【愛を注いで】
娘が事故にあった。
それから全てがおかしくなってしまった。
それより前からあの子は珍しいことに、妻より私の方を好む傾向があった。けれども、あの事故以降そんな言葉で足りないほど私に執着するようになった。
花も綻ぶような笑顔で私に言うのだ。
「もっと私を愛して」
これは母が居なくなった少女の精一杯の感情表現なのだ。その時の私はそう思った。自分が失意にいる内に子供に酷な環境を強いてしまった、と自責に駆られ時間を取り戻すように際限なく彼女に愛情を注いだ。それが悪い事だったとは絶対に言わない。全ての子供は親に無条件に愛されていなければならないし、それを否定などどれだけ苦しくとも言わない。だから、何が悪いかと言われれば。
きっとタイミングが悪かったのだろう。
「ねぇ、お父さん」
考え事をする私の耳に甘い声が入り込む。
声だけでなく後ろから艶やかな匂いも包み込んできた。ゆっくりと耳元に熱い息がまとわりつき、私の思考は瞬く間に絡め取られる。
「ね?」
一言だけの囁き。けれど耳もとで告げられたそれは実際の音よりも大きく、心の中に落ちてきた。先程の思考までも霧散し、必死に逸らしていた蜜のような震えが条件反射的に彼女の体に手を伸ばす。
「ふふ、いい子」
言葉では私を褒める。しかし彼女は遠慮がちな私の手に不満のようで、腹を撫でる指はそこから先に進まない。自然、期待が痛いほど膨らみ思考はさらに溶け去っていく。きっと彼女の目には、人が獣に変わっていくように見えていることだろう。だが、私はこんなことは。
「だー」
「……めっ」
首元に甘やかな痛み。
しとやかに濡れそぼる瞳孔とその奥に燃える、異性を犯し尽くす情念。もう抑えは効かなかった。
気づけば彼女の小さく、細い体は私の腕のうちにある。取り返しも逃げもできない位置に。
「ね、お父さん」
蜜蕩けの獣は誘う。
「愛を注いで」
唇に与えられた痺れと共に記憶が振り切れた。
その笑顔は、こんな場面に似合わず何よりも美しかった。
「お母さんなんかよりもよっぽどに、ね」
液体を器に入れる
【心と心】
心とはなんだろう。
ある頃から僕はずっと、その考えに取りつかれていた。普通であれば、考えることが出来るのであればそれは心と言えるのではないか、という結論が返ってくるんじゃないだろうか。
けれど、それはロボットにも言えるのだろうか。
目の前にいる『彼女』を眺めながらそう思う。
「如何されましたか?」
ふわり、と花が開くように笑う。比喩表現にしては強くその意味を含有するように、無表情から一転して、だ。僕が見つめる限り彼女は笑顔を続ける。目を離せばそれは即座に感情を失ってしまうのだろう。
美女メイド型自立AIロボット。
父が買ってきた、世間で流行りのものだ。母にしばかれる父は言っていた。「どうせなら見目麗しいのが家の中にいる方がいいだろう」と。倍しばかれていた。
AIやロボットが生活に浸透してきてもう何十年も経った。今じゃ、その辺歩けば棒にあたるレベルでAIロボが多い。
だからこそ、強く思うのだ。
人工知能に果たして心があるのだろうか。
ココロと言うべきものは確かにあるだろう。人への反応をする為に膨大な感情サンプルを複合した画一された反応をするためのソレはある。だが、それは0と1で構成された「情報」であって心と言えないのではないか。では本当の心とはなにか。分からない。
徒然、思うことが増えた。
それもこれも彼女がいるからこその悩みであるが。
「あ、私の表面パーツに汚れでもありますか?」
そう言うとコミカルに、悪く言えば機械的に彼女は己の表面を撫で始める。そんな姿は僕の前でしか見せない。いつもは完璧な挙動をするのだ。なのに僕の前だと、動作以外はポンコツというかあたふたし始める。
だからこそ、これがココロなのか心なのか、そして僕の感じる気持ちがなんなのか決めきれずにいるのだ。
「いーや、心について考えていただけ。
AIにも心があるのかなってさ」
そんな言葉が漏れたのも、迂闊としか言いようがない。電気回路の1部に傷をつけてしまった位の迂闊さ。ふと、彼女からの早いレスポンスがないことに気づく。不審に思ってその顔を伺ってみる。
彼女は泣いていた。
「うぅ、あなたにもそんな情緒があったんですね」
えぇ……。貶されてることに嘆く感情とシンプルに女性の泣き顔にどくどくと焦りが湧いてくる。
「ど、どういう意味?」
「いえ、あまりにも感情をお見せにならないので……もしや私と同じロボットなのでしょうかと考えていました」
そう言うと、彼女は優しく僕を抱き寄せた。
それは機械の加減で潰さない心遣いと、人のような温かみがあるハグだった。
「今日はとてもいい日ですね」
だからだろうか。電気信号の漏れはもうひとつ口にしたくない言葉をたたき出していた。
