置いていく、くらい、なら、私も、一緒に、残る、わ」
「ルド、ヴィカ、様。どうか」
「絶対に、嫌!」
ルドヴィカはニーナの腕を自身の肩にかけ直し、ぐっと脚に力を込める。
脚と背中を切りつけられたニーナの、体への負荷は自分以上だ。
それに⋯⋯、前を歩く男の背に担がれた、その人を見る。
短く切断された右腕と左脚。
止血はしたと言うが、ぽたりぽたりと赤い雫が落ちている。
今以上の出血は、命の危険を伴う。
早くどこか、人のいる場所へ着かなければ。
これ以上、自分のために人の命が失われる事は、ルドヴィカには耐えられなかった。
家を出たのは5日前の早朝、養父母の決めた相手に嫁ぐためだった。
10歳の時に馬車の事故で両親を亡くし、5つ離れた弟と二人、父の弟である叔父夫婦が養父母となり育てられた。
弟が成人するまでの間、養父が代理当主となり領地の管理を行う事になったのだが、叔父はルドヴィカが成人するのと同時に嫁がせたのだった。
せめて弟が成人するまではそばにいたいと言った、ルドヴィカの願いは聞き入れられる事はなく、追い出されるように伯爵家を出発したのだった。
叔父曰く、生前父が決めていた縁談だそうだが、今となってはそれも怪しい。
何故ならルドヴィカ達を襲った盗賊が叔父の名前を口にしていたから。
叔父夫婦はルドヴィカに、侍女であるニーナのみを同行させ、ニーナ以外は誰一人同行させなかった。
街道を行く旅とはいえ、盗賊や魔物が出ることもある。
普通ならば、護衛を5人はつけるだろうがその護衛もなく、用意されていたのは古い馬車1台と年老いた馬と御者と言う有様だった。
ルドヴィカは一番近い街で母の形見のアクセサリー2つを換金し、5人の冒険者を護衛として雇った。
彼らは中堅の冒険者で、気の良い者ばかりだった。
朝、宿を出発し森の中を進んだ。
冒険者達は休まず進むことを進言してきたが、馬が限界だという御者の言葉にしぶしぶ昼前に休憩を取った。
そして、そこを盗賊に襲われたのだった。
御者は馬車と共に走り出し、ルドヴィカ達を森の中に残して消えた。
冒険者達は三倍以上の人数の盗賊から、ルドヴィカを守り抜いた。
3人の命と1人の手と足、そして1人の左目の光を犠牲にして。
冒険者のリーダーであるジンは、ルドヴィカに、このまま目的地には進まず森を抜けその先にある村へ向かう事を進言した。
おそらく盗賊はまだルドヴィカを狙っており、このまま街道を進めばまた襲われるだろうと。
そうなれば、今度は皆殺しにされる未来しかない。
ならば、危険は伴うが森を抜けその先にある村で手当をし、今後の事を考えた方が良いと。
日没までに森を抜けられれば、今夜は安心して眠ることが出来るはずだとも言った。
ルドヴィカはジンの提案通り、森を抜ける道を選択した。
どれくらいの時間、そして距離を歩いたのだろうか。
太陽が沈みかけ、大気がオレンジ色に染まる頃、ルドヴィカ達は深い森を抜けた。
ぱっと目の前に広がったのは、太陽に染められた海。
そしてその手前に、崖に貼り付くようにいくつかの建物と畑のようなスペースがある。
「ここで待っていてください。人を呼んできます」
ジンはそう言うと、背負っていた男を大きな木の根元に横たわせた。
ルドヴィカは肩で息をしながら無言で頷くと、近くの木の根元にニーナを座らせ、自分もその横に腰を下ろした。
ジンがいなくなり、ルドヴィカの呼吸がやっと整ってきた頃、それは始まった。
地の底から響くような低い鐘の音がゆっくりと3回、その後に鳥が歌を歌うように鐘が響き、湾内に響く遅れた鐘の音と新たに鳴らされる鐘の音が混ざり合う。
今まで聞いた事のない、不思議なメロディーが日が沈みゆく小さな村に奏でられる。
やがて始まりと同じ低い鐘の音が辺りに響きわたり、また静寂が戻ってくる。
魔物避けの鐘の音をルドヴィカのいた領都では、時を告げる鐘の音と言っていた。
ここのように1つの鐘楼に複数の鐘はなく、各鐘楼に1つずつ、合計12の鐘楼で規定の時間になると鐘を鳴らす。
王都や、大貴族の治める領地の都や街では、1つの鐘楼に複数の鐘があり、各鐘楼で鳴らされた鐘の音が混ざり合い、複雑な音色を奏で、それはそれは荘厳な響きが辺り一帯を包むのだとか。
