もうヴィルが消えてから一週間が経った。
王国軍はもう国境を越えた。もはや国と国の戦いでは済まなくなったのだ。置いてきぼりを食らったカノン達は、小さな村で停泊している。
ギールス達は自分を見限り、ティーエは居なくなったヴィルの後を仲間の妖精達と追っている。それこそ町中に、森中に可能な限りの結界を作っていくが、彼の痕跡は見つからない。
カノンは邪念を振り払うように、小雨の中で素振りを続ける。動いていないと頭がおかしくなりそうだ。何もできない自分が嫌だ。誰を信じたらいいのか分からなくて気持ちが悪くなる。
「カノン…」
服はぐっしょりと濡れ、短刀は振るう度に水滴が飛ぶ。わずかな魔法の軌道だけが光っていた。濡れそぼったカノンは、もともとが小柄なのもありさぞかし悲壮感に溢れていたのだろう。一人残ってくれたミレーヌが軒下で見守っている。
「もう休んでよ。いつ、要請があるか分からないんだし…」
「要請なんてきっとないよ」
いつもよりずっと冷たいカノンの声に、ミレーヌが大きな瞳を見張る。仕方なく…というか彼女の出現がいいきっかけだったのだろう。カノンは訓練を終えることにした。
息は上がっているのに身体は冷えて、胃の中さえも奥底が泥のよう。
「おやすみ」
「待ってよ!風邪引いちゃう」
彼女を押し退けて自分の部屋に入ろうとするのに、布を持った細腕が止めてくる。
「どうしてぼくの側にいるのミレーヌ。君もこんな所にいないでもっと安全な所に帰りなよ…」
こんな人間のような人間でない自分の側に彼女がいるのが不思議だった。鬱陶しいとまで思えるほど。
「帰る場所なんか、どこにもないよ…」
ミレーヌが泣いていた。その途端カノンは彼女をものすごく傷つけてしまったのを知った、赤い瞳がすっと茶色に戻る。
「バカね。私達同郷なのよ、帰る場所なんか、どこにもない」
「ご、ごめ…」
そこまで言って、カノンも震えだす。
「こんな半端物に…なんで。ちくしょう」
いつの間にミレーヌはこんなに小さくなっちゃったんだろう。僕たちはいつからこんなに無力に苛まれるようになったんだろう。
(私達にできることをしましょう。どんなに微弱でも)
何度裏切られても敬虔なミレーヌは前を向いていた。
数週間前の彼女の言葉が甦る。ああ、思えばずっと彼女に支えられてきたんだ。
雨は強くなってきた。暖炉の薪が燃えている。もう深夜。
ホットワインを彼女が持ってきてくれた。スパイスが鼻を抜けて甘い香りが残りお腹に落ちて温まる。
同じベッドに座り、子供の頃のように世話を焼いて貰う。
「私が、居る」
暖かい小さな手が甘やかすように撫でてくる。
2/21/2026, 5:31:07 AM