『冬の足音』
木々の葉はすっかり抜け落ちて枝のみになる。
丸裸になった細い枝は、見ているだけで寒さを助長させた。
ズビッ。
鼻を啜るついでに、ズレた眼鏡を横着に直した。
ポケットに手を突っ込み、大して効果はないとわかりつつも身を縮こませて帰路に着く。
冷気をふんだんに包んだ北風は、水分を失った葉を巻き込んで乾いた音を立てた。
さっむ……。
今日は鍋にしよ。
隙間風が入り込まないようにコートを正す。
ハクサイにニンジンにシメジに……、冷蔵庫にある食材を思い出しながら、買い物のリストアップをしていった。
*
刺激物が苦手な彼女のために、水炊き鍋にする。
昆布で出汁を取りながらハクサイやニンジン、鶏肉をぶち込んだ。
食べるかわからないがエビとブロッコリーで和え物を作って、副菜も用意してみる。
彼女が帰宅するまで冷蔵庫で寝かそうとしたところで、タイミングよく帰ってきた。
「ただいまーっ。さむーい。おいしそうな匂いがするーっ。今日のご飯なにーっ?」
「おかえりなさい」
慌ただしく発せられた彼女の言葉が大渋滞を起こし、思わず息をこぼす。
「お疲れさまです。今日は寒かったので鍋にしました。もうすぐできあがるので、先に風呂で温まってきてください」
「お鍋っ!?」
ひとつひとつ返事をすれば、飯に反応した彼女の目が輝いた。
「先にご飯にしたい」
「気持ちはわかりますが、先に風呂です。ほっぺたも鼻っ柱も真っ赤になってるじゃないですか」
「ぶーっ」
不満を頬に詰め込み始めたから、指で突いて追い出してやる。
パフッと音を立てた側からすぐにまた空気を詰めるから、悪あがきできないように両頬を潰してやった。
「あぶっ?」
ふっ。
ぶちゃいくでかわいい。
「飯食ったあとすぐダレるからダメです」
「お腹空いたよーっ」
「ご飯がまだ炊けてないから、風呂に行ってください」
そう言いくるめようとしたときに、炊飯器が音を立てた。
タイミング……。
チラリと彼女に向き直れば、なぜか得意気に胸を張っている。
「ご飯も炊けたっ」
「ダメです」
タイミングまで彼女の味方をしてしまったので、俺は最終手段に出ることにした。
「俺が丸洗いしていいならいいですよ?」
「やっぱり先にお風呂するね」
「チッ」
「断るってわかってるクセになんで舌打ちするの?」
「ワンチャンには期待するんで」
「えっちー」
「好きなクセに」
軽口を叩き合いながらキャッキャとはしゃぐが、彼女がキッチンを出て行く気配はない。
困ったな。
「本当に風邪引いちゃいますから、ね?」
「んー」
それでもまだちょっと渋るから、冷蔵庫から黄色い果実を取り出した。
「ちょっと早いけど、入れます?」
「なにこれ?」
「ユズです」
薬味に使おうと思って買ってきたのだが、飯に釣られすぎて風呂を渋るから手渡してみる。
「冬至にしては早くない?」
「だから前置きしたじゃないですか」
「いい。いらない」
「そうですか?」
少しでも風呂に入るモチベーションが上がればと思ったのだが、不発に終わってしまった。
残念だが仕方がない。
予定通り、薬味として使用されることになったユズを冷蔵庫にしまう。
冷蔵庫の扉を閉めたとき、彼女が俺の服の裾を控えめに掴んだ。
「ちゃんと冬至の日に柚子風呂にする。そのときは一緒に入ろ?」
「わかりました」
ポッと頬を赤く染める彼女がかわいくて、条件反射にうなずく。
が、すぐに投下された爆弾のデカさに気がついて声を荒げた。
「って、はあぁっ!?」
真意を確かめようとしたときには、彼女は既にキッチンから出ていってしまった。
爆速でシャワーの音が聞こえるから問い詰めることもできない。
え、マジ?
風呂を聖域としている彼女のテリトリーに入れてくれる、のか?
本当に?
にわかには信じがたい彼女の言葉に、体の血流が勢いよく巡っていった。
冷えていたはずの全身が熱い。
マジで冬、最高!!
彼女の次に愛してる……!!
心の中でガッツポーズを決めたあと、俺は夕食の仕上げにかかったのだった。
『贈り物の中身』
「ちょっとお話があります」
かしこまった彼女の態度と前置きに、心臓は潰れ、胃は捩れた。
あれ?
俺、なんかした……?
