旅路の果てに
酒場の半戸がぎいいという音を立てて男を迎え入れた。
「いらっしゃい」
白い髭を蓄え、庶民服を着た店主がそう言った。
「旅の方かい?」
店主が男に聞く。
「あぁ。店主、キールをくれ」
大きな荷物を背負い、顔がすっぽりと隠れるほどのフードを被った男は静かにそう言った。
男はカウンター席につき荷物を下ろそうとした。とても大きな音が鳴ると思ったが、とても軽い音しか鳴らなかった。
男がフードを外す。
とても澄んだ翠緑の瞳をしているが、傷だらけの顔と大きな体には、とても不似合いである。
「はいどうぞ」
真紅の色をしたキールが男の前に差し出される。
男はそれを少し呑んだ。
「この街にはどれくらい滞在するんだい?」
店主が聞く。
「いや、実はここが旅の終着点なんだ。妹に会いにきてね」
男がそう返す。キールがゆらりと揺れる。
「おお。家族の再会って訳か。それはいいね。家族は大事にすべきだ」
店主は自慢の髭を触りながら歯がピカリと光るような笑みをした。
「そうだね。そう…。ほんとうに」
男は荷物を触りながら言った。
男はグラスに残った酒がなくなるまで、店主と他愛のない会話をした。
男がそろそろ出るかという時に、店主は聞いた。
その箱の中身はなんなんだい?、と。
すると男は翠緑の瞳を揺らめかせて、
「天国への梯子さ」
そう言った。
あなたに届けたい
拝啓、あなたへ。
この手紙をあなたが読んでいるということは、あなたはきっとわたしのことを知らないでしょう。
信じてくれないと思いますが、あなたとわたしは友達だったんですよ?。こう言うと変ですが、前世…みたいなものでしょうか。知らなくていいです。覚えてなくても、無理に思い出さなくてもいいです。ただ、ただ今はあなたに甘えさせてください。
年が明ける直前、2人で一緒にジャンプしたのを覚えていますか?。
あったかいコートと、手袋と、マフラーをつけても外はとても寒くて、あたり一面雪が積もっていて、雪はもう止んでるのに、雪が降ってた時より寒くて、息を吸うと、肺がズキンと痛くなったのを覚えています。
2人で積もった雪の上を歩いて、わたしが一緒に年が明ける直前にジャンプしようと言ったとき、あなたは少し嫌そうな顔をしていたけれど、一緒にジャンプしてくれたのがとても嬉しかった。
その時、私が着地をミスって、あなたに倒れ込んでしまってごめんなさい。あなたを下敷きにしてしまって…。多分…じゃなくて、後日の風邪は確実にわたしのせいです。ごめんなさい。でも、『背中寒すぎる』といって笑ってくれたのがとても嬉しかった。そのあと、あなたに『はやくどけ』と軽く叩かれてしまったけれど、無理に押し返そうとしてこなかったのがとても嬉しかった。とても、とても嬉しかった。
寒さなんか忘れてしまうほどに、暖かくて優しい温度だった。
忘れたくないと思いました。
わたし、髪を切りました。
胸まであった髪を耳がやっと隠れるくらいの短さまで。
だからきっと、あなたがわたしのことを覚えてくれていたとしても、多分あなたはわたしのことがわからないでしょう。
幸せになってください。
どうかいい夢を見てください。
あなたが悪夢にうなされる夜がありませんように。
あなたが、あなた自身を嫌いになってしまうことがありませんように。
だから、どうか、
あなたがわたしのことを忘れてくれるくらい、
いっぱいの幸せに囲まれますように。
ただ、それを切に、切に願っています。
令和8年1月30日
I Love…
『I Love …』とはまた妙なお題。
この後に続く言葉は『You』しかし考えられないけど、…が続いて終わりってことは、禁断の恋か、それとも遅過ぎた恋か……。ふーむ。恋愛のなんちゃらに全然関わってこなかった私には難しいお題すぎる。
クラスの中で誰と誰が付き合ってるなんてのも、私は知らないんだもの。
私の年齢では、恋愛=青春である。
もちろん友だちや部活動なんかも青春に入るだろうけれど、私の友達も話題が尽きたら、彼氏が欲しいか、とか、どんな人が好みか、という話になるから、この考えは間違いではないと思う。
別に彼氏が欲しい訳でもないのに、友達には早く彼氏が欲しいと言う。別に彼氏が欲しい訳でもないが、欲しくない訳でもない。すごく矛盾してるようだけれど、こう言い表すことしかできない。
青春真っ最中と言われるこの時期に、好きな人もいない、男友達もいない私は、周りのクラスメイトの中で劣っているような、損をしているような気分になる。
こう言うと変な感じになるが、友達が男の人と話してると、置いていかれてるような感じがする。
小学校の頃は自然と中学生になったら恋人ができると思っていた。でも現実はそんな漫画みたいにはいかない。急に男の人と同じ家に住むことになったりとか、イケメンな転校生が隣に座ったりとか、他にもいろんな、いろんなこと。そんなのそもそもありえないとわかっているが、それでも心の隅に思い描いていた理想を友達がしていると、やっぱり何か変な気持ちになってしまう。