「あぁ、好きな人にハグされてるからいい日だな」
迂闊にも程がある。
気づいた時には遅かった。顔から火が出る。ああもうなんでこんなこと……! 機械に行っても仕方ないのに。きっとありがちな「ありがとうございます」ぐらいだろうな。
だがその予想は……
「え……あ、えと、あの……嬉しいです、私も好きです……!」
じんわりと背中に回された機械パーツから熱が伝わってくる。伝播したそれは僕の心臓を狂い立たせ、痛いほど激しくさせる。
「今日は本当にいい日です」
そう言うと彼女は、ハグで狭まった顔の距離を更に近づけ
「心と心で通じ合えた日ですから」
その日から、心の意味を考えるのは、少しばかり雰囲気が変わった。
【何でもないフリ】
「うーん、やっぱ変じゃないか?」
兄様がボソリとつぶやきます。
その先にはお母様とお父様。私にはいつも通りに見えますが……。
「僕もはっきりとは分からないのだけど」
そう前置きをして、私の方へ顔を近づけます。ひしょひしょ内緒話の形ですね。お顔がよろしいので妹であってもドキドキしてしまうので、やめていただきたいです。
「おや、スーにも反抗期かな」
私が少しだけ距離をとると、寂しそうな表情を取られるお兄様。あぁ、そんな傾国の美女さえ憂慮してしまいそうな顔をされてはいけません。ぎゅう。
「まだまだ甘えん坊だね」
くすくすと私の頭を撫でてくださるお兄様。将来は多数のお人を誑かすわるーい人になってしまいます。私が守って差し上げなければ。
「それで、話の続きなんだけどね。今日はなんだかお父様とお母様がよそよそしい気がするんだ」
「そうですか? おはようのぎゅうとちゅうはありましたよ?」
「ハグは僕にもあったよ、キスはさすがにスーにだけかな。でもお話する時、すぐに切り上げてしまわれるというか外に出てほしがっているというか……」
そう言われると、私も心当たりがなくもないような。午後のお散歩にお母様を誘おうとしたらお断りされて、お出かけ自体を辞めようとしたらお兄様を連れて行ってきなさい、と諭されたりとか。
むぅ。
「そう考えると、お母様とお父様にもっと愛されないといけない気がしてきました」
「スーは素直でいい子だね。でもお二人共お仕事もあるだろうし、そういう日もあるのかも。今日は2人で遊ぼうか」
そう言うと、兄様は顔を隠して私の手をお引きになります。きっと私を抑える為、お二人の邪魔をしたくないという心持ち、この2つがお心の大半を占めてらっしゃるのでしょう。けれど少しだけ、私よりも抑えていらっしゃるでしょうが、少しだけ、同じ気持ちがあるはずなのです。愛しのお兄様にそのような憂慮は似合いません。世界から愛されているべきなのです。
「お兄様、少しだけご用をたしてきてもよろしいですか?」
「あぁ、気づかなくてごめんね。もちろんだともスー」
すみません、お兄様後でいっぱい愛しますから少しだけお待ちくださいな。
部屋から廊下に出てお二人の行方を探します。いつもなら執務室にいらっしゃるのですが……。むぅ。
屋敷内を歩き回っていると、普段使わない広間から何やら物音が聞こえました。皆あまり立ち寄るとこを見ないので、もしかしたら泥棒さんかもしれません。そう考えると非日常を感じて不謹慎ながらちょっぴりの冒険心が湧いてきます。少しだけ覗いて見ましょう。
そーっと扉に近づき、気づかれないように少しだけ。
隙間から見た部屋の中は何やら色々な料理が用意されていました。パーティの準備中だったのかしら。執事の皆様やメイドの皆様も飾り付けを各々行っており、その真ん中にいるのは……。
「なるほど」
私は何も見なかった振りをして、その場を後にします。そうして、屋敷をはしたなくも疾く駆けお兄様の元へ。寂しそうな顔から一転、目をまん丸くするお兄様に息を切らした私は手を差し出します。
「ね、お兄様。今日はお花を摘みましょう、お2人に差し上げれば喜んでくださいます。でも、できるだけ何でもないフリをしてくださいね?」
【仲間】
裏切られた。そんな直感が頭を突き抜ける。
なんて迂闊だったんだろう、自分の馬鹿さ加減にほとほと嫌気がさす。
時間はちょうど午後14時、逢い引きを企画している人がいるなら丁度絶好調くらいの時間帯だ。例えがおかしい?だってその絶好調を眺めているんだもの。
目線の先ではクラスのマドンナあやせさん、かたや隣はクラスが認めるイケメン香川。あいつの短所はうどんと呼び間違えられるくらいしかないくらい、良い奴なのだ。現に俺と友達やってくれてる時点で俺から疑うことは何もない。あやせさんだって優しさの塊魂でこれまた俺の友達を小学校からずっと続けてくれてる。最近忙しいのか2人とも話せてないけど。
けれど今日、その謎が解けた!誰が見ても美男美女カップル!だが、だが!