理由を聞く間も与えてくれず、彼女はローテーブルに視線をやった。
暗に座れと命じた彼女におとなしく従う。
座椅子の上に正座をした俺に浅くうなずいた彼女は、無言のままリビングを出た。
え!?
ホントになんなんだっ!?
怒らせたのか、軽蔑されたのか、幻滅されたのか、彼女の表情からはなにも読み取ることはできなかった。
確実に言えることは、楽しい話題ではなさそうだ、ということである。
師走という時期は、彼女の纏う空気をいつも以上にピリつかせた。
ま、まさか離婚っ!?
こんなにも彼女のことを愛しているのに、離婚とか絶対に無理!!
いても立ってもいられず立ち上がろうとしたとき、彼女がリビングに戻ってきた。
手には小さな赤い紙袋を持っている。
「はい、これ」
彼女はその赤い紙袋を静かにローテーブルの上に置いた。
「あげる」
「え?」
表情も抑揚も冷めたままだったが、思わぬ切り口に思考が止まる。
俺の前に置かれた紙袋に目を移した瞬間、ヒュッと喉が鳴った。
俺でも知っている有名な時計ブランドのロゴが入っているからである。
「少し早いけどクリスマス兼、誕生日プレゼント」
「はい?」
って、え、プレゼント?
耳を疑って顔を上げれば、瑠璃色の瞳が厳酷な北極海よりも暗かった。
怒りにまかせて放つべきセリフではない。
「こ、……っれが!?」
ま、まさか手切れ金……?
時期、物、金、彼女は自分の持つ手札で一生物のトラウマを植えつけにきたのだろうか。
「いくらなんでも、さすがにこれだけの物を貰う理由は、ない、と思うのですが」
と、いうよりも怖くて受け取れない。
ガタガタと震え出す唇をなんとか抑えて、言葉を絞り出した。
「……」
しかし、彼女からの返事はない。
チラッと様子を伺うつもりだったが、しっかり目が合った。
「そっちはこんなもんじゃすまないよね?」
数回瞬きを繰り返した彼女は、相変わらず冷めた表情で口を開く。
「推し活資金とかなんとか、なにかにつけてこの1年、使い込んだでしょ」
「そ、れは……っ」
否定しきれず、口を噤んで彼女から目を逸らす。
今年はデカい金が入り、海外だろうが現地まで赴いて直接、試合観戦をした。
写真を撮って思いつく限りのグッズを作り、原本である彼女を俺の心ゆくまで甘やかして貢ぎ倒す。
今まで以上に熱を入れ、金額だけなら過去イチ使い込んだ自覚はあった。
とはいえ、だ。
「俺の推し活資金から捻出しています。生活費にも余裕持っていますし、貯金もしました。税金対策も問題ありません」
「うん。私もおんなじ」
「へっ?」
怒鳴られると思っていたら、まさかの同調に変な声が出た。
「私も、今年はいっぱいがんばったから、お金もいっぱい入ったんだよねー」
フッと蔑みしかない笑みで彼女は紙袋を押しつける。
「ほら、受け取れよ。お前が愛してやまない推しとやらからのプレゼントだぞ?」
そんな圧の強いプレゼントの渡し方があるか!
「やめてください! 推しに貢がれるとか解釈違いも甚だしいです!」
「公式が絶対の世界で文句たれてんじゃねえよ。テメェの推しとやらの落とし込みが甘いんだろ。早急に解釈し直せよ」
堅実な彼女は浪費を嫌う。
だから、いずれ怒られることは覚悟していたが、まさかこんな形で怒りを投下されるとは想定外だ。
俺が黙っていることをいいことに、彼女は容赦なく釘を刺してくる。
「次、やりやがったら車にするから」
「絶対にやめろくださいっ!?」
車なんて青天井にカスタムできる代物を、推しである彼女に貢がせてたまるかっ!
解釈違いだと騒いではみたが、彼女の俺の刺し方は的確だ。
なにをすれば俺が嫌がるかをきちんと熟知している。
例え同じ総額だとしても、分割と一括では瞬間火力が桁違いだ。
「すみませんでした」
重たすぎる彼女の一撃に、俺はついに撃沈した。
俺の謝罪に満足した彼女は、手つかずの紙袋に目をやる。
「えぇっと、それで、これはどうしたらいい?」
「え? どう、とは?」
「本当に困るなら、ほかの人にあげる」
本当に紙袋を取り下げようと手を伸ばすから、俺は慌てて彼女の手を両手で包み込んだ。
「だからっ、絶対にやめろくださいっ!?」
こんなエグいもん、俺以外の誰に渡すつもりだ!?
絶対に勘違いさせるからな!?