ルドヴィカの居た領都もかつてはひとつの鐘楼に複数の鐘があったのだが、叔父が売ってしまったために今では鐘楼の数だけの鐘しか残っていないのだった。
「綺麗な響きでしたね」
「そうね。ニーナ、体調は大丈夫?」
「はい。痛みはありますが、出血もとまったようです」
「そう、良かった」
ルドヴィカは横たわる男の横に膝をつき、ドレスの裾を破いた布で額に浮かんだ汗を拭ってやる。
荒い呼吸の下、男はゆっくりと目を開けた。
まだ年若い、恐らくルドヴィカよりも少し年上くらいの、その青年の瞳はこの辺りでは珍しい暗い茶色の目をしていた。
「すぐに助けが来ます。頑張って」
青年は弱々しく笑うと、また目を閉じる。
右手の肘から先、左足の太腿の中ぐらいから下が彼にはない。
きつく巻かれた布は赤黒く染まり、今でもじわじわと血が滲んできている。
彼がまだ意識を保てているのは、痛みとそしてその若さのお陰なのかもしれない。
ルドヴィカはそのまま、青年の横で額に浮かぶ汗を拭い続けた。
「ルドヴィカ様」
ニーナの声にルドヴィカが振り返ると、ジンともう1人がこちらへ走ってくるのが見えた。
長い金の髪を首元でひとつに結び、シャツにスラックスと簡素な服装に身を包んだその人物は、ジンに小瓶を渡すと自分はそのままニーナの元へと向かった。
ルドヴィカは自分の場所をジンに譲るため立ち上がった。
少しよろめいてしまったのは、限界を超えて肉体を酷使したためだ。
ジンは青年に声を掛けゆっくりと抱き起こした。
青年の整った顔が痛みに歪む中、ジンは小瓶の蓋を開け彼の口元へと運ぶ。
瓶の中には紫色の液体が入れられており、少し離れたルドヴィカのところにも、なんとも言えない匂いが漂ってくる。
「キツイだろうが、飲め」
青年は黙って頷き、覚悟を決めたように口を開いた。
ジンはそこに液体を流し込むと、彼の口を力ずくで閉じ、そしてそのまま彼を抱きしめた。
ルドヴィカはジンが何をしようとしているのかわからなかったが、それも少しの間だけだった。
ジンが青年を抱きしめた数秒後、青年の口から叫び声が上がった。
ギリギリと残った手でジンの腕に爪を立ててしがみつき、無事な脚は地面を蹴る。
どれほどそうしていたのか、やがて静かになった青年をジンは横抱きにして立ち上がった。
「手、怪我するぞ」
なんのことか分からずに呆けているルドヴィカに対し、ジンは顎でルドヴィカの手を指す。
ルドヴィカは促されるように視線を自分の手にやると、自分が手をきつく握り締めていたことに気づいた。
ゆっくりと意識して手の力を抜くと、じんわりと血の通う感覚がした。
「あれは?」
「治癒のポーションです。ニーナさんのは薬師が作ったものなので味も匂いも副作用もなくて良いのですが、彼に使ったのは私の手製なので、味も匂いも良くなくて、ついでに結構な痛みを伴うという副作用もあるんです。あ、でも効果は抜群ですよ。どんな傷でも治ります。ただ欠損部分は復活しませんが⋯⋯」
ジンと共に助けに来てくれた人物はライオネルと名乗った。
ここにたった一人で住んでいるのだと言う。
戦闘の折にジン達が所持していたポーションは全て使うか割れるかしてしまい、ニーナやあの青年の傷を癒すことが出来なかったのだが、ライオネルがポーションを持って来てくてたお陰で、ニーナも青年も助かることが出来た。
「それに、欠損部分は復活しませんが、代わりの手足を作ればいいだけですし。大丈夫です」
「代わりの手足⋯⋯?」
「はい。ジンの左目も見えるようになりますよ」
「え?」
「取り敢えず今日はゆっくり休んでください。あ、部屋の中の物は自由に使って頂いて構いません。デザインは古いですがドレスもありますから、遠慮せずにどうぞお使いください。後で食事を運んできますね。それでは」
ライオネルはルドヴィカとニーナを部屋に残し出て行った。
残された2人は顔を見合わせ、ひとつ頷いた。
まずは湯浴みをしよう、そして食事をとって一息つこう。
これからの事はその後に考えることにしよう。
