藤月

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【おもてなし】

 ぽつ、ぽつと窓を濡らす音がする。
 ゆらりと頭を上げた女が疲れた顔で窓に目を向けると、この一瞬で雨は大粒になっていた。
 ここのところ日が沈むのが早くなったせいもあり、外は既に真っ暗だった。
 一縷の望みをかけて鞄の中を覗くが、今朝の天気予報を信じ切っていたので当然手元に傘はない。
 女は己の楽観的なところを呪った。
 仕方なく、お気に入りの上着で雨を遮り、駆け足で地下鉄を目指すことにした。

 都会の地下は便利だ。
 大概のものは揃うし、地下道を駆使すれば雨に濡れずに移動が可能になる。
 女は構内のショップで適当な傘を買い、このあとのことを思案した。
 このまま電車に乗って帰宅するもよし、雨宿りがてらしばらくショップで買い物するもよし、と悩ましく思っていたところ、はたと気がついた。
 そういえば、今日一日ご飯を食べていない。
 朝は寝坊したため大慌てで家を飛び出しそのまま仕事に取り掛かった。昼は取引先との打ち合わせやら会議やらを詰め込まれたせいで食べ損ねていたのだ。
 アドレナリンが出ていたのだろうか。今のいままで気が付かなかった女は意識した途端、ものすごい空腹に襲われた。
 そうと決まればと、前から気になっていた店へと向かうことにした。
 
 電車に揺られて数十分、お店の最寄りに降り立つ。
 雨はほんの少しだけ弱まっていた。
 忙しさもあり、なかなか入る機会に恵まれなかったこのお店、外観は悪く言えば古臭いが、レトロさが好きな層には刺さりそうだ。
 かくいう女もその一人。メロンソーダや固めのプリンが大好きな手合いである。
 今日は雨だからか、メニューボードも表に出ていない。
 店内の照明は付いているから開いているだろうとお店の扉を開けると

 「こんばんは。お一人ですか?」

 アルバイトの子だろうか、学生くらいに見える青年から声をかけられた。
 女は頷くと、案内されるがままに席に座った。
 メニュー表に一通り目を通し終えるとタイミングよく注文を訊かれた。朝から何も食べてなかった上、冷たいものの気分でもなかった女はとりあえず、ホットコーヒーとサンドイッチのセットを頼むことにした。

 「おまたせしました。」

 注文してから五分ほどで先ほどのセットが出てきた。
 その見た目に、らしくもなく女は目をきらめかせた。
 コーヒーは細工が施された青いコーヒーカップに淹れられて湯気と共に芳醇な香りを立てている。
 サンドイッチにはレタスの間に厚めのベーコンとゆでたまごのフィリングが挟まっている。パンには耳がついていてカリカリとした食感がこれまた良いアクセントになっていた。
 アンティークかつシンプル。趣味ど真ん中だった。女は頬を綻ばせながら、日頃の疲れを癒すように幸せを堪能した。
 全て食べ終えたあと、ふと目線を上げると青年と目が合う。もしかしてずっと見られていたのだろうか。さすがに気まずくなった女はさっさと帰ろうと立ち上がったところ、

 「待ってください。僕の淹れたコーヒー、美味しかったですか?」

 引き止められてしまった。
 というか、僕の淹れたコーヒーって…?と周りを見ると他の店員が見当たらない。
 先入観で青年のことをアルバイトだと思ってしまったが、彼がマスターか。
 女が美味しいコーヒーだったと伝えると青年は嬉しそうに笑った。

 「ありがとうございます。このお店、実はまだ開店し たばかりなんです。」
 「僕まだ新米だからコーヒーに自信がないんです。あとお店の見た目が古いからか、あんまりお客さん来なくて。」
 「お姉さんがあまりに美味しそうに食べてくれるからつい感想を聞きたくなってしまったんです。」

 よっぽど嬉しかったのだろうか。青年は次々と言葉を紡いでいく。
 女はこういう控えめで庇護欲を刺激されるタイプに弱かった。だからその場で言ってしまったのだ。必ずまた来ますと。
 もちろん勢いに流されただけではない。
 コーヒーもサンドイッチも本心から美味しいと思ったし、なによりお店の雰囲気も気に入っていた。
 
 お会計を終えると青年は、女が入り口に置いた傘を手に取り、扉を開けてくれた。
 
 「またのご来店、楽しみにしております。」

 去り際、にこやかに笑った青年にそう告げられた。

 女は、雨の日も案外悪くないのかもと一人微笑み、お気に入りの店を後にした。

10/29/2025, 9:49:00 AM