当たり前だが浮気なんかさせないからな!?
できるだけ正しく伝わるように、キョトンとしている彼女を真剣に見つめた。
「俺のために選んだのなら俺にください。その時計に見合うような男になってみせます」
「似合うから大丈夫」
相変わらず、雑に俺の言葉じりを汲んだ彼女が柔らかく微笑む。
「簡単に言ってくれますね?」
期待の眼差しに抗えず、赤い紙袋から中身を取り出した。
丁寧に包装紙を剥がして現れた外箱は、明らかに限定モデル仕様のそれである。
いくらなんでも、絶対、断じて、そんなに使ってないはずだ。
「これ、いくらかかったんすか……」
卒倒しそうになるのを堪えて聞けば、今度は彼女が気まずそうに視線を泳がせた。
「えーっと……」
人差し指を頬に当てて首を傾げたあと、彼女はニコッと目を細める。
先ほどの絶対零度の瞳とは打って変わった、穏やかな瑠璃色に不覚にも胸がときめいた。
「忘れちゃった」
「かわいいっ!」
そんなわけあるか!!
同様のあまり言いたいことが逆転する。
俺はもう二度と彼女を暴走させるような金の使い方をしないと誓った。
『凍てつく星空』
皮膚を割くような凍てついた空気に肩をすくめた。
クッソ。
遅くなった。
いちいち会議を長引かせやがって……。
湧き上がる悪態をため息で逃し、白く色づいたもやを目で追った。
自然と視線が空に向かい、夜を彩る星々がポツポツと控えめに散らされている。
遠慮がちに描かれた星座が弱々しいのは、等間隔に並ぶ街灯のせいか、薄白く曇った眼鏡のせいか。
どちらにせよ、澄んだ星空を鑑賞するには少し物足りなかった。
*
帰宅すると、全ての部屋が常夜灯になっていて仄暗くなっていた。
まぁ、寝てるよな……。
あと1時間もしないうちに日付が変わる。
これから年末まで試合が続く彼女のスケジュールはハードだ。
少しでも顔を合わせたかったが、仕方がない。
なるべく音を立てないようにシャワーと食事をすませた。
寝支度を整える前に寝室を覗き込む。
ベッドでは彼女が両腕を大きく広げて眠っていた。
ちっちゃ。
悠々とスペースを使っているが体が小さいからか、ベッドのほうが大きく感じる。
毛布からはみ出た右手の指を絡めると、ひんやりとした指先が風呂上がりの体温をさらった。
「……ただいま」
このまま彼女の体を冷やしてはかわいそうだ。
彼女の手を毛布の中にしまい込むと、健やかな寝息が乱れる。
眉を寄せながら頭を2、3度振ったあと、彼女はペンペンと毛布を蹴飛ばしてしまった。
「えぇ……」
足グセ悪すぎだろ。
しかも寒いのか、体を丸めて縮こまっている。
チグハグな行動にフッと口元が緩んだ。
「ごめんね」
彼女に毛布をかけ直したあと、俺もベッドに潜り込む。
眼鏡をベッドボードに置き、携帯電話のアラームをセットした。
その少し目を離した隙に、彼女が寝返りを打って再び毛布を跳ね除けようとする。
最初こそは俺がちょっかいをかけたせいだが、寒いのに毛布を嫌がることに違和感を覚えた。
肌触りがよくないのかな?
落ち着いたらそれとなく探ってみるか。
そんな決意とともに毛布を被ったまま彼女を包み込めば、強張った体が徐々に弛緩していった。
規則正しく上下する細い肩のリズムが心地よく、俺も微睡んでいく。
彼女の丸々な頭頂部にキスをしたあと、意識を手放した。
『君と紡ぐ物語』
シンプルイズベスト。
服は着るか脱ぐかの選択しかない彼女が、第3の道として「飾る」を導入してきた。
もこもこふわふわとした白いロングワンピースのパジャマを着込んだ彼女はまさに天使。
フリルになった袖口からあざとく覗かせる指先には、寝室に持ち込まないはずの携帯電話まで握られていた。
「ねえ。写真撮って」
「はい♡ 喜んでーっっ♡♡」
珍しい彼女からのオーダーが舞い込み、テンションが上がる。
バストショットからフルショット、調子に乗っておこがましくもツーショットまで好き放題に撮りまくった。
ここからが本番だと一眼レフを取りに、一旦、休憩を挟む。
戻ったら寝室の電気が消されていて、嫌な予感がした。
そっと扉を開ければ、撮影会に飽きてしまった彼女が毛布に包まって眠っている。
健やかな寝息を立てていたため起こすこともできず、全俺が泣いた。
あどけない寝顔を1時間ほど撮ることで溜飲を無理やり下げたのが、1週間ほど前である。
しかも、翌日になっても撮った写真を1枚も俺に送ってくれなかった。
*
「……あの、前に撮ったもこもこパジャマの写真……1枚でもいいのでいただけませんか?」
悔いが残りすぎて、寝支度をしている彼女に直談判する。
「あ。そうだ。面白いの作ったんだ」
彼女は俺の直訴をさらりと流し、カバンの中身をひっくり返した。
そして1枚の紙切れを俺に手渡す。
「みんなで作り上げた最強の女」
「なんて?」
みんなって誰だよ。
時々アホになる彼女は、なんの前触れもなく突拍子のないことをする。
目頭を押さえ、俺は紙切れを受け取った。
紙切れの正体はL版の写真。
写真に映った人物を見た瞬間に投げ捨てた。
あ、待った!?
