薄墨

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2/1/2025, 9:46:29 AM

柔らかい日の光に目を細める。
今日くらいは、ゆっくり行くのもアリかもしれない。

手綱を緩める。
腰に伝わってくる振動が、少し遅くなる。
馬の栗毛が、穏やかな陽に照らされて、柔らかく波打つ。
なんだか、ホッとしているような表情を浮かべ、馬は緩やかな並足で進む。

ホッとするのも当然だろう。
今まで、大急ぎで飛ばしてきたのだ。

ここまでの旅路は、とても慌ただしかった。
厄介事にたくさん遭遇したし、何より目的地まで早く着きたかったから。

私は自国の軍の命令を受け、旅をしている。
目的は、敵国の偵察。
それから、攫われた自国の指導者の娘を、救い出すことだった。

私の国には、資源がない。
あるのは、周りから資源や技術を略奪するための軍事力だけだ。
私たちは、他国と戦争を起こし、勝利を重ねて賠償や戦果として労働力や資源を得ることで、国として生き延びてきた。

しかし、最近は、火薬や爆弾など、軍隊の練度に関係のない武器が他国で開発されるようになってきた。
また、戦争の形態も変わってきた。
いつの間にか、他国は、一対一で勝負することを拒否し、平和協定を結んだり、不可侵条約を締結したりして、他国と協力した、団体戦を行うようになったのだ。

この世の中の変化は、私の故郷のような国には、逆風だった。
そういう世の中を生き残るため、自国は、在り方を変えることにした。

今までのように、自分たちが一国で、他の国に侵略戦争を挑むのはやめた。
その代わりに、他国や他国の企業に、貨幣や資源を支払ってもらうかわりに、他国の戦争を代理で請け負う。
私たちの国は、そう生まれ変わった。

私たちの国は、手数料を払ってくれるなら、どんな団体にも仕え、どんな相手にも戦果を上げる、軍隊国家として生き残っている。

当然、そんなビジネスモデルのために、我が国は、いろいろなところから恨みを買う。
指導者の娘が攫われたは、昔、クライアントからの依頼で滅ぼした国の残党によってだった。

その娘を救うため、私は大急ぎで、今まで旅をしていたのだった。

しかし、もう急ぐ必要は無くなった。
指導者の娘が攫った奴らによって殺されたことが、旅の途中で、明らかになったからだった。

あの娘は、あの指導者の子とは思えないくらい、朗らかで優しく、笑顔がとても可愛かった。
指導者最愛の子で、国民たちにとっても最愛の子だった。
軍大臣の娘の私とは、幼い頃からの知り合いで、私の最愛の、自慢の親友だった。

任務を失敗した私は、自国に帰れば殺されてしまうだろう。
親友の命を救うにも、国も救うにも間に合わなかった、そんな不甲斐ない罪人なのだから。

旅の途中で、私の旅は終わったのだ。

あの娘が死んだのに、陽は朗らかにさしている。
馬はのどかにゆっくりと歩いている。
私はなるだけゆっくり進む。
旅の途中で、旅の目的地は変わった。
これから私が歩むのは死出の旅。
親友を悼み、自分の死の準備をする、死の旅だ。

まだ旅の途中だ。のんびりいこう。
あの娘との思い出を辿りながら。

私は進む。
のどかな陽の中で、馬の鬣がふんわりと揺れた。

1/30/2025, 10:44:41 PM

桜を、「空知らぬ雪」と呼んだのは誰だったろうか。

今日も、どさどさと雪が降っている。
見た目だけはふわふわと楽しげな、真っ白な雪が、地面を埋めている。

冷え切った、雪かき用のスコップの柄を掴む。
きゅっ、と手袋が鳴る。
白い雪の中で、スコップの先のプラスチックの赤い色が、くっきりと目立っている。

私には探し物がある。
雪は冷たくて、寒くて、重い。
こんな雪の中での探し物には、手袋と雪かきスコップが欠かせないのだ。

桜の下には死体が埋まっているという。
雪の下にも死体は埋まっているのだろうか。
きっと埋まっているのだ。
どちらもハッとするほど美しいのだから。

君に出会ったのは、まだほんの小さい子どもだったころだった。
その日も、雪がどっさりと地面を覆って、まだ雪かきの苦労もスリップの恐ろしさも知らない私は、無邪気に、天から恵まれたこの白いおもちゃに、胸を弾ませていた。
君はそんな雪の中にいた。

