曖昧よもぎ(あまいよもぎ)

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「諦めは日常の自殺である」と、そう説いたのは誰だっただろうか。
本で読んだ気もするし、誰かに教わった気もするし、自分の小説の中の一節だった気もする。とにかくふと思い浮かんだのだ。天啓のように。

まるで人生がどうでもよかった。が、夏は嫌いだった。
茹だるような暑さが嫌いで堪らなかった。直射日光が痛くて肌を隠しても汗ばむと気持ち悪くて、それでも外に放り出されるのが嫌だった。鬼畜だと思った。
しかしおかしな話である。好きも嫌いも酸いも甘いもなんでもいいと口にはしたものの、結局のところ夏は嫌いで後ろの席の男も嫌いで父親から香る煙草の匂いも嫌いで満員電車も嫌いだった。
なんなら冬も嫌いで前の席の女も嫌いで母親から香る柔軟剤の匂いも嫌いですかすかの電車すら嫌いだった。
じゃあ一体お前は何が好きなのだと問われても困る。
そもそも“好き”とは何なのだろう。“嫌い”ばかり浮かんできて、“好き”がわからずいた。

そしてまた諦めた。“日常の自殺である”。
だってわからないんだもん。
考えても考えても答えが出ないんだもん。
答えを教えてくれる人だって居ないんだよ。みんな“自分で考えろ”って言って責任逃れして、ろくな人間なんてこの世にひとりも居ないんだよ。
いろんな本を読んでみた。文字は嫌いだったから挫折することのほうが多くてYouTubeでそういう動画も見た。心理学とか精神医学とか難しいことはわからないけれど、それでも頭に入れようと必死になったけれど、無駄だったのかな。頭悪いもんね。

指先が凍えている。寒いのは嫌いだった。
しかし、頭が悪いながらに気がつく。
“嫌い”とは自己防衛であると、現に、寒いのが嫌いじゃなくて、指が凍えるのが不快じゃなければ帰れないから。
今日も眠って、朝を待って、冬が過ぎても息をしている

12/10/2025, 7:48:23 AM