わたしがお年玉をはたいて買ってきたモノを見ると、お母さんは「悪い予感しかしないわね」と言って、ため息をついた。わたしはそれで、ちょっと泣きそうになってしまったんだ。
最初に、店先で目が合って──って、これにはもちろん目なんて付いてないんだけど。
気がついたらわたしの目の前にはこれがあって、わたしは無意識に手を伸ばしていて、触れた瞬間、指先にピリッと電気が走ったような感覚がして、だから。
これはきっと、わたしの運命なんだ。
だって、ワクワクする──きっと面白くて楽しいことが、これを手に入れた、これからのわたしを待っているんだ、って。
わたしには、そう思えたのに──。
◇
うーん、なるほどー。
このお母さん……オトナって、変化を嫌うトコあるよなぁ。この何事もない日常がつつがなく続いてくれればそれでヨシ! それがいちばん! みたいな。
そして若かりし頃のお母さんはかつて、自分の予感に従って、失望したことがあったりなかったりするのかもしれない……なーんて。
日常を壊されそうに思っちゃうお母さんの不安は、わからなくもない。でも、だからって、ヒトが抱いたステキな予感や未来を否定する権利なんか、実の親にも、誰にもないんだからね! 頑張れ、『わたし』チャン!
──さてさて。
次の作品の『予感』は、ポジティブ?
それとも、ネガティヴ?
「いやそれ、誤解誤解。俺らはjust 『friends』だからさー」
くそぅ。なんでそこでネイティブ発音になるかな。日本語で『ただのトモダチ』って言うより耳に残るじゃねーか。
奴は私を恋愛対象な女として見ていない。そんなことくらい知っているし、それを利用して私は、他の女子よりも奴の近くにいられるワケなんだし。
ところでトモダチの定義って何よ? つるむのが多いとトモダチ? お互いのアカ交換してれば? 一緒にごはん食べ行ったりする仲なら?
それで? 片方がトモダチ以上の気持ちを持って相手に期待してたとしても、トモダチって言える?
……で。他人に誤解される程度には仲良く見えてしまう奴と私は、まぁ……トモダチ、なんだけどさ。
「吉野はさー。俺らって付き合ってんの、って訊かれても、これっぽっちも動揺しないよなー」
吉野こと私と奴との仲を確かめたくて、奴を質問責めにした女子たちが去った後で、奴が言った。
「動揺? する必要、なくない?」
トモダチならね。だから全力で演技してますよ? って、やだ私ってば、めっちゃ演技派。
「そっかー。まぁ、そーだよなー……あーでも、」
言いながら奴が私に、ぐっと顔を近づける。ったくもう! 帰国子女のパーソナルスペースはどうなってんだ、コンチクショー! と内心で吠えまくりながらも平静を装い、私は奴が続けるのを待った。
「…………」
しばらく私の顔をじっ、と見つめていた奴の手が、私の両頬を包む。私より大きな手が、冷たい──。
「こうすると……カオアカクなるんだけどな」
「え? なに?」
奴の手が、両頬から両耳に滑り。おかげで上手く聞き取れなくて、でも聞き返しても、奴は言い直してはくれなかった。
「つまり。いまのところは、なんだけどな」
「え? いまのところ、って、なにが?」
「なんだろうねー? あ、五限終わったらラーメン行くよな?」
「あー……うん。いいよー行っても」
行く行く、もちろんっ! と嬉しさをそのまま素直に伝えないjust friendsな私の演技は、今日も絶好調だ。
君の歌がどうしても羨ましかった僕は、君の歌を僕の物にした。
僕が唯一得意とする魔術でそれが可能なんだと知ったとき、僕は嬉しくてしょうがなかった。君の歌を奪って、ついでに──誰からも必要とされない、僕を捨てればいい。
僕と違って君は、誰からも愛されていた。君の歌を愛さない者なんていなかった──そうやってこれまで、たくさんの人に愛されながら生きてきたんだろう? 僕にもそれを、分けておくれよ……!
そして僕は、禁呪を使った。
君の体から君の魂を追い出し、そこに僕の魂を憑依させることに成功した。
君の歌を歌っているのが、君の姿と声を得た僕だなんて誰も気づかない、つまり──君の歌はすっかり、僕の物になったのだ。
みんなが僕の歌を褒めて、必要としてくれる……ああ、なんて幸せなんだろう!
