シャアとアムロみたいにさ
ガンダムに乗っていても
気持ちを共有出来ればおもしろいのに
アムロとララァのように
気持ちを共鳴させられればいいのに
スマホなんかなくても通じ合えて
思うことがわかっちゃえばいいのに
ニュータイプになりたいなあ
でも
それでも戦うしかないんだから
思いは溢れるほどに厄介だな
人間死んでも魂は生き続ける
思いは繋がれて生き続ける
肉体が無くなって、もっと自由になる
人間の身体、がなくなっても
私たちは生き続けられるのならば
いつか身体がなくとも
ハグだってキスだって出来るのかな
物理的に触れ合わずにハグやキスができれば
遠距離だってへっちゃらだね
宇宙空間でさえ飛び越えられるよ
せり
なずな
すずな
すずしろ
ほとけのざ
ごぎょう
はこべら
わすれなぐさ
勝手なわたしの冬の八草
小学生のとき、幼なじみが5人いた。
わたしを入れて6人。
村の北側に住む3人と南側に住む3人。
仲はいいけど何かあるときは
だいたい3人ずつに自然と別れた。
しばらくすると村の中央部に
同い年の子が1人引っ越してきた。
なのでわたしの幼なじみは6人になった。
中央部だけど南側の子達と仲良くしたかったみたいで北側に住む私たちとはそんなに仲良くなかった。
その子が越してきた家の目の前に神社があってその神社には4つブランコがあった。そこは南側の敷地のようであまり立ち寄らなかった。
北側には小さな公園があってそこにはブランコが2つしかなかった。でもここは私たちの敷地だった。
この前実家に帰った時、公園のブランコがなくなっていた。小さな小川も干からびていた。砂場も無くなっていた。子どももだーれもいなかった。
私の人生はどんな風に終わるのだろう。
人生は長い旅だと言うけれど、私の人生はなにかを得られるような人生のだろうか。生きててよかったと最後に思えるような人生なのだろうか。
成長、学び、そんなのはただの自己満足、承認欲求だ。そんなものに苦しめられて、本当に人生を楽しんでいると胸を張って言えるのか。
毎日の成長や学び、嫉妬や憎悪に心を揺さぶられ、仕事のために生きているような人生。私の人生に意味なんてあるのだろうか。長い人生という旅路の果てに私を待つものは何か。