ぽんまんじゅう

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〈寂しくて〉


 「どうして危険を冒してまで、誘拐なんかしようと思ったんだ?」
牢番が牢の中の魔女に向かって尋ねた。彼女は明日、死刑になることが決まっている。その前にどうしても理由を聞いてみたかったのだ。
「大した理由じゃない。ただ、寂しかっただけ。」
彼女は静かに話し出した。真夜中を思わせるような声が狭い牢に響いた。


 彼女は何百年も昔、魔女や悪魔が住む、遠く離れた魔法大陸で生まれた。完全な弱肉強食の世界。そこでは一瞬たりとも気を許すことなんか出来なかった。そんな生活に彼女は嫌気がさした。自由を求め、村を抜け出した彼女は、箒一本で海を渡ってこの大陸までやって来た。
 自然豊かなこの大陸を彼女は一目見て気に入った。魔法を恐れるという人間たちを避け、彼女は森の奥深くに住み始めた。最初は楽しかった。誰にも邪魔されずに魔法薬を作り、箒で空を飛び、森を散策した。それは、まさに彼女が求めていた自由そのものだった。
 だが、いつからかそんな生活が色褪せてきた。魔法薬が上手く作れても誰も見てくれない。空を飛ぶ時もいつも一人。動物達と仲良くなろうとしたが、彼女の魔力を感じてか皆逃げてしまう。彼女は完全に孤独だった。
 ある日、森の中で一人の青年が倒れているのを見つけた。青い顔、冷たい手足。彼が衰弱しきっているということは一目で分かった。正体不明の人間と関わるのは危険だというのは言うまでもない。それでも彼女は彼を小屋に運び、自作の魔法薬を飲ませた。上手く調合出来ていたようで彼はすぐに回復し、数日後には自分で歩けるまでになった。
 「長い間ありがとうございました。この恩はずっと忘れません。」
ある日家に帰ってくると、荷物をまとめた青年が丁寧に頭を下げた。
「この後はどうするつもりなの?ここでて行っても行くところなんてないでしょ?」
治療の為に見つけたのだが、彼の腕には反逆者を表す独特な刺青が入っていた。こんな森の奥深くに居たのは、追い出されたか逃げて来たかのどちらかだということは簡単に予想できる。
「貴方、さっき『この恩は忘れない』って言ったわよね。なら恩返しとして私の話し相手になってくれない?」
断られるかも知れないと思っていたが、彼は案外あっさりと承諾した。こうして二人での生活が始まった。
 二人での生活は素晴らしかった。暗い魔法大陸にいた頃の影響でこれまで夜にしか外に出なかったが、彼に手を引かれて昼の美しさを知った。毎朝早起きし、当たり障りのないことを話して笑い合いながら果物を集めた。彼が作ってくれた人間の料理を一緒に食べた。時には彼の部屋に魔法をかけていたずらし、揶揄う事もあった。そんな生活はあまりにも楽しくて、あっという間に時は過ぎていった。そう、本当にあっという間だった。
 魔女は致命傷を受けない限り死なない。だが、人間である青年は毎年確実に歳をとり、衰えていった。やがて走れなくなり、歩けなくなり、起き上がれなくなった。最も恐れていた、しかし避けられないことは寒い冬の朝に起こった。ある日いつもの様に青年の部屋に行くと、彼は冷たくなっていたのだ。魔女は彼を抱きかかえて泣いた。
「貴方といられて幸せでした。」
いつ死ぬとも分からない彼がよく言っていた言葉を思い出す。彼の小さな墓が出来上がっても彼女の悲しみは癒えなかった。何日間も食事は喉を通らず、彼女はかなり衰えたが魔女なので死ぬことはなかった。
 何十年かぶりに訪れた一人だけの生活は、孤独という言葉だけでは表せないほど寂しかった。耐えられなくなった彼女は遂に人間の街へと降りて行った。また彼の様に一緒に暮らせる人を探す為に。

 
 「少し話し過ぎたわね。」
話し終えた彼女はふふっと笑った。
「でも、久しぶりに人と話せて嬉しかった。ありがとう。」
牢番は物思いに耽っていた。彼女は噂に聞く様な恐ろしい魔女には思えなかった。彼女は本当に寂しかっただけだ。死刑に値するとは思えない。

 「おい、起きろ。魔女は何処に消えたんだ?」
目が覚めると見知らぬ男がこちらを見下ろしていた。魔女とは誰のことだろうか。
「すみません、どなたですか?」
男は目を見開き、信じられない、とでも言いたそうな表情をした。
「お前、自分の兄を忘れたのか?」
何も思い出せない。自分が誰かも、ここが何処なのかも。
 結局、その牢番は魔女の魔法による記憶喪失だと見なされ、仕事中に寝て囚人を逃したことは罪には問われなかった。数日後にはほとんど全ての記憶が戻ったが、魔女のことだけは思い出せなかった。街の人々は邪悪な魔女が逃げたと大騒ぎしていたが、牢番は何故だかホッとした。彼女のことは思い出せないが、彼女が幸せに暮らせていることを願わずにはいられなかった。

11/11/2025, 9:24:05 AM