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時を結ぶリボン:



「ごめんね。こんな話、人にするモンじゃないって分かってるんだけど」

そう前置きして始めたのは、ここしばらくの自分の話。理屈も何も知らないが、どうにも彼岸に誘惑されてならないのだ。

はじめに言うと、自分は精神を病んでいる気などはしていない。むしろひどい労働環境やわるい人間関係から放たれたので、健やかになったつもりでさえいる。

だというのに。己を苦しめるものをとんと手放してたいそう軽やかな心持ちでいるというのに、その誘惑は不意に訪れる。

フィクションによくある表現だが、たとえば電車を待つホームに立っているとき。ワンアクションで結果が出るためたいへん想像に易い。あるいは一人で風呂に浸かったり何かしらの作業をしているとき。手元にある何をどう使えば三途の川を渡れるかと気付けば考えている。

そして思うに、自分はそれを本気で求めてもいなければ忌避してもいないのだろう。わざわざ自ら身を投じてやるまでには至らず、眼前に迫られたとき逃げてやるつもりも、少なくとも今はない。

しかしやはり気に掛かるのだ。どうしてこんなにも草葉の陰に身を潜めたいと思うのか。いつだったか「健全な精神の持ち主は日常的に希死念慮を抱かない」と聞いたことがある。嘘を言え。そんなヤツはいないだろう。……いないよな?

とはいえ一度聞いてしまうと、そうだったらどれほど良いかと思ってしまう。夜は穏やかに眠り、朝は心地よく目覚める。このまま目覚めなければと願ったり、覚めた眠りに溜め息をついたりせずに。

長ったらしく話してしまったが、要するに自分がおかしいのかそれとも人間だれしもこうなのかが知りたい。おかしいならおかしいなりの生き方に舵を切るし、こういうものだというなら安心して死にたがってやる。しかしそれを判断できる決定打の見つけ方が分からない。どうしよう。

「そっかあ……うーん、適当なことは言いたくないし、とりあえずなんだけどさ」

ひとしきり話して水を口に含んだところで、ごそごそやった君の手から小さな箱が転がり落ちる。おっと、と拾い直してどこか恭しいように机に置くと、改めて君が口を開いた。

「アー……もうすぐ誕生日でしょ?先走って思わず用意してしまったんだけれど、当日にちゃんと「おめでとう」って渡したいんだ。だからそれまで、中身が何か想像していてよ」

どう?とまなじりを下げる君と鎮座する箱を見て、張り詰めていた何かが音を立てて抜けていった気がした。きっと君は、目の前の人間が異常かどうかなんて気にも留めないんだろう。

「ハハ、参ったな……そのことでアタマがいっぱいになりそうだよ」

それは良かったと破顔する君に、睫毛が濡れてしまったのが気付かれませんように。

「ありがとう、こんな話に付き合ってくれて」
「聞きたくて聞いてるんだからいいんだよ」

小箱のリボンを解くその日まで、嫌でも生きていなくちゃな。

12/21/2025, 5:45:32 AM