湯浴みの準備をと風呂場に足を踏み入れたニーナがその広さと既に湯が張ってあることに驚いていた頃、着替えのドレスを借りようと衣装室に足を踏み入れ、そこにズラリと並んだ豪華なドレスやアクセサリー類にルドヴィカは絶句していた。
それから暫くこの小さな村の大きな屋敷に世話になる2人は、数々の常識外れな驚きと遭遇することになる。
翌朝、夜が開けるほんの少し前、村に鐘の音が響き渡る。
澄んだ鐘の音は村を包み、東の急峻な山と屋敷の背後に聳える壁にぶつかり反響し、不思議な音色を奏で始める。
ルドヴィカはその鐘の音を耳にしながら、人知れず決心する。
弟のために、領民のために、何より、領地と領民を愛していた両親のために、叔父夫婦が持つ代理当主の座に自分が着くことを。
この先に待ち受けているであろう困難に立ち向かうため、ルドヴィカは固く拳を握った。
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(´-ι_-`) 8/5のお題『鐘の音』のチョット未来のお話。
【お題:貝殻 20240905】
子供の頃、それはキラキラと輝いて、とても綺麗で素敵な物に見えた。
身につけると、少しだけお姉さんになれる、そんな気がした。
「はぁ⋯⋯」
だいぶ古くなっていた。
貰ったのは10歳の時だから、30年以上前の物だ。
壊れるのは仕方ないのかも知れない。
けれどやっぱり気持ちとしては、やり切れないのも確かで。
「はぁ⋯⋯」
手のひらに乗せた小さな白い蝶を眺めては、ため息がまた一つ零れる。
今では他にも色々なアクセサリーを持っているけれど、これだけは特別だった。
「どうしたの?さっきからため息ばっかりついて」
今日は学校もバイトも休みだと、朝からソファで寝転んでいた娘がいつの間にか背後に立っていた。
「壊れちゃったの、これ」
娘の目の前に、手に乗せていた蝶を差し出す。
彼女はそっとそれを持ち上げ、光に翳して見ている。
「これ、イヤリングだった?あれ、でも、ママいつもピアスじゃなかった?」
「そうよ、イヤリングだったの。金具はだいぶ前に壊れてしまったけど⋯⋯」
「そっか。綺麗な蝶だねぇ。キラキラしてるし」
「そうでしょう?でも、脆くなってるみたいで、ほらこっちは割れちゃったのよ」
娘に渡した蝶とペアのもう片方の蝶を見せる。
こちらは羽の部分がパッキリふたつに割れてしまっている。
「ん〜、ん?これ、もしかして貝殻で出来てる?」
「あら、よくわかったわね。そうよ、貝殻でできた蝶なのよ」
「へぇ。⋯⋯これ、大事なもの?」
「そう、大事なものよ」
家族を除けば、私の一番の宝物かもしれない。
それくらい、私にとっては大事で大切で思い出深いもの。
「う〜ん。もしかしたら、友達が直せるかも」
「えっ!本当に!」
「聞いてみないと分からないけど⋯どうする?」
「是非!」
それが1週間前の出来事で、そして今日、あの蝶が帰ってくる。
そのまま直すのはやっぱり難しかったらしく、少しアレンジを加えて良ければ直せる、との話で、それに関しては、娘のお友達に一任した。
故に、出来上がりがどんな風になっているのか私は知らなかったりする。
「そろそろかな?」
わざわざ家まで届けに来てくれる、との事で、朝からパウンドケーキとクッキーを焼いて準備していた。
娘はそんなに気を使う必要は無いって言っていたけど、そうも行かない。
「コーヒー、紅茶、緑茶、ジュース⋯⋯うん、大丈夫ね」
最終チェックを済ませた所で、玄関の鍵を開ける音がした。
キッチンから廊下に顔を出すと、ちょうど娘が靴を脱いでいるところで、その向こう側には⋯⋯。
随分と背の高い男性が立っていた。
彼は私と目が合うと、ぺこりと頭を下げた。
「えーと、こちら青柳 将太さん。ママのイヤリングを直してくれた人で⋯⋯」
「青柳です。美紀さんとお付き合いさせていただいています」
「あら、そうだったのね。美紀をよろしくお願いします」
2人の馴れ初めを聞こうとした私を遮り、顔を真っ赤にした娘は例のイヤリングの話を持ち出した。
