これは、とある日の夜の話である。
その日はあまり元気がなかったことを覚えている。
その様子を見ていたお父さんが「少し出かけるぞ」と言って、半ば強引に車へ連れて行った。言われるがままに助手席に座り、シートベルトを締める。
「どこ行くの?」と聞いても、「いいから乗っていなさい」と言うばかり。
だからといって、元気のない理由を聞いてくるわけでもない。車内にはただ静寂だけが流れていた。
しばらくして窓の外を見ると、いつもはあまり通らない国道に向かっていることに気づいた。この道は東西に隣の県まで続く長い一本道だ。夜の国道は帰宅ラッシュと重なり、少し混んでいた。
それでも車内の静けさは変わらなかった。
やがてウインカーが点滅し、車は細い道へ入っていった。知らない道だ。どんどん森の中へ進んでいく。さっきまでの渋滞の明るさとは打って変わって、辺りは真っ暗だった。
それでも車は止まらない。
坂道に差し掛かった頃、僕は急に不安になった。
お父さんが何を考えているのかわからない。
隣を見ても、運転に集中していて何も言わない。
うねうねした道を上り、本格的に山に入っていくのがわかった。
こんな場所に来て、何をしたいんだろう。
もしかして、知らないうちに何か悪いことでもしたのだろうか。
これはその報復なのでは——なんて、考えたくもないことが頭をよぎった。
そんなことを考えているうちに、急に車は開けた駐車場へ出た。電灯があり、周囲が少し明るい。車を止めると、「降りるぞ」とだけ言われた。
不安を抱えつつもドアを閉め、お父さんの後をついていく。駐車場は並木に囲まれ、他にも1〜2台だけ車が止まっていた。
その奥に、歩行者用の細い道が続いている。
並木の隙間から道へ出た瞬間、思わず息を呑んだ。
足が勝手に前へ出る。
——街だ。
果てしなく光る夜景、立ち並ぶビル、ピカピカと輝くテレビ塔。
そして、光を帯びて走り去る新幹線。
そこには、隣街の夜景が広がっていた。
こんな場所に、こんな景色があったなんて。
言葉も出ないまま、ただ夢中で眺めていた。
周りにも同じように夜景を見に来た人たちがいる。だからさっき、車が止まっていたのだとわかった。
どれくらい時間が経っただろう。
しばらくしてお父さんが隣に戻ってきて、ミルクティーの缶を2つ持って僕に手渡してきた。
「どうだ、この景色。」
「すごいね、これ。」
「お父さん、昔な。ちょっと辛いことがあったときによくここに来てたんだ。」
「……だから連れてきてくれたの?」
「何があったのか、詳しいことまではわからん。でもな、生きてりゃ色んなことがある。たまにはこうして、リフレッシュもしておかんとな。」
そう言って近くのベンチに腰をかけ、
カチッ、とミルクティーの蓋を開けた。
その音を聞いた瞬間、僕はようやく気づいた。
お父さんは不器用ながらも、ずっと僕を励まそうとしてくれていたのだ。
どこへ行くかくらい事前に言ってくれてもよかったのにと思ったが、きっとこれがお父さんなりの優しさなのだろう。
お父さんはいつもそうだ。肝心なことは聞かない。でも、心配はしてくれる。
胸の奥がふわっと温かくなった。
これからも、きっと下を向いてしまうことがある。
気づかないうちに限界を迎えてしまう日もあるかもしれない。
でもそんな時は——またここへ来よう。
この街の光にもう一度会いに来よう。
月明かりは、どこまでもきらめく街並みを静かに照らしていた。
「きらめく街並み」
12/5/2025, 11:44:57 AM