「三浦。三浦。おい三浦!」
まあまあの声量で名前を連呼しながら揺さぶってくるものだから、何事かと思って飛び起きた。
ヘッドボードに置いていた眼鏡に手を伸ばし、慌てて身に付ける。ぼやけていた視界が鮮明になり、眼前の男の顔もはっきり見えた。
「三浦、おはよう」
「おはよう……何、どうした?」
「三浦に見せたいものがある」
「見せたいもの?」
こっち来て、と言うので、言われるがままにベッドを降りた。裸足で踏みしめたフローリングは、まるで凍った水面のようだ。
寒さに身をすくめながら部屋を出る。同居人は廊下をずんずん進んでいく。どうやら玄関に向かっているようだ。
「外行くなら着替えたいんだけど」
「一瞬出るだけだから」
そう言うと、同居人はサンダルをつっかけて、玄関のドアを開けた。たちまち流れ込んできた真冬の冷気が肌を刺す。思わず「うわ寒っ」と声が出た。
せっつかれるままにサンダルに足を通して、玄関から一歩外に出る。「ほら見て」と促されて、顔を上げた。
「……おお」
「な、すごくね? 初日の出!」
影になった建物の縁から、まばゆい光が溢れだす。澄んだ藍が下のほうで、ほの明るい橙と溶け合って、夜明けの色をつくっていた。
富士山越しに見る初日の出は、そりゃあたいそう絶景なんだろうと思うが、マンションの共用廊下から見る初日の出も、存外悪くないことを知った。
さりげなく、隣に視線を流す。わざわざ初日の出を俺と見たいがために、早朝から叩き起こしてきた同居人は、目の前の光景にすっかり目を奪われている。
黄金色の光に照らされて、爆発したみたいな寝癖がよりいっそう芸術的に見えて、こっそり笑った。
【テーマ:日の出】
白い息を吐きながら、重い足取りで通学路を歩いていると、突然ばしりと背中を叩かれた。「ゔぇっ」と潰れたカエルみたいな声が飛び出す。
「よ! あけおめ!」
出会い頭に人の背中をぶっ叩いておきながら、よくもまあそんな爽やかに挨拶ができるな、と思う。
「痛いんだけど」
「おまえが新年早々辛気くさい顔して歩いてるから、喝を入れてやったんだよ」
そういう顔をしていた自覚はあるから、うまく言い返せなかった。本当なら、だれのせいで辛気くさくなってると思ってる、とでも言いたいところだが。
「それより、俺の今年の抱負を聞いてくれ」
鼻の頭を赤くした幼馴染は言った。
聞きたくない。心の底から興味がないし、何より、別に聞かずともなんとなく予想はつく。
「俺は今年こそ、絶対に彼女をつくる!」
隣の男は、高らかに宣言した。俺は鼻で笑った。ほらな、やっぱり。わかりきった答えでも、いちいち胸がへんに軋むから嫌になる。
「ふーん。頑張ってね」
「興味なさすぎだろ」
「お前の恋愛事情とかクソどうでもいい」
「冷たっ! 新年早々当たり強っ!」
やかましい。人の気も知らないで。知られたら困るのは俺だから、墓場まで持っていくつもりだけど。
「そっちは? ないの? 今年の抱負」
「あー、無病息災」
「まじめか!」
下手くそなツッコミが腹立たしい。どうして俺は、こんな奴のことが。自分でもわからない。
去年も今年も来年も、ずっと変わらない。抱負というより、それは願いだ。隣にいたい。たとえ、お前にとっての一番が、俺じゃなくても。我ながら馬鹿みたいだと思う。馬鹿と一緒にいるから馬鹿になるのだ。全部こいつのせいだ。
苛立ちのままに、隣を歩く男に肩をぶつけたら、「はあ? なにすんだよ」とぶつけ返してきた。
上着越しに触れる肩からは、体温は伝わらない。つめたい真冬の空気が、肌に痛かった。
【テーマ:今年の抱負】
リビングのドアを開けたら、トナカイの化け物が立っていた。正確にいえば、トナカイのマスクを被り、茶色の全身タイツに身を包んだ成人男性が、である。
