メンタリストダイ子

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もしも世界が終わるなら、その前に、私はインターネットの世界で頂点に立ちたい。

偶々見知っていたというだけのことを、さも聡明であるかのように語って蔑みたい。
流行り言葉のみを用いて他者を否定し、典型的な悪罵に身を委ね、機械的な自己陶酔に浸りたい。
冷めた目つきで物事を見つめ、愛想をつかし離れていった人々との距離を俯瞰と名付けて見下ろしたい。
綺麗な花には棘があると嘯いて、それすらも無い醜い体を、まるで雲海に咲く至極の一輪であるかのように語りたい。

インターネットの世界でならば、私は簡単に頂点に立てるだろう。話は簡単だ。
他者の自爆を眺めていれば良い。早いうちに──何をせずとも──上下関係は入れ替わるだろうから、その権利の移転を、根拠もなしに、己が功績として吹聴すれば良いのだ。
周りが無能であるのなら、必然的に自己は優秀になる。少なくともインターネットの世界ではそうだ。幻想こそがインターネットの醍醐味なのだ。でなければ、そこでの現象には説明がつかないではないか。
半歩ほどの成長も出来ていないような人間が、どうして他者の失墜によって空になった天界の椅子の後継者が、何一つとして成し遂げていない己に回ってくると信じるだろうか。要するに、快楽としてそれを享受していない限り、あれほどの傲慢不遜はとても恥ずかしくて行えないのだ。
真心でも、虚栄心でも、それには到底叶わない。あくどい快楽こそが、彼らの原動力であるのだ。

それ故、期待などしないことだ。正論? それを言ってどうなる。そこはSNSだ。この場すらも、インターネットだ。

9/18/2025, 1:39:03 PM