……なのに。
少しずつ、本当に少しずつ、人々は僕から離れていった。僕には、僕の歌では、それを止めることが出来なくて……どうして? 同じ声で、同じ歌い方なのに。前の方が良かった、って……どういうこと?
なにも変わってなんかない。
変わったのは──魂、だけだ。
まさか──『君が紡ぐ歌』が人々に愛されていたのは、君のその、美しい魂のせいだったというの……?
「うーん。ボクの魂が美しい、とか……それは、どうなんだろ? そんなことよりさ、ちょっと提案があるんだけど、聞いてくれる? それをやればきっとね、もっといい歌になるはずなんだ!」
いまもなお僕のかたわらに在る君のゴーストが、そんなふうに言う。
「じゃ、特訓しよ? 大丈夫、キミなら出来るから!」
そうやって君は──いとも容易く僕を許し、僕の未来を信じてみせるのだ。
手動式のアイスクラッシャーでクラッシュアイスを作るのは僕の役目だった。ころんとしたシルエットのロックグラスにクラッシュアイスを満たしてやると彼女が、ウイスキーのボトルを持ってきてそこに注ぐ。ウイスキーミストだ。
摘んでおいたベランダ菜園のミントを齧りながら彼女は、ウイスキーミストに口を付ける。こくり、と喉を鳴らして飲むのを、あまり酒が得意でない僕はいつも少し羨ましく思っていて、曇ったグラス──霧の向こう側の琥珀色をうっとりと眺める彼女は、とても幸せそうだった。
「そんな君の幸せな時間を、僕が奪ってしまったんだよなぁ」
棚の奥にしまっていたアイスクラッシャーを引っ張り出してきた僕は、言いながらクラッシュアイスを作る。あのロックグラスも割れずに残っていてベランダのミントも健在、彼女がよく飲んでいた銘柄も僕はちゃんと覚えていた。
ボトルの栓を開け彼女に手渡す。彼女はウイスキーを注ぎ、口を付け──グラスを置くと冷蔵庫から、炭酸水のペットボトルを持ってきた。
「出産したら味覚が変わっちゃったのよねー、フフッ。こんな飲み方、もう出来ないみたい」
ウイスキーミストをハイボールに変えながら彼女が言った。そしてチラリ、とダイニングから続く子供部屋へと視線を送り、それから僕に向かって「いまだって充分、幸せですよ?」と微笑んでみせる。
グラスにかかった霧の向こう側の琥珀色は薄まっていて、代わりに光が弾けている。その『光と霧の狭間で』溶けている琥珀色の時間に、僕たちは、お互いのグラスをチン、と合わせたのだった。
「おや。存外飽きるのが早かったじゃないか」
手の中の砂時計をこれみよがしに掲げてみせながら、男が言った。
「あの男のことは、もういいのか?」
この夜が明ければ、謂れのない罪で処刑される私の前に唐突に姿を現した、上流貴族としか思えない出で立ちの男。地下牢の柱に繋がれた足枷の鎖を引きずり、男の足に縋りついて涙ながらに助けを求めた私は、そこでようやく、何もかもを思い出した。
そうだ。
この男は──私の望みを叶えた、悪魔だ。
私はこの人生を、何度も繰り返していた。まるで小説の悪役令嬢のような人生。運命に抗うように生き、けれど毎回この地下牢に繋がれ──そうするとこの悪魔が、私の人生の砂時計をひっくり返しに現れるのだ。
私は望んで、この人生を何度もやり直してきた。
やり直せば彼は、きっと今度こそ私を見てくれる。いいえ、見てくれなくてもいい──どんな運命でも、彼の側にいられるのなら。私の愛はそれほどまでに深くて、だから……!
けれど。あろうことか私は、この悪魔に助けを求めてしまった。「もう繰り返したくない」と、悪魔の足に縋りついて……。
「さて。お前の望みを叶え続けた我の愛は、ここへ来てようやく報われるか? それともお前は、まだあの男へ真実の愛とやらを捧げ続けるのか? まぁ……選ぶのは、お前だ」
サラサラサラ。細く落ちていく砂の音が、頭の中にこだまする。選ぶのは私。私が選ぶ愛は、勿論──。
しばらくして。私の口から放たれた言葉を耳にした悪魔が、その手をゆっくりと手を広げる。パリン、と石床にぶつかる『砂時計の音』を聞きながら、私は安堵し、そして絶望したのだった。