化け物は「メリークリスマス」と言った。
「クリスマスは過ぎたから、森に帰ってくれ」
俺は言った。すると化け物は俺の両肩をがしりと掴んで、首を横に振った。
「俺の中ではまだ終わってない」
マスク越しの声はくぐもって聞こえづらい。俺は化け物のツノをひっつかんだ。被り物を上にずらすと、見慣れた男の顔が現れる。
「年が明けたなんて信じたくない。俺の心はまだ、クリスマスの中にいるんだ」
男はひどく切実な目をしていた。
この男は無宗教のくせに、クリスマスというイベントを異常なまでに愛している。そして毎年、だいたい数週間くらいはクリスマス気分を引きずって、このような奇行に走る習性がある。
新年早々、トナカイのコスプレをした同居人を前にしても驚かない程度には、俺は奴の奇行に慣れきってしまった。年がら年中、この変人と一つ屋根の下で生活を共にしているのだから、無理もない。
チキンを貪るトナカイの横で、俺は餅を焼くことにした。世にも奇妙な新年の幕開けである。
来年の今ごろまで、俺は果たして正気を保っていられるのだろうか。新年の食卓にて、トナカイの化け物二匹が並んでチキンを食らっている光景が頭に浮かんで、恐ろしくなった。
【テーマ:新年】
「正直オワコンじゃないか?」
同居人が大まじめな調子でそう言ったので、俺はミカンを剥く手を止めて、顔を上げた。
「なにが?」
「"良いお年を"っていう挨拶」
同居人いわく、"良いお年を"という言葉は、使い古されすぎて新鮮味がない。"お年を"で切れるのもまた気持ちが悪い。どうせ言うなら最後までちゃんと言え、とのことだ。要するに彼は、"良いお年を"という挨拶が気に食わないらしい。
いったい何を言ってるんだろうと思うが、こいつが真剣な顔で意味のわからない持論を展開するのは、別に今に始まったことではない。
「“良いお年を”に次ぐ挨拶を考えるべきだ」
「たとえばどんなの?」
「…………」
黙り込んでしまった。オワコンとか言うわりに、代替案は特に持ち合わせていないらしい。肩透かしを食らった気分になり、俺はミカンを剥くのを再開した。
今年も終わりを迎えるというのに、相も変わらず、こいつとは中身のない会話ばかりしている。
こたつに入って、ミカンの白い筋をちまちま取りのぞきながら、どうでもいい話をだらだらと聞き流す。たぶん、来年も再来年も、こんな調子で過ぎていくんだろう。隣にこいつがいる限り。
【テーマ:良いお年を】
「パンくずに似てる」
手の中の小瓶をしげしげと見つめながら、そいつは言った。わたしはちょっと眉をひそめる。女の子から贈り物をもらっておいて、ありがとうとか、きれいだなとか、気のきいたことひとつ言えないのか。
「パンくずじゃないから、食べちゃだめよ」
ロマンのかけらもないこの男が、まちがってもコルク栓を抜いて瓶の中身を舌の上にぶちまけたりしないように、わたしは釘を刺した。
「パンくずじゃないなら、これ何」
「星の砂」
「ほしのすなって何」
そういえば、なんだろう。改めて聞かれると、何なのかはよくわからない。星の形をした、不思議なかけら。これは一体なんなのだろう。
ただ、売店の棚にこぢんまりと並んだ小瓶がかわいかったから手にとった。『星の砂』って名前もなんだか不思議で素敵だと思って、おみやげに選んだ。
「わからないけど、きれいだから買ったの」
「ふーん」
「いらないなら返して」
「なんでだよ。くれるんだろ?」
「パンくずって言わないで」
「言わない、言わない。ほしのすなだろ」
「そう、星の砂。気に入った?」
「うん。おまえがくれたから」
「…………」
そういうことはさらっと言えてしまうから、わからない。
【テーマ:星に包まれて】