藤月

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【0からの】
 
 新卒から勤めていた会社を辞めた。
 最初の一週間は天井を見つめていたら終わっていた。
 次の一週間にはもうあんなところに行かなくていいんだとようやく現実を受け入れることができた。

 少しだけ休むつもりで悠々自適に過ごしているうちに数ヶ月が経った。
 手元には雀の涙ほどのお金しか残っていない。
 いい加減、次の仕事を探さなければならないのは分かっているが、そう簡単に重い腰は上がらなかった。

 求人を見ていたはずの画面にはSNSの投稿がずらりと並んでいる。いつの間にか部屋は暗くなっていた。
 焦点の合わない目で画面をスクロールし続けてどれだけ経っただろうか。
 あるひとつのライブ配信からけらけらと笑う声が聞こえてきた瞬間、動かしていた指がぴたりと止まった。
 小さな画面の中で、少女が楽しげに話している。
 彼女は体を左右にふわふわと揺らしながら、リアルタイムで流れてくるコメントを読み上げてテンポよく話を広げていた。
 しばらく流していると分かったが、先ほどの会話はMCみたいなもので、どうやらこの配信は歌枠というものだったらしい。
 そのまま配信を見ていると、聞き覚えのあるイントロが流れてきた。学生時代によく聞いていた歌だ。
 彼女の歌はお世辞にも上手いとはいえなかった。
 が、弾けるような笑顔で、爽やかに、心底楽しそうに歌う姿が何とも眩しくて、一瞬で心を奪われてしまった。

 それから、彼女のSNSをフォローし、告知は毎回チェックして必ず配信を見に行くようになった。
 歌を中心に活動しているみたいだけど、個人で活動していることも影響してか伸び悩んでいるようだった。
 でも、癖はあるがあの歌声と無邪気な笑い声で人を明るい気持ちにさせることができるなんて立派な才能だ。
 一生懸命頑張っている姿を見ていると、特別な才能を持ち得ない凡庸な自分にも何かできるのかもしれないと思えた。
 
 あれからいろんな会社の面接を受けにいったが、そう上手くはいかなかった。
 ときには今まで何をしていたのか詰められ、経歴を見て冷たく突き放されるようなこともあった。
 だけど、諦めずに挑戦していたら仕事が見つかって、以前より良い環境で働くことができるようになった。
 忙しさから以前ほどの頻度で配信は見れなくなってしまったけど、今でも彼女の歌が心の支えとなっている。

 貴女に勇気をもらって、貴女のファンとして恥じない自分でいたい、その一心でようやくここまで来れたよ。
 出会えなかったらきっと暗い部屋に閉じこもったままだった。
 光を与えてくれて、ありがとう。
 

2/21/2026, 8:22:34 PM