朝倉 ねり

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『お気に入り』

梶井基次郎の『檸檬』。
丸善に檸檬爆弾を置いて帰る最後のくだりが有名だけれど、僕は特段そこには惹かれなかった。
それは皆が檸檬爆弾を擦り過ぎた、というのもあるだろうが、それよりも『檸檬』の全編を通して繰り広げられるフワフワとした好きな物の列挙の中に檸檬が1つポンと出てくるだけだから、というのもある。
檸檬以外にも、「私」が好きな物は沢山あるのだ。
僕はどちらかと言えば前半の丸善のウィンドウショッピングの話が好きだった。

初めて読んだのは学校の教科書内で、あの退屈極まる授業の中でいきなり「オードコロン」とか「香水瓶」「煙管」なんか出てきたから、僕はなんとなくソワソワしてしまった。
単純にカッコイイな、と思ったのである。
お金が無いけど病気をしていた「私」が、自身を慰めるために贅沢をする。
贅沢と言っても、舶来品を心ゆくまで見た後に、結局少しお高めの鉛筆を1本買う、みたいな贅沢。
惚れてしまうだろう、コレは。

なんて豊かなんだろうと思った。
確かに貧乏しているかもしれないが、彼は心まで貧困では無いのだ。
イイな、と思ったから買う、買わないけど見る。
気に入ったから檸檬を買った。
重い美術の本を読んでみたは良いけれど、気が向かないまま腕の痛みだけが残る。
ふと気が向いて懐に入れていた檸檬を爆弾に見立てて本の上に置き去りにし、爆発したらどうだろうと考えて楽しむ。
たった10ページ程の間に、これほどの精神的な充足感を書ける人がいるのかと悔しくなるくらい、梶井基次郎は充実した人だと思った。
そうしてこの短編は、見事僕のお気に入りとなったのだ。




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2月17日は梶井基次郎のお誕生日なので。

2/18/2026, 4:58:13 AM