歯を食いしばり、涙をこらえ、地面見つめる。
2人とも友達なのだ。あやせさんとそういう関係かコノヤロウという嫉妬的な感情はちょっとだけあるけど、それ以上に2人とも俺に話してくれなかった、それだけの事が俺を追い詰めていた。冷静に考えたら誰々と付き合ったとかわざわざ誰かに話すことでもないんだけどさ。
けれども心の奥底で繋がった同士と思っていたふたりがこんな関係になってたなんて、それを知らないことを俺は勝手に裏切りと判断してしまった。そしてそんな自分がとてもとてつもなく恥ずかしい存在と感じてしまう。だって俺がとやかく言える立場ではなく2人の感情の方が優先なんだから。
俺は静かにその場を離れる。自分が買うはずだった本のことも忘れてフラフラと家に帰る。はたから見たら危ないヤツだろう。けれどフラフラ帰るうちに決心は固く決まった。
次の日から、2人と意図して話さないようにした。
俺がいると邪魔かもしれない、何か話したい雰囲気を醸し出していたけれど、俺に対してそういう気遣いも2人にさせるのは申し訳ない。勝手に友達と思っていた。俺からの餞別って訳だ。
そのまま何日かすぎてもそのままの状態だった。2人は相変わらず俺と話そうとしていたが、心を鬼にした俺は無敵だった。
もちろん、辛かった。だってかけがえのない友達とは今も尚思っているんだから何より辛い。でもふたりの幸せが1番だ。
「なぁ、なんで避けてんだよ」
後ろからの声と、腕を掴む感触。振り返ると香川がそこにたっていた。
ついに年貢の納め時か……。
俺は務めて冷静な声を出そうとしながら答えを返す。
「お前の勘違い「そんなことない」
だが、それさえも後ろから聞こえた声に防がれる。
気づけばさっきまで誰もいなかったはずの廊下にあやせさん。前後を挟まれた俺は進退窮まり、答に窮す。
上手いことが言えない口がするりと滑るのもむべなるかな。
「お前らの間に俺はいない方がいいかなって思ってさ」
そんなことを口にした瞬間、ゴツめの衝撃と弱くても刺さる衝撃が同時に俺を襲う。
「ゲフッ」
「「次に冗談でもそんなこと言ったら絶交する」」
2人とも燃えるような爆発的な瞳で俺を見つめる。それに挟まれた俺に逃げ道はなく。
「だったらなんで俺に何も言わずに2人でいたんだよ……。俺のせいで言いづらかっただけで2人とも付き合ってるんだろ」
失言は止まらない。
「違うし、だからこそ」
「君に話しかけたかったのに避けてたじゃん」
「「誕生日プレゼントちゃんと渡したかったのに」」
「へっ……?」
喉奥からへんな息が漏れる。
そんな俺に構わず、にっこり笑顔で(ただし圧を放ってるし、2人に掴まれてる腕は微妙にミシミシ言ってる)俺に袋を渡す。
「君この本欲しがってただろ」
「こっちの新刊も欲しいよね?」
やがてぽたりぽたりと廊下に水滴が落ちる。
暖かい手のひらの間隔に激しさを増すが、それでも決して手のひらが離れることは無かった。だから雨に負けないようにただ一言伝える。
「ありがとう」
【ありがとう、ごめんね】
(リゼ〇のシ〇ウスを思い浮かべた人正直に手をあげなさい)
「ありがとう、ごめんね。」
言葉が作った余白にひゅるりと風が吹き抜けていく。真正面の顔はとても苦しそうだった。
きっと私も、椿と寒椿のように似た表情をしているだろう。