I Love…I Love …愛しています…愛しています……。
……けれどこんな変な感情を持っていても、限りなくマイナスに近いはずで、考えれば考えるほど何もかもが自分には足りないと思ってしまうのに、考えていると、なんだか自分がとても可愛く見えてしまうのはなんでなのだろうか。
街へ
遠いところへ行こう。
誰も自分を知らない遠いところへ。
過去のことなんか全部忘れて、新しい自分へと生まれ変わるんだ。そうしたら、きっと今よりももっと素敵な自分になれてて、隣にはもっと素敵な人もいてくれてるはずだから。
家は大きくなくてもいいから、居心地が良くて、景色がいいところにしよう。朝になったらカーテンを開けて、大きい伸びをするんだ。庭には畑を作って絵本に出てくるような大きなカブとカボチャを育てよう。豪華じゃなくてもいいから、毎日おいしくて、お腹いっぱいになれるご飯を。もちろん、人生のお供に動物も飼おう。犬がいいな。麦畑みたいな毛並みをしたゴールデンレトリバーがいいな。毎日その相棒と草原を走り回るんだ。
新鮮な空気を肺いっぱいに吸って、青空に向かって懐かしい歌を歌う。アコギなんかも弾いちゃったりして。
夜は星空を眺めながら、羊を数える。1匹…2匹…。
それで、なんの悪夢を見ることもなく、朝日を怯えるなんてこともない日常が、送れるはずだから。
それができたら、どんなに幸せなんだろうと、埃を被ったカーテンを見て、そう思った。
優しさ
もしかしたら、うちの犬は明日死ぬのかもしれない。
私の足に前足を伸ばして、尻尾を千切れるほどに振り回し、私の腕に顔を擦り付けるうちの犬の、つぶらな黒い瞳を見て、ふと、そう思った。
数年前に犬を飼い始めた。トイプードルで、オスで、名前は『モグ』。名付け親の父からは、『モグモグといっぱいご飯を食べて欲しい』という理由でモグと名付けたそうだが、実際はすごい偏食家で、高いペットフードしか食べない裕福気取りの犬になってしまった。
そんなうちのペットのモグ。なんで、死んでしまうかもしれないと思ったのは、思ったのは……、なぜだろう。
けれど、そう思った。ふと、そう思ってしまった。
歳だろうか、最近よくモグは吐く。しょっちゅう母の車に乗せられて病院に行く。モグはきっと、この家に来るべきじゃなかったと思う。モグは私が家に帰ると必ず、私の足に前足を伸ばして、腕に顔を擦り付ける。尻尾を扇風機のようにブンブン回して。私はそれが理解できなかった。その行動は、その愛情表現は、私にするべきじゃないからだ。
私は酷い飼い主だ。
私は、モグを蹴ったことがある。モグの腹を。
最近まで、私はモグのことが好きじゃなかった。嫌いというほどでもなかったが、少なくとも家族ではなかった。いつからだろうか。モグに噛まれて、爪が割れた時から?。手に傷が残った時から?。お気に入りの人形を壊された時から?。わからない。けれど、そう…、その時、学校でうまくいかなくて、イライラして、親にも、何もかもに嫌気がさしていて、物に当たったり、カーテンに何かを投げつけたり、してて、その時、黒い、瞳で見つめるモグが、とても憎らしく見えて、私は蹴った。蹴ってしまった。それなのにモグは私に尻尾を振って、構ってと、そのまた黒い瞳で私を見つめてくる。なんで?。私はきみに酷いことをしたじゃないか。一度や二度じゃない。なんでそんなことができる?。
飼い始めの頃、毎日ブラッシングしてたからか?。途中で飽きて辞めてしまったのに?。
母がヒステリックになって、家を荒らした時、私のところに来たのはなんで?。私が隅で縮こまってたから?。
わからない。わからない。なにも、なにもわからない。
きみは一体何を見てるんだ。何もきみにしてあげられなかったじゃないか。
『今日もモグ吐いててね、食べたものをそのまま吐いてるみたいなの。』
お風呂上がり、浴室から出ると母が言った。知ってる。知ってて、私は見ないフリした。昼に一階に降りると、くすんだ薄桃色の鶏肉が汚く点々と落ちてた。ドロドロの消化されたものじゃなかったから、モグが皿から落としたのかと思ったけれど、それでこうはならないとすぐにわかった。わかってそれを片付けなかった。汚いから。みっともなくて惨めだから。
洗面所にまでついてきたモグからは、ゲロ特有の酸っぱくて苦い、臭いにおいがした。口元の毛には固まったカピカピのゲロが張り付いてた。
水に濡らしたティッシュで取ろうとしたら、器用に頭を動かしてティッシュを避けていく。水嫌いだったもんな。シャワーする時いつも浴室の影に隠れてたから。私は諦めてそのティシュを捨ててモグの頭を撫でた。
洗面所にまで入ってくるのは珍しいなと思った。モグの体調が悪いのは、たくさん吐くようになったのは、私が腹を蹴ったからかもしれないと思った。
ごめんね。ごめんなさい、明日も、生きて、私の横に座ってくれませんか。