青柳さんは持って来た紙袋から小さな箱を取り出すと、その蓋をそっと開けてテーブルの上に置いた。
そこには小さな桃色の花と共に透明な樹脂に閉じ込められた貝殻の蝶がいた。
ドロップ型の樹脂には銀色の鎖が付けられ、イヤリングではなくピアスの金具が付けられている。
「貝殻がだいぶ脆くなっていたので、このような形にしました。劣化の少ない樹脂を使用したので黄色変化はしないと思いますが、保管は日の当たらない場所をおすすめします。あと、ピアスにしましたがイヤリングが良ければ変更できますので言ってください」
「⋯⋯⋯ありがとう、本当にありがとう」
もう二度とつけることができないと思っていたイヤリングが、こんなに可愛く私の好みの形になって戻ってきた、それが奇跡のようでとても嬉しかった。
ダメね、年をとると涙腺が緩くなっちゃうわ。
「ねぇママ、そのイヤリング。どういうものなの?」
「これは、陽介さんから初めて貰ったものなの」
「パパから?」
「そう、修学旅行のお土産で貰ったのよ」
修学旅行から帰ってきたその日に、わざわざお土産を渡すためだけに、自転車で20分もかかる私の家まで来てくれたのよね。
あー、思い出しちゃった、嬉しかったなぁ。
「修学旅行って、高校の?」
「ううん、小学校の修学旅行よ。水族館で買ったんですって」
「小学校!え、パパとママってそんな子供の頃からの知り合いなの?」
「ふふふっ、内緒。美紀と青柳さんの馴れ初めを教えてくれたら、教えるわよ?」
そんなむくれた顔したって駄目よ、だって陽介さんとの思い出はそんなに安くないんですからね。
ま、そのうち教えてあげてもいいかな、素敵なピアスにリメイクして貰えたから。
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(´-ι_-`) 貝殻→白い→イヤリング=森のくまさん。という事で、パパは熊のような人ですw
【お題:きらめき 20240904】
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(´-ι_-`) 書いてみたけどイマイチ。書き直して後日up
【お題:些細なことでも 20240903】
誰かを好きになる。
その感情は、誰かに教わることなく自分の中に芽吹く。
その時期は人によって様々で、早い人もいれば遅い人もいて、もしかすると生涯芽吹かない人も居るのかもしれない。
芽吹いた後の成長も人それぞれだ。
一気に成長する場合もあれば、ゆっくりとじわりじわりと成長する場合もある。
本人の気がつかないところで、密かに芽吹き成長していることだってある。
そして、花が咲く。
色も、形も、大きさも、匂いさえ、何一つ、誰ひとつ同じものなどない。
それは酷く美しく、そして酷く脆い花。
どんなに大事に育てていても、誰かに手折られることがある。
どんなに慈しみ大切にしていても、ふとした瞬間に枯れてしまうこともある。
そして、咲いた花が愛ではなく憎しみに変わることもある。
「なんて言うか、悲しいのとは違うんだよな」
「あー、わかる。強いて言うなら、虚しい?」
「それも何か違うような気がするけど⋯⋯」
「うーん、でもさ、ウチらがどうにかできる事でもないし」
「まぁ、そうなんだけど」
俺が大学を卒業し、社会人として働き出して今日で1年が経った。
就職と同時に実家を出ての一人暮らし。
初めは慣れなかった家事も、今ではそこそこ料理も作れるようになり、休みの日には手の込んだ料理に挑戦するほどになっている。
2歳離れた姉とは2ヶ月に1回のペースで会っている⋯⋯と言うよりも、姉が押しかけてきている、という方が正しいだろう。
仕事の都合で、2ヶ月に1回出張があるらしく、その時にうちに泊まって行く。
お陰で姉が泊まる時は、俺はソファで寝る羽目になる。
布団も一式しかないので、学生時代に先輩に貰った寝袋を使っている。
ただ、この寝袋はとても性能がよく、冬もこれ一つあれば十分に暖かく眠ることが出来る。
因みに姉は地元にいるが、実家を出て彼氏と同棲中だ。
そんな姉から聞かされたのは、両親のこと。
やっぱり、と思ったり、遂に、と思ったり。
