久しぶりの非番だというのに午前から呼び出されてしまった恋人を待つ間、コーヒーを一杯注ぐことにした。
常温の水をメーカーに入れて少し待つと、コトコトという音とともに湯気が上り、独特の苦味が柔らかく鼻腔を擽る。コーヒーが出来上がるまでのこの瞬間が一番好きなのだと、いつの日か彼が言っていたのを思い出す。
「遅いなあ……」
彼は、ちょっとした変化に気付いては嫌味なくサラリと褒めるようなひとで、たまにこちらを揶揄っては言い返されるたびに面白そうに笑う顔が、なによりも素敵だった。
舌も、上背も、感性も、何においてもうんと大人だから、いつかあたしを置いて遠いどこかへ行ってしまうんじゃないかと怖かった。
……だけどもう、きっと大丈夫。これからはずっと傍にいるって約束したもの。
「はやく帰ってこないかな」
その時、─── ジリリン!!と受話器が揺れる。
天井から吊り下げられた暖色の光が、約束の証にギラリと反射した。
▶︎コーヒーが冷めないうちに #13
靴紐がほどけたらきみに結んでもらおう
▶︎靴紐 #12
たとえば、ゆるやかなみどりの丘
どこまでも続く色とりどりの花畑
華やかなそこに、ひとつだけ露出した土があるとして
あなたは場違いだと文句を言うでしょうか
植える花を見繕うため丘を下るでしょうか
それとも、見て見ぬ振りをするでしょうか
その空白をひたすらに見つめていたひとは
こう言いました
隠すだなんてもったいない!
この土があってはじめて花畑は完成するのに、と
▶︎空白 #11
茹だる蛸のように赤いりんご飴
シャクリと食めばあまい思ひ出
▶︎真夏の記憶 #10
ずっと君を見ていた。
君の背中をひたすらに追いかけて
振り返らない後ろ姿に心惹かれて
見られないことに、落胆されないことに安堵して
そうして前を向いて進んできた。
それなのに、どうして
よく鍛えられた肩甲骨を見え隠れするように
風に揺らめく見慣れた髪と同じ色の瞳が
こちらをじいっと見つめているの?
▶︎夢じゃない #9