もし私が一人きりだったら、私の目に映っていた景色にはきっと色が無かったと思う。家族を始め沢山の人と関わり、沢山のものを見て、聞いて、沢山の本に触れることによって、私の無色の世界は日々彩りを増していく。
感極まって気持ちを上手く言葉にできないのはどんな時もとても苦しいことだと思う。それは語彙ではなく感情の問題だと人々は言うかもしれない。だからいくら言葉を知っていても言葉にできないものは仕方がないと。
しかし、語彙を増やせば増やすほど、自分の感情の微妙な違いに気付くことができるようになる。語彙が多ければ多いほど自分の世界は広がる。より物事を考え分析し、より自分を知るきっかけとなる。言葉にできるほど感情を明確にすることはできなくとも、自分の複雑な感情をいくらかは自分自身で受け止められるようになるのだ。
ないものねだり―無いものをねだるということは、少なくとも求めるものが手に入る可能性があるということ。結局手に入らないのかもしれないが、それを望める立場にあるということは十分恵まれている証拠だ。
好きじゃないのに何かをするのには理由がある。何故なら、そうでなければ好きでもないことはとっくのとうに投げ捨てているからだ。
好きでもない仕事を渋々するのは、趣味を続けるためや養いたい者があったりするからだ。ただ生きるためだけに仕事をしていたとしても、それはいつか訪れるかもしれない小さな幸せをどこかで待っているからだ。
好きじゃないのに何かを気にするのは、嫌いというだけで突き放しきれない何かがあるからだ。人間は心底嫌いなものには無関心になる。
「好きじゃないのに」の先には「好き」がある。
人生には必ず回避できない試練や難題というものが置かれてあって、私たちはそれを乗り越えざるを得ない時がある。そういう意味では人生はところにより雨と言えるだろう。しかし、雨が大地に必要不可欠であるように、私たちに降りかかる苦難もまた、私たちの人生を潤し、より豊かにするという大きな役割を果たしているとも言えるだろう。