sairo

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糸を紡ぐ。
からからと、くるくると、見えない糸が紡がれる。
手を止めて、紡いだ糸の先を見た。宙に揺れる見えない糸は次第に色づき、先を誰かの右手に巻き付け繋いでいく。
目を凝らす。遠く見える誰かが繋がれた手に視線を向け、こちらを振り向いた。
思わず息を呑む。

紡いだ糸が繋ぐ先は、自分自身だった。



「なんで……」
「何が?」

溢れ落ちた声に返事が返り、咄嗟に振り返った。

「え?あれ……?」

そこは糸を紡いでいた作業小屋の中ではなかった。
高く昇った陽が煌めく、穏やかな午後の空。咲き乱れる菊の花が、庭に彩りを添えている。

「おばあちゃんの……お屋敷?」

困惑に目を瞬いた。
いつからいたのだろうか。記憶を辿るも、霞みがかって酷く曖昧だ。

「さっきからどうしたの?急に黙り込んだと思ったら、信じられないものを見る目でこっちを振り返るし」

呆れを滲ませそう言いながら、従姉妹はこちらに近づいて額に手を触れた。

「熱はない……というか、冷えてるじゃない。あんた、いつから外に出てたのよ」

額に触れていた手が離れ、腕を掴まれた。何かを言う前に掴んだ腕を引かれ、屋敷へと歩き出す。
何故、自分はここにいるのだろう。尽きない疑問を従姉妹へと投げかけようとして、何も言えずに口を噤む。聞いても答えはもらえないという諦めではない。何から聞けばいいのか、分からない程何も覚えていないことに気づいたからだ。
不自然な空白が、自分の中に存在している。ぽっかりと空いた穴は、まるで奈落のように底なしの昏さを湛えているかようだ。ふるりと身震いをすれば、それに気づいて従姉妹の歩む速度が少しばかり速くなった。

「戻ったら、取りあえず炬燵に入って暖まりなさいね。生姜湯でも作ってきてあげるから」
「あ、ありがとう」

小さく礼を言えば、答えの代わりに腕を掴む手の力が緩んだ。そのまま下がり、手を繋がれる。
見えない糸が絡んだ右手。
繋いだ手を見ながら糸を紡いでいた自分と、糸に繋がれた自分を思い出す。
随分と可笑しな夢だった。白昼夢とでもいうのだろうか。糸など紡いだ経験などないのにどうしてそんな夢を見たのか。
不思議に思いながら、従姉妹に気づかれぬようそっと嘆息した。



「はいどうぞ。熱いから、気をつけなさいね」
「ありがとう」

手渡されたマグカップを両手で包み、立ち上る湯気に息を吹きかけた。
そんな自分を見て従姉妹は表情を少しだけ和らげ、炬燵に入る。自分のものと同じように湯気が立ち上るマグカップに口をつけながら、それで、と静かに疑問を口にした。

「どうしてあんな所にいたのよ?すごくびっくりしたんだけど」

問われて、思わず眉が下がる。
どう答えたらいいのか分からない。自分でも何故、祖母の屋敷の庭先にいたのか覚えていなかった。

「気づいたらいた、というか……なんでおばあちゃんのお屋敷にいるのも、覚えてないというか……」

途切れ途切れに答えると、従姉妹はあぁ、と訳知り顔で一人頷いた。
頭を撫でられる。従姉妹の浮かべる笑みの優しさに、益々困惑する。
彼女は何を知っているのだろう。けれどもそれを問う前に、従姉妹は何かを考えるように宙を見ながらゆっくりと口を開いた。

「どこまで覚えてるか分かんないけど……あんた、自分が死にかけたってことは覚えてる?」
「え……?」

従姉妹の言葉に呆然と呟く。そんな自分の反応を見て従姉妹は苦笑し、大丈夫だともう一度優しく頭を撫でた。

「一週間位前にね、おばさんがあんたが何しても起きないってうちに駆け込んで来たの。で、ばあちゃんの指示で、ここで様子を見るってなったんだ」
「なんで、ここ?病院じゃなくて?」
「病気じゃなかったからじゃない?ばあちゃん、若い時はそっち関係の仕事をしてたっていうし」

言っている意味がいまいち分からず、首を傾げる。
目が覚めなかった自分。病気ではないなら、何が原因だったのだろう。
ふと、見えない糸を紡いで自分に繋げていた夢を思い出した。

「さっき……糸を紡いでた。見えない糸を紡いで、それに色がついて……遠くにいる自分に、糸が繋がった……そんな夢を見たけど」
「あぁ。やっぱりあんた、結構危なかったんだね」

静かな呟きに、肩が跳ねた。
危なかった。その言葉の意味を問うべきか逡巡し、視線が彷徨う。どうすればいいか分からず、落ち着かせるようにマグカップの中の生姜湯に口をつけた。

「ばあちゃんね。あんたがここに運ばれてきてから、ずっと部屋で糸を紡いでたんだよ。それで、毎晩あんたの枕元にその糸を置いていたんだ……切れかけた時間を繋ぎ直すための糸だって、そう言ってたよ」
「糸……」
「それをあんたは夢の中で正しく受け取って、遠くに行きかけた自分に繋いだ。きっともう、大丈夫なんじゃないかな」

右手を目の前に翳し、繋がれた糸を探すように目を細めた。
何も見えない。当たり前のそれが、どこか惜しいと感じた。

「しばらくは栄養のあるもの食べて、ゆっくり休みな。あたしもできるだけ一緒にいてあげるから」
「ありがとう。でも、いいの?」
「可愛い従姉妹の一大事なんだから。いいに決まってるでしょ」

にっと笑い、従姉妹はさっきよりも強めに頭を撫でた。

「でもまずは、おばさんに目が覚めたってこと、連絡しないとね。戻る時に蜜柑か何か持ってくるから、ちょっと待ってて」

そう言って、従姉妹は生姜湯を飲み干し立ち上がる。何かを言う前にそのまま部屋を出ていってしまい、思わず苦笑する。

「糸、か……」

祖母が紡いでくれていたという、時を繋ぐ糸。それならば糸が繋がったあの自分は、過去のどこかの時間だったのだろうか。
目を閉じる。従姉妹はもう大丈夫だと言ったが、自分の中にはまだ空白が残っている。離れていってしまった時間は、まだたくさんある。
小さく息を吐いて目を開けた。どうしてこんな状況になったのかは分からない。一度離れてしまった時間が、再びすべて元通りに繋がるのかも分からない。
分からないことだらけだが、不思議と恐怖はなかった。
祖母がいて、従姉妹がいていくれるなら、何とかなるのではないかという安心感の方が強い。
絶対的な信頼に、笑みが溢れ落ちた。
温くなった生姜湯に口をつける。じんわりと体に染み込む温もりに、従姉妹のようだと一人声を出して笑った。



20251126 『時を繋ぐ糸』

11/28/2025, 9:44:42 AM