「まぁ、良いんじゃない?」
「そうだな。母さんも普通に働いてるから生活には困らないだろうし、むしろ困るのは父さんの方か?」
「さぁ、どうだろう。まぁ、母さんは大丈夫よ。だって父さんより母さんの方が稼いでいるもの」
「え、マジで?」
「マジで」
新しい缶ビールをプシュッとあけて、喉を鳴らして飲む姿は立派なオジさんだ。
え、もちろん口に出して言うわけがない。
そんな事したら、ボコボコにされる未来しか見えない。
だって姉さんは、空手の有段者だからな。
「マンション買えるくらいの貯金はあるって言ってたし」
「父さんは⋯⋯、貯金なんてなさそうだよな」
「まぁね。休みの日ともなれば、パチンコか競馬だったし」
「あー、だな。父さんとの思い出なんて全然思い出せないぞ、俺」
「私もよ。でも母さん、よく今まで我慢したわ。私には無理だわ」
「そこはやっぱり愛情と言うか⋯⋯」
「そんなモノとっくの昔に消え去ってるわよ」
「え?」
自信満々に言い切った姉は、ぐぐぐっとビールを胃に流し込む。
昨日買い足しておいてよかった。
ビールが無くなると買いに行かされるからな。
春が来たとはいえ、夜の外はまだ寒いから行きたくないんだ。
「あんたは知らないか。父さん浮気してんのよ。もう、10年くらいになるんじゃない?あー、浮気って言うか、不倫か」
「えっ?」
「私が中3の時だったから、そんなもんね。母さん、興信所使って調べたのよ。まぁ、真っ黒だったわけだけど。でね、私、母さんに言ったのよ。私たちの事は気にせずに別れても良いんだよって。そしたら母さん、なんて言ったと思う?」
「⋯⋯⋯⋯わからん」
「今別れたら、父さんも浮気相手も幸せになるだけじゃない、って」
「⋯⋯え、でも」
「あんたの言いたい事はわかる。私もそう思ったから。嫌いなら別れれば良いのにってね」
「うん、普通そうだよな?」
「普通はね。でも母さんは普通じゃなかったのよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」
普通じゃないって、どういうことだ?
「あんたにわかるかどうか、なんだけどさ。誰かを好きになると、ほんの些細なことでもその人に関係することなら、知りたくなったりするじゃない?同じようにちょっとした事が嬉しかったりしてさ、それが積もって愛情になるって言うか⋯⋯あー、言ってて恥ずかしくなってきた。んで、その反対。嫌いになると、どんな些細なことでも気になるし、嫌になる。そしてだんだんと嫌悪感が募っていく」
「あー、うん。何となくわかる。けどそれが?」
「好きと嫌いってさ、似てるのよ。ただ針がプラスに傾くかマイナスに傾くかの違いがあるだけで」
「そう、言われると、そんな気もするけど」
「あの頃の母さんはまだ、父さんの事が嫌いだったのよ」
「うん⋯⋯うん?」
『まだ、嫌い』って、どういう事だ?
嫌いだから別れるんじゃないのか?
あ、これは普通の場合か。
う、んんん?
「でも、どうでも良くなったのね、母さん」
「⋯⋯つまり?」
「好きの反対は嫌いじゃないのよ、恋愛の場合は。じゃぁ、問題ね」
「へっ?あ、うん」
「『愛してる』の反対は?」
「えーと⋯⋯」
愛していない、は違うな。
となると、憎しみ⋯か?
でも何か違う気がする。
強いて言うなら⋯⋯⋯⋯。
「無関心?」
「お、正解〜。まぁ、私の考えだけどね。母さん、父さんに対して憎しみすら無くなったのよ。だから別れる。もっと早く別れていれば別の道もあったかもしれないのにね」
「そう、だね」
「まっ、熟年離婚ってやつね。今流行りの」
「なんか嬉しくない流行りだな⋯⋯」
母さんの中に咲いていた愛情の花はすっかり枯れてしまったんだろう。
ただでさえ繊細な花なのに、栄養も水もあげずに、ただ咲いていろ、と言うのは無理がある。
俺は、愛した人の花を枯らさないよう、努力することを決心した。
ま、まだ相手はいないんだけどな。
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(´-ι_-`) 愛って難しい