白いもふもふの耳当て付きの帽子をかぶって、白いジャンパーを着込んだ君は、雪の中にすっかり溶け込んでいた。
それでも私が君を見つけられたのは、君が、閃くように真っ赤な、暖かそうなマフラーを着けていたからだった。

目が合うと、君は、寒さで赤い頰にえくぼを浮かべた。
その笑顔がとてもかわいく見えて、私は「一緒に遊ぼう」と手を引いたのだった。

それから、君と私は友達になった。
雨の日も晴れの日も、もちろん雪の日も。
私と君は、本当に気が合って、毎日遊んだ。
この地域の中でも一番の仲良し二人組だ、と町中が噂するくらい、私と君は仲良しだった。

関係が変わったのは、君が「きびき」で早退けしたあの日からだった。
あの日、先生に連れられて教室を出て行ってから、私は君になかなか会えなくなった。

君は学校を休みがちになった。
そして、会うたびに君は、なんだかやつれているように見えた。
赤くてまんまるなほっぺたも、ぴかぴかの笑顔も、どんどん目減りした。
いつも顔を上げて、雪になると決まってはしゃいで、子ども特有の無茶を考案するのはいつも君の方だったのに、あの日から、自信なさげに俯くことが増えた。
君の首にいつも巻かれるようになった赤いマフラーはいつのまにか、ボロボロにほつれていた。

それでも、君は、いつも私に向かってえくぼを浮かべてくれたから、私たちは仲良しで、親友だった。

私は知らなかった。
いや、知らないふりをしていた。
大人たちが、世間話でヒソヒソと君の名前を出すようになったこと。
君が学校に来た日には、疲れ切った顔の担任の先生が、保健室の先生と一緒に、帰ろうとしている君を呼び止めること。
君が、汚れた、袖の長い服ばかりを着るようになったこと。
君が「もう帰らなきゃ!」と言わなくなったこと。

君がいなくなったのも雪の日だった。
その日は休みの日で、君と私は久しぶりに一日中遊ぶ予定だった。

君はいつまで待っても、待ち合わせの公園に来なかった。
君の家に行こうと思っても、早退けしたあの後に君は引っ越していて、私は新しい家の場所は教えてもらえていなかった。

その日の暮、私は君が行方不明になったことを知った。
君を、君の両親の代わりに育てていた親戚が、警察と児童相談所の職員に連行されたことを、知った。

私はまだ知らない。
君が家でどんな顔をしていたか。
君のあの時の暮らしはどんなものだったのか。
君はどういう思いで、私に笑いかけてくれたのか。

私はまだ知らない。
君が来なかったあの日、君に何があったのか。
あの日、君はどんな顔をしていたのか。
私は知らない。

雪がどっさり降った日は、私は雪かきスコップを担いで家を出る。
君を探すために。
まだ知らぬ君を探すために。
君といた頃には、私が知れなかった、まだ知らぬ君の顔を見るために。

雪の日に出るのは、君の赤いマフラーが雪にくっきり目立つから。
君のお気に入りだったあのマフラーは、もう色褪せ始めていたから、きっと雪の中で唯一、目立つだろう。

空知らぬ雪の、桜の下には死体が埋まっているという。
だから、きっと雪の下にも死体が埋まっている。
私は、今日も、まだ知らぬ、まだ記憶の中に取り残された君を、探す。

1/29/2025, 2:48:45 PM

「知ってるか?マンリョウってのは日陰でも育つらしい」
喫煙所でスマホをいじりながら、先輩が言った。

「いや、世の中ってのは、意外に上手いこと言うよなあ」
そう言いながら彼の手は、紙タバコに火をつける。
白いタバコの先から、灰色の煙が立ち上る。

「そうですね」
とりあえずの相槌をうちながら、電気タバコを口に咥える。
喫煙所、喫煙場所の減少と制限、それから年々の価格の高騰で、紙タバコはすっかり貴族の娯楽と化している。
タバコ休憩に出て、紙タバコを喫煙所でゆっくり吸うなんて、今のご時世では、金と暮らしに余裕のある者しかできない。

「いや、ヤベー世の中だよなあ。日陰で自分を痛めつけんのさえ、金がいる時代だぜ?日向の奴らは、何を楽しくて生きてんだろぉな」
電子タバコのこちらを気遣ってか、彼はゆっくり煙と共にそんな言葉を吐き出した。

