光が差し込む通路。
光が差し込む開放的な廊下。
回廊など調べないと分からなかった。
でも、人間という生物に焦点を当てて考えるが、人間という生物は無自覚にしろ、毎日新たなものを手に入れている。
それに気がつくのが手に入れた時じゃなくてもいい。
しかし、その情報は良いものばかりではない。
偏見に染まったもの、危険なもの、自分に悪影響を及ぼすものなど。
その辺に転がった石ころに例えると、その石ころ一つ一つに善悪があり、その善悪の石を無自覚か意識がある状態で選ぶのが自分だということ。
人間という生物は死屍累々の上で発展してきたが、きっとそれは今も続いている。
光という明るさが眩しくても開放的だと感じる。
それを感じることを当たり前だと思ってはいけない。
大袈裟にいえば、当たり前は存在しない。
だからといって、特別視は難しい問題にあたる。
今生きている事がいかに尊く、儚