やっぱ顔だけくり抜いておきたい!
顔だけはかわいかった!
捨てた写真を拾いに戻ろうとしたとき、彼女が大きな声をあげる。
「んなああぁ!? 魅惑のオッパイになんてことするの!?」
魅惑のオッパイって……。
ずいぶんと盛ったなとは思うけども。
床に落ちた写真を拾い上げて、再度、例のもこもこパジャマを着た被写体に目を向けた。
実物のなだらかな双丘とは打って変わり、写真の胸は弾力が凄そうな大きさになっている。
あのストンと落ちる控えめさが彼女の黄金比だというのに、俺の撮った写真でとんでもない改悪をしやがった。
しかも彼女が手を加えたのはそれだけではない。
「豊胸しただけならともかく、首から下は別人じゃないですか」
「えっ!?」
うまく切り貼りしているが、顔以外は彼女の体ではない。
彼女は意外そうに目を丸くしているが、俺が見落とすとでも思っていたのだろうか。
「なにを驚いてるんです。あなたの首はもう少し太いです。逆に肩幅は狭すぎで、腕もこんなに長くはないでしょう。ウエストの筋肉はもっとついてるはずですし、ヘソの位置も違います。太ももは筋肉つきすぎで、膝下はもっと長くてしなやかです。あと足のサイズ、デカくないですか?」
「なんで体型隠してるはずのワンピースパジャマでそんな詳細がわかんだよ?」
不貞腐れたまま、彼女はとんでもない爆弾を落とす。
「あと、足のサイズは凛子ちゃんのだからチクっとくね」
「げえっ!? マジっすか……」
彼女が名前をあげた女性は俺の母校の先輩である。
必要最低限の接点しかなかったが、体育館のローテーションを巡って何度か揉めたことがあった。
彼女は、その人に相当懐いている。
おかげで、彼女を通してわずかながらに接点を持つようになった。
またなにを言われるやら……。
そっとため息をつけば、彼女は意気揚々と写真についてネタバラシを始める。
「ちなみに肩とオッパイは朱鷺音(ときね)ちゃんで、腕は瑠架(るか)ちゃん、太ももから足首までは桃(たお)ちゃんで、首とウエストと足が凛子ちゃん」
「なんつーもんを錬成してやがるんですか……」
部分取りのセンス、エグすぎるだろ。
そこそこの人数を巻き込んだ挙げ句、このとんでもキメラを生成してしまった経緯が気になって仕方がない。
「うまくできたと思ったんだけどなー」
「そもそも、なんでこんなもん作ろうと思ったんですか……」
「こんなもんとか言うな。誰にも負けない最強の選手がさらなる強さを欲して理想の肉体を手に入れていく、みたいな話をしてたら盛り上がった」
「……」
思っていた以上にくだらなかった。
まさか全員シラフだったとかではないだろうな?
こんな議題、酒の席だけにしてほしい。
薄っぺらい物語で生み出されたキメラに同情した。
「チューでも愛でも囁いてあげますから、人間のエゴで生成された悲しきキメラを早く解放してあげてください」
「うわ。そういう萎える展開求めてない」
やかましいな?
絶対シラフのはずの彼女が妙にダル絡みしてくるのも、意味がわからなかった。
「さっさと元の写真をよこしやがれください」
とはいえ、どうせ口では彼女に敵わないのだ。
だんだんと面倒になってきた俺は、彼女にむちゅむちゅと迫って強引に携帯電話を取りあげる。
「むぁっ、こらっ! 返せっ!」
「データ引っこ抜いたあとでなら、仰せのままに。それより、もっとちゃんとチューさせてください」
「んーっ!?」
ジタバタと暴れる彼女にかまうことなく、俺は彼女にキスをした。
『失われた響き』
ピポ、ピンポー、ピンポーン。
気の抜けるようなインターフォンが3回鳴り、耳を疑った。
え!?
