#記憶のランタン
子どもの頃、無謀にも何でもやりたがっていた子だったと思う。
チャレンジとか、挑戦とか、そんな大それたことを考えることもせずに、ただただやりたがってた。“やりたい”という気持ちの中に、大人へのポイント稼ぎとか、こういう風に見られたいとか、凄い子だって思われたいがための見せかけの理由があったかもしれない。実際に、あったのだと思う。でも、それが結果を伴わないこともあった。特に陸上大会とか。足が早い自負は少しはあった。でも、だから出場するってわけでもなかった気がする。いつも予選落ちだったし、出る種目は下から数える方がはやいほどだったけれど、それについて落ち込むこともなかったし、他人と比べてどうのってこともなかった。不思議だ。今じゃ考えられない。昔も今も周りの目や評価をとても気にすることは変わりないのに、あの頃はどうして心は自由だったんだろう。子どもだったから、なのかな。いい意味で。
ピアノの選考会も、そうだった。学年にひとりは必ずピアノができる人がいて、上手な人もいて、習いたてのピアノ初心者だったのにも関わらず、催しでのピアノ伴奏の役に立候補してた。卒業式や集会などの大勢を率いて弾くような機会はなかったけれど、音楽発表会のオルガン係に優先して選んでもらった記憶がある。ピアノなんて楽器の類いは一朝一夕でどうにかできるものでもない、あまりに無謀なことだったのに、なぜか進んでやりたがってた。自分が一番下手かもしれないし、恥をかくかもしれない。そんな心配を当時ももしかしたらしていたかも。不思議だ。
成功体験の思い出ではなくても、そんなことがあったんだという事実は変わらずにある。暗闇を照らしてくれるような灯りが、今までの人生の道のりの途中にぽつぽつと。
思い返してみると、ちゃんと各地点ごとにその時一生懸命に生きてた自分の姿があったんだって思う。
たた、どうしてあの頃はいろんなことに飛び込んで行けたんだろうって、自分でも不思議。今じゃとてもじゃないけれど……考えられない。
でもそう。形を変えて、方向を変えて、今も、あの頃と変わらずにあるものを、私は持ってる。
11/18/2025, 3:16:43 PM