「まあ、日向にはいろいろあるみたいですよ、娯楽は」
こちらの世界に落ち着いてからもう久しいので、詳しい事は言えない。
だから、私も電子タバコの煙と一緒に、軽く返す。
甘い煙の味が口の中に満ちる。

しばらく沈黙が続く。
お互いタバコ休憩のつもりだったのだから、当たり前だ。話すことがなければ、静かにタバコを味わうのみ。
この、粗暴な仕草で紙タバコを味わう仕事の先輩をぼんやり眺めながら、私もゆっくりと煙を吸い込んだ。
彼は、紙タバコを咥えつつ目を落とし、スマホをしきりにいじっている。

「…お?なあ、奴等、タバコ飲まねえくせに、タバコの銘柄に関しては詳しいらしいぞ」
そう言って、彼が見せたスマホの画面には、タバコの銘柄とそのイメージや吸っている人の傾向について、好き勝手まとめてある投稿やサイトが映し出されていた。
「呑気なもんだよなあ。今、日向の世界でタバコなんて人前じゃ、まともに吸えねえだろって。何がこの銘柄、推しに似合うだよ。よくわかんねえけど、日向の人間は今じゃ、紙タバコなんて吸わねえだろうよ、なあ」

「そうですね、吸えないでしょうね。健全なタバコ専門店なんてもう一軒も見当たりませんし」
思ったことをそのまま言って、それから、ふと気になったことを口に出してみる。
「ところで、先輩がライトヴェブ見るの珍しいですね。なんかありましたか?」

「別になんもねえ。ダークヴェブ、飽きんだよ。いつものアカウントで見てると仕事連絡うるせえし」
「なるほど……って、仕事の連絡はちゃんと目を通しといてくださいよ」
「ダルい。どうせお前、チェックしてんだろ」
「…チェックしてますけども。宛先確認もありますし、注意事項だってあるんですから、一応、読んでもらわないと」
私が期待と非難の意を込めて言い返す。

私たちの仕事。それは、日陰…すなわち、違法行為の蔓延る裏社会…そこでの清掃員だ。
依頼を受けたら死体や証拠もろとも、ピカピカに清掃するのが、私たちの仕事だ。
どんな血まみれの惨状だって、丁寧にピカピカに磨き上げる。
証拠品や家具の回収なんてオプションだってある。
この稼業はなかなかリスクがあるが、なかなか、かなり儲かる。
日向…一般社会…では、日の目を見られないような、親に捨てられた中卒の先輩が、今こうして紙タバコを吸えているのも、この仕事のおかげであった。

だが、仕事に失敗すれば、命に関わることもある仕事。
だからこそ、事前に依頼を知ることやスケジュールを管理することは大切なはずだが…
しかし、先輩はむしろ得意そうに笑って煙を吐いた。
「だってよぉ。…ほら、今日のこれからの予定は?」

つい、反射で真面目に答えてしまう。
「dirty dogのボスからの依頼説明が、19:00からあります。前金受取を忘れずに…ですね」
しまったと思ったがもう遅い。

先輩はニヤニヤと笑みを浮かべながら、肩をすくめる。
「ほらな。俺がわざわざ記憶しとく必要はない」

ため息が漏れた。
ため息にすら、電子タバコの甘い味と匂いが混ざる。

「さ、じゃあ、行くか。dirty dogに」
タバコの火を灰皿で揉み消しながら、先輩が言う。
もうタバコ休憩は終わりのようだ。
「行きますか」
私も電子タバコをしまい込む。

一瞬でタバコをしまい終えた私を見つめて、先輩はポツリと、ニヤニヤと言う。
「お前さあ、そろそろ紙タバコにしろよ。箔がつくぞ」

「ふふ。…生憎、ずっとこれなので」
私は電子タバコを振ってみせる。
「私が生まれた時代は、まだ日向じゃ、電子タバコの規制が緩かったんです」

先輩がわざとらしく顔を顰めて、おどける。
「やれ、大卒は育ちが宜しくて困るねえ」
「はいはい、クライアント対応はこちらでやるんで、他は頼みますよ」
「へいへい」

二人で歩き出す。
日陰へと、闇へと、私たちの居場所へと。
日陰ではステータスであるニコチンの香りが、ほのかに香った。

1/28/2025, 11:01:41 PM

荘厳の分厚い扉の前で、帽子をかぶった。
この先の部屋に、帽子をかぶったまま入室する事は、一度もなかった。
今までは。ずっと。
この先の部屋の最奥には、王座が堂々と座っている。
この広間には、いつも皇帝がいらっしゃる。