このクセしかない押し方の主は大荷物を抱えているときの彼女である。
当たり前だが、同棲を機に彼女がインターフォンを押す機会はなくなった。
鍵は電子キーで、親鍵は俺が管理している。
まだ夕刻を少し過ぎた時間帯で、摂生している彼女が酔い潰れて暗証番号を忘れたとは考えにくかった。
モニターすら確認せず、俺は玄関のドアを開ける。
「なにごとですか?」
ドアを開けるや否や、両手両脇に荷物を抱えた彼女が玄関に入り込み、ドサドサと荷物を下ろした。
「って、うわ。すごい荷物ですね?」
「ありがとーっ」
ホッとする顔を見せるが、彼女は慌ただしく踵を返す。
「まだ下に段ボールが2箱あってね? 取ってくるから、また開けてほしい」
「はあ!?」
そんな大荷物どうやって運んできたんだ!?
「俺が持ちますから、ちょっと待ってて。靴下っ」
「え? 重くないから別にいいのに」
「ダメ! 視界が塞がってる間に誘拐されちゃうっ」
「どういう方向性の心配なんだよ?」
あきれる彼女の声を背に、俺はバタバタと靴下を取りに戻った。
*
これのどこが軽いって?
そこそこデカい段ボールはなにが入っているのか見当もつかないが、ずっしりとしていた。
結局、ふた箱いっぺんには持てず、ひと箱は彼女に持ってもらうことになる。
エントランスから玄関までの短い距離だったが、しっかり腕がバンプした。
一方で彼女はケロッとしている。
「いくらなんでも、なまりすぎじゃない?」
「うるせえです」
ちゃんと筋トレしよ……。
彼女に見つかったら肺を潰されてしまうが、このままでは彼氏としての面子が潰されかねなかった。
まったくもって恥である。
「つうか、なんですか。これ?」
「ん? ファンレターとか差し入れ」
「これ、全部ですか?」
「段ボールがふたつともいっぱいになったから持って帰ってきた」
「今度からひと箱貯まったら持ち帰ってください」
「タクシー代もったいないじゃん」
タクシーで帰ってきたのか。
それなら納得だ。
とはいえ、整理するのも大変だから今度からはこまめに持って帰るようにお願いする。
「てゆーか、れーじくん! モニター確認しなかった!」
ヤベ。
バレたか。
胸中では冷や汗をかきつつも、ちょっとごまかしてみる。
「あなたのインターフォン俺が聞き違えるわけないでしょう」
「インターフォンなんて誰が鳴らしても一緒だろ!?」
「え、自覚ないです? 荷物を抱えたときのあなたの鳴らし方、くっそヘタですよ?」
「ヘタってなに!? インターフォンの鳴らし方にうまいヘタもないと思うけど!?」
「俺も、あなたが押すまではないと思っていました」
「はあああっ!?」
怒りのボルテージを容赦なく上げていく彼女が愛らしくて、俺もどんどん火種を投げていった。
怒るだけでどうしてビジュが強くなるのか、彼女の七不思議のひとつである。
「3回押すのも意味わかんないのに、なんであんな頼りなく鳴らせるのか不思議なくらいです」
「押してない!」
「なら試しに押してみてくださいよ」
「むう」
ぷりぷりかわいくご立腹して彼女は玄関を出ていった。
ピポ、ピンポー、ピンポーン。
「んっっふっっっ」
荷物を持っていないから平時の鳴らし方になるかと思ったら、まさか音に我慢できずに吹き出してしまう。
「あぇええ……?」
「いつ、いつもは……。荷物を抱えてるときだけですから……、あ、安心、してくださっ……ふふ」
恥ずかしくなったのか、彼女はポッポと頬を染めて頭を抱えていた。
「久々に聞けたので、うれしくなりました」
しおしおと項垂れるまんまるな頭を撫でる。
「私はうれしくないっ!」
下を向いたままむくれた彼女の機嫌を取り戻すため、彼女にチュッチュとかまい倒した。
「ねえ!? そんなんで絆されると思わないで!」
「え!? 舌入れてムチュムチュしていいんですか!?」
「……っ!? ダ、ダメッ!!」
俺を押し退けて、彼女はドカドカと風呂場に逃げ込んでしまう。
どうやらやり過ぎてしまったようだ。
彼女の好きな夕食でどうにか機嫌を直してもらおう。
そう決めて、俺はキッチンへと戻るのだった。