冬へ
秋の風にまぎれて北風がぴゅうと吹いた。
それで、僕は思い出す。
僕の友達、冬のこと。
クールで厳しい冬だけど、
そのぶん、飼い猫があったかい。
冬は僕に命のぬくもりをくれる。
みんなを眠らせちゃう冬だけど、
そのぶん、朝焼けが綺麗。
冬は僕に朝の美しさをくれる。
そっけなくて乱暴ものの冬だけど、
ほこほこ肉まん、ぐつぐつお鍋はとても美味しい。
冬は僕に芯からあったまる、をくれる。
身なりを気にしない冬だけど、
ほんものの姿があちこちに転がっている。
冬は僕に発見をくれる。
冬は菌とも仲良しだけど、
きっと僕とも仲良しだよね?
冬へ
毎年ありがとう。
今年もおいで、北風と。
通ふ君 待つ今日の夜は 居待月
一目見たしや 君照らす月
こちら見ぬ 君を照らす月 十六夜の
雲間かかりて 月より遠く
読み返す 君の文には 懐かしき
君のて照らす 君照らす月
木陰で伸びをして、起き上がった君の頬には、地面の草が押しつけられた跡が点々と残っている。
木漏れ日の跡だ、と君は笑った。
確かに、その日は木の梢から、緑色に色づいた木漏れ日が、地面にパラパラと写っていた。
昼休み、いつも君は中庭で呑気に昼寝を楽しんでいた。
その日は予鈴がなって、たまたま仲良しグループで一番中庭近くにいた私が、君を起こしに中庭に出たのだった。
君は優雅に木陰の芝生に寝転んで、すやすやと眠っていた。
声をかけると、のんびりと体を伸ばして、頭を掻いて、自分の顔を撫でた後、頰のぼこぼこに触れながら、こちらにふんわり笑って言ったのだ。
「木漏れ日の跡だ」と。
その時、友情とも違うなんとも言えない気持ちが、私の心の奥で、微かにざわめいた気がした。
ざらついた、今までとは違う好意が、私の心の底にぴちゃり、と溜まったような。
君は、そんな私の心のざわめきなんて知らない様子で、まだ眠気の残る緩慢な動きで立ち上がって、こちらを見る。
それで、私も慌てて君に笑いかけた。いつものように。
君の頬には、相変わらず、寝押しの跡がついていた。
木漏れ日の跡だ、私は思った。
いつも通り、馬鹿みたいな雑談をしながら君と歩き出した。
いつもと変わらない日常。
けれどいつもと変わってしまった私の気持ち。
私の気持ちの変化が、現実のものであった証明のように、君の頬には、木漏れ日の跡が、くっきり残っていた。
小さい頃 数多のささやかな 約束を
破って今 大人になった
ささやかな 約束だった あなたとの
「大きくなったら結婚しよう」
律儀なる 優しい君は ささやかな
約束にさえ 律儀に謝る
ささやかな 昔の約束に さようなら
大人になるって そういうことね
「またね」など 子供の頃は そうやって
ささやかな約束 積み重ねたね
なんてありふれた陳腐なロマンチックだ、と思う。
『祈りの果て』だなんてタイトルは、行き着く結末がめでたしめでたしで終わるようなグッドエンドでも、どうしようもないバッドエンドだったとしても、意外性なくありふれている。
何せ無難だ。
祈った先にあるのが、不本意な叶え方でも、幸福すぎる結末でも、祈りが聞き届けられなかったという悲壮でも、どれでも“果て”と呼ぶことができる。
くだらない予防線みたいなタイトルだ。
そこまで考えて、涙が溢れてきた。
なぜ、こんなつまらないことを思うようになってしまったのだろう。
理由は明白だ。
これは私の祈りの果ての結果なのだから。
私は作家になりたかった。
皆が驚くような小説を書く感性を持っていたかった。
小説は感性で書くもので、あらすじが何より大切である、と私は信じていた。
だから私は祈り続けた。
「国語のセンスを持つ、文豪のような感性になりたい」と。
祈りは聞き届けられた。
ある日、流れ星が私の祈りを叶えてくれた。
以来、ずっと私は苦しんでいる。
私の文才は、私の感性に遠く及んでいなかった。
研ぎ澄まされた私の感性は、愚鈍な私の文に納得せず、容赦ない指摘をぶつけた。
祈りの果てに、私は何も書けなくなってしまった。
こうして、思ったことをメモのように書き出すだけでも、私の冴えた感性は、黙っていてくれない。
頭の中では、私の感性が「祈りの果て、だなんて、凡才だ、ありふれている」と考える声がわんわんと響いている。
祈りの果てに、私は楽しみを苦しみに変えてしまった。