まだ王太子であられた皇帝に近侍として拾われてから、もう20年間も通った、おなじみの部屋。
私は、近侍から、頭の回転と武力を認められて武官となって、正装に帽子を頂いてからも、皇帝がいらっしゃる時は、帽子をかぶる事はしなかった。
名君で、私たちを惜しみなく労わってくださる皇帝には、どんな小さな敬意でも、払いすぎるということはなかったからだ。

この部屋での着帽は許されていたが、現皇帝の前で、そんなことをする者はほとんどいなかった。
みな、皇帝を心の底から敬い、好いていた。
皇帝は、臣民にも臣下にも、深い愛を持っておられた。

皇帝は、稀代の名君であられた。
7つの地域を平らげ、8つの小国を守り、12の山賊の拠点を落とされた。
臣下の言うことに耳を傾けるのはもちろん、どんな卑しい身分の臣民の言うことにも耳を貸し、信頼のおけると思った時には、敵の捕虜の言うことでさえ、取り入れた。

自分の至らなさを知り、他人をよく知る心構えを持っていた皇帝は、我々にとって、まさに理想の君主でおられた。

その皇帝のお気が乱れ始めたのは、3ヶ月前のことだった。
ある日、皇帝と長年連れ添った愛馬が死んだ。
ある人間の、卑劣な裏切りによって、病気となったのだ。

さらに、愛馬が亡くなったしばらく後に、今度は、皇子殿も亡くなられた。
皇帝の長子であり、愛らしい少年であった皇子様も、先日に亡くなった愛馬と同じように、同じ病で亡くなられた。

それから、皇帝は理に叶わぬことばかりやるようになった。
勝ち目のない戦争を始めようとしたり、真面目な臣民を処刑しようとしたり、寝台や王座で刀を抜き放ち、いきなり人や物を斬りつけたり。

最初は、お気を乱された皇帝を宥めすかし、手を焼きながら、我々は、「ああ、この方もやはり人間であったのだ」と安心さえ覚えたものだった。
いつか立ち直るまで、ご一緒しよう。
そう心から思った。

しかし、皇帝のご乱心は酷くなるばかりだった。
ある日、皇帝はとうとう、暴君となられた。
その日、皇帝は、王宮の官僚になろうと試験にやってきた、純朴で賢い子どもを、死刑にしようと言い始めた。
その時、その場に立ち会った近侍は、皇帝をなんとか諌めようと子の前に立ちはだかった。

皇帝なら、ここで臣下の話を聞こうとしたはずであった。
しかし、あの日の皇帝は止まらなかった。
ご乱心を諌めようとした忠臣を、その子諸共酷い処刑にかけ、私たちに宣言した。
「これから朕に楯突こうとするものは、もはや皆こうなると思え」

私たちは沈黙するしかなかった。
もはや人が変わったように思えた。

その時、無力感に俯いた私の脳裏に閃いたのは、皇帝にかけられた言葉であった。
皇帝がまだ名君であられた時に、臣下に口癖のようにしみじみと言われていた、いつもの言葉であった。

「朕がもし間違ったことをしようとしたら、皆必ず止めてくれ。遠慮なく、朕に意見するのだ。…そして、それでも止まらなくなり、朕が暴君となった時には、お前たちが朕を殺してくれ。朕は、この国を貪りたくはない。この国の民たちを苦しめたくはない。そうでなくとも、皇帝というものはもともと国益に寄与すべきなのだ。国を思いやれぬ皇帝など皇帝ではない。…朕を殺したとしても、暴君から国を救った者になら、臣民たちも、惑うことなく、素直に従うだろうて…。…だから、その時は頼むぞ。お前たち」

稀代の名君であられた皇帝のあの、愛の深い、しみじみとした語り口を、私は思い出したのだった。

だから、私たちは帽子をかぶって、ここまで来た。
武官の帽子をかぶって、廊下を歩くのはこれが初めてであった。

帽子をかぶり直す。
扉の向こうには、今も皇帝がおられるはずだ。
私たちの愛すべき、愛しく賢明な皇帝が。

私たちは帽子をかぶって、扉を押し開けた。
錦の絨毯が、きゅっと音を立てた。

1/27/2025, 1:55:05 PM

小学校と、家から歩いていける、自宅から半径500メートルが世界の全てだった頃の話だ。
大人の言うことをよく聞き、友達もたくさんいて、でもごくごく普通のよく居る影の薄い小学生だった私が、あんなにも先生の耳目を集めたことは、夏休みの宿題の自由作文に、この作文を提出したあの時が、最初で最後だった。


