タイムマシーンがあったら、どっちに行く? 過去と未来
んー、未来かな。
どうして未来? 過去の方がよくない?
未来に行って、これからどうなるか教えてもらうの。失敗したこととか後悔してることとか。で、そうならないようにする。
ふーん、そんなんでいいの?
なにその反応。もしかして宝くじ当てようとか考えてる?
考えてるよ。だってそしたらずっと遊んで暮らせるじゃん。そのほうがいいでしょ。
不純だなー。知ってる? タイムマシーンがいちばん最初に登場した小説、いや作ったって設定のひとはね、恋人が死ぬ運命を改変したくてタイムマシーンを作ったんだよ。
うん。で?
だからーそんな宝くじ当てたいみたいな欲望のために使っちゃいけませんって話。
なにそれ、どう違うのかよく分かんないんだけど。
西陽が教室に差し込んでいた。
スカートの厚い生地を通して伝わる机の冷たさ。椅子に座る友人を見つめながら、わたしたちは他愛もない会話をしていた。
ほんとうに何度も繰り返した日常。ありふれた記憶。でもこの日だけは思い出すたびに泣きそうになるの。
タイムマシーンがあるのなら、わたしはこの日に帰りたい。
そして同じ会話をして、笑いながら教室を出て、夜になる前の時間を駅までふたりで歩く。
この日に帰りたい。
海の底の夢を見る。
わたしは人間の形をしてなくて、きっと海中の魚か、泳いでいる爬虫類の形をしていて、水底から空を思い描いて、波の向こうを見ようと、差し込むこの光はなんなのか、どこからやってくるのか知りたくて、水面を見上げていた。
あの白く輝くものはなんだろう。気泡似た丸いかたち。あれを水を隔ててではなく、直に見てみたい。この短い手を伸ばせば、あの強烈な白が手に入るだろうか。
海が暗くなった時に垣間見える静かなひかりとも違う、あれ。しずかなしずかな眠りと産卵の時間には見えないもの。
それに焦がれていた。
どうにかして近づけないものか。いつしか見上げることをやめた。近づけばいいのだ。海を出ればいい。浅瀬へ移動する。足が砂に触れる。水の温度が上がる。肌に不愉快だ。それでもと途方もない夢、途方もない欲望が疼き、後押しする。海を出た。
陸にあがっても、それははるか頭上にあった。そのかわりにはじめて見る色を目にした。
海に戻れなくなった。遠くからみるそれは、海中にいる時と違う色をしていた。青い空と同じ青い色。
夢を見る。帰りたい、帰れなくなった海の底の夢。
美しいものが見たいと父は言った。
美しいものってなあに?
尋ねると、父は銀の雨だよと答えた。
銀の雨、雪でも雨でもない銀色の雫、それがお空から降ってくるのはね、どこかで誰かの大切なひとがしあわせになったことを教えてくれるんだよ。
この世界は不公平だ。
運のいいやつはやさしい両親兄弟のところに生まれ、愛情に恵まれてしあわせな人生を送ると、そう決まっている。悩み事ができたって、いやなことがあっても、必ず誰かが助けてくれる。
お綺麗な苦しみ、あっさり終わった悲しみを、私も辛いことあったよ、頑張ったんだだよと胸を張って話す。
殺してやりたい。
今すぐわたしの苦しみを突きつけて、ほら、頑張れ、辛くても頑張れるんでしょと焚きつけてやりたい。
そんなことをずっと考えていたからか。目の前に現れた異形は清らかな微笑みを口元に浮かべて、それはそれはやさしくあなたの願いを叶えてあげましょうと言った。
わたしの願い?
そんなの決まってる。わたしより幸福なやつを不幸にして欲しい。泣いたってどうにもならないことを、誰も助けてくれないことを、自分が原因じゃない不幸がどれほど重くて、もがきたくてももがけないことを知って欲しい。
あら、あなた、そんなことでいいの?
いいの。だってこう考えちゃうもん。わかってるよ、わたしだけが不幸じゃない。わたしより苦しいひとはいる。でも、ほんとうにそうなのかなって。みんな不幸で悲しくて苦しいと思うけど、どこか、ほんの一部分はわたしよりしあわせなんじゃない?
だから、この願いを叶えて欲しい。違ってたら、それはそれでいいよ。あってても、それはそれでいいよ。
だから、お願い。
異形は呆れた顔で指を振ると消えた。
目を閉じて、しばらく待ってみる。目を開ける。窓ガラスから見る世界は何もか変わって内容に見えた。
わたしは靴を履いて外に出た。友人に会って泣いていないか確認するために。
砂漠という土地があるとその男は言った。
昼日中は火傷するよう熱い日差しが降り注ぎ、夜には凍りつくような冷たい風が吹くその場所は、水が奥深くに隠されてなかなか見つからないらしい。夢のように美しいところだと。
そこには何があるのかと尋ねると、砂があるという。砂と風とほしと正反対の気温がある、と。
砂とはなんだと尋ねると答えるのが難しいと言われた。では凍りつくとはと聞くと、きみのはるか下にある厚いかたまりのことだと答えた。
氷と寒さは非常に近いらしい。ならば私は氷も寒さも知っている。氷は底にある触れないほうがいいもの。近づくと鱗が固く収縮する。それが寒さだろう。
男はそうだねと言った。そしてわたしが向いている方向を指差した。あちらは何がある?
私が答える番だった。あちらにはミカナキキバどものすみかがある。危険だ。行かない方がいい。奴らは獰猛だ。
ぼくと似た形を見たことはある?
見たことはない。だか、似たものがミカナキキバどもに連れていかれたと聞いた。喰われたんだろう。
きみはきみと同じ形、つまり同じ種族のものが連れていかれたらどうする?
どうもしない。奴らには勝てない。
男はしばらく黙り込んだ。
君たちはある程度の知能があるのに、生きるためだけにしか使わないんだね。それが正しい在り方かもしれないけれど。
生きるのは当たり前のことだ。獲物を喰らい、子を成す。それが以外に何がある。
男は行った。戻ってこなかった。喰われたんだろう。
それ以来、私は夢を見るようになった。
夢とは何か、それは視界を閉ざして獲物を食ったあとのような気分になること。そう教えてもらった。
夢の中、私は砂漠にいる。熱いと日差しも分からないが、氷と寒さは知っている。風も知らない。気温も空も夜も昼も朝も。男と名乗った奇妙な形のものがなんだったのかも。
男が戻ってきたらいい。もっと砂漠のことを教えてもらえる。しかし無理だ。
夢を見ることができるようになった。時々視界を開くのが嫌になるときがある。初めての感覚だ。できることなら、ずっと砂漠の夢を見ていたい。
男も同じように夢を見ていればよかったのに。