祈りとは、単純なものだと思う。人々は願い、それを叶えてもらうため、神に祈る。縋ることは、ダメなことではない。だけれど、崇拝は、いい事でもない。自分を、全てを捧げてでも叶えたい願いとは、綺麗なものだと思う。けれど、自分を無くしてまでも作りたかたったものは、また願うのではないか。祈りを捧げて、願いを叶えて、自分を無くして。神とは偶像であり、現実には存在しないもの。何がに宿るとされる、目に見えないもの。人の想像力はすごいもので。それを、神と呼んだ。なんでも叶えてくれる、そして、人を作ったとされる、神様を。それなのに、神様は無償で何かをくれない。そう決めたのも、また人間で。残酷であり、綺麗とされる神様に祈りを捧げる行為自体も。人間の、欲であると思う。だけれど、さっきも言った通り。ただそれだけなのだ。それによって救われるのであれば、願っても祈っても捧げてもいいと思う。ただ、それをして。人を巻き込み、人生を狂わせなければ。いわば、勝手にやっとけって意味合い。神がいると信じ込むこと自体、人生が狂ってると言える。そこに縋るしか無かったんだから。
眩しい神様の言う通り。
何をしても、人は死んで。
生き返ることなんて無いんだから。
12/26/2025, 4:49:45 AM