小さな勇気

お父さん、お母さんはぜったいで、二ばん目にえらいのは、ぼくたちの中で一ばん大きいあの子。
ランドセルをげんかんにほうって、自てん車のカギをつかんだ。
今日も、クラスのみんなは、あの子にさそわれたから、当たり前に、公えんにいく。
みんなであそぶから。

公えんについたら、いろんなおもちゃがある。
学校よりも、家のへやよりも、ずっとらくにあそべる。
ぼくたちは、公えんにいったら、虫さんをつかまえる。
一ばん、かっこよくて、たのしいおもちゃだから。

つかまえた虫さんたちをたたかわせたり、バッタさんやちょうちょさんの足や羽をちぎったり、できかけのアリさんのすをつま先でうめたり。

つかまえた虫さんがいなくなったら、ヒーローごっこをする。
みんなで足のふみあいっこをして、一ばんよわい子をわるものにする。(だって、正ぎのヒーローはいつもかつからね。強い子がならなきゃ、お話どおりにならない)

元気のない友だちや、おとなしい女の子がとおりかかったら、みんなでからかう。
わるいとか、すきとか、きらいとか、大人たちはいつもそんなことをいうけど、ぼくたちには分からない。
ぼくたちの中では、それが当たり前で、いつものあそびだから、そうする。

だから、今日も、そうやってあそぶつもりだった。
みんなと、虫さんとあそぶんだって思った。

公園についた。
もう、なん人かの友だちは来ていて、みんな、虫さんとあそんでいた。

それはカマキリさんだった。
カマキリさんの羽はむしられていて、カマキリさんは、青みどりのかまを、うんどうかいでおどるみたいに、むちゃむちゃにうごかしていた。

みんながわらってみてた。

そのとき、ぼくは、カマキリさんと目が合った。

きゅうに、カマキリさんがかわいそうに思えた。
カマキリさんは、くるしそうに、なにもない空気をひっかいていた。
むちゃむちゃだった。
かなしそうだった。

ぼくは、つばをのみこんだ。
止めなきゃって思った。
やめて!って思った。

でも、ぼくのこえは出なかった。
だって、みんなはたのしそうだったから。

そのとき、ぼくのあたまの中で、きゅうに、道とくの時間のはなしがうかんだ。
「小さな勇気がだいじ」って、先生がいってたこと。

ぼくは、かすれた、ふるえるこえでいった。
「やめようよ。ぼくはもうやらない」
みんなはつまらなそうに、ふふくそうに、カマキリさんをにがした。

きっと、これからぼくはみんなとあそべなくなるだろう。
みんなは、まだ、カマキリさんとあそぶのがたのしそうだったから。
ぼくは、みんなとちがってしまったから。
これから、みんなは、ぼくをちょっときらいになる。
だって、ぼくたちは、そういうものだから。

でも、大人はきっとそれに気づかない。
大人はみんな、小さいころにしたいいことは、ぜんぶおぼえているのに、小さいころにしたわるいことは、みんなわすれてしまっているから。
だから、大人はみんな、赤ちゃんも、ぼくたち子どもも、かわいいっていう。
ぼくたちが虫さんとあそんでいることには、気づかない。

だから、ぼくは、ちょっとこうかいした。
でも、なんか、カマキリさんがさっていくのがうれしいのが、大人になった気分だった。

先生が読んでくれた道とくのきょうかしょの、カエルをいじめたくないのにけったあの主人公の気もちが、はじめてわかった気がした。


こんな作文を読んで、さぞ当時の担任の先生は、困惑したことだろうと思う。

あの時振り絞った“小さな勇気”は今も覚えている。
そして、その小さな勇気の果ての顛末さえも、大筋は覚えている。

あの作文を提出した次の日、昆虫採集の遊びは禁止になり、道徳の時間が増えた。
その対応は、当時の私にとっては随分と意外で、見当外れに思えたことを記憶している。

大人は、小学生の私の予想よりはずっと子どもを気にかけていて、行動的で、でも結局、当時の私が予想した通りに、子どものことを覚えていなかったのだ。

だから、私は、自分が大人になった今も、こういう自論を持ち続けている。
「大人は、自分が子どもの頃にした良い事は、はっきりと覚えているが、自分が子どもの頃にした悪い事、犯した罪は、すっかり忘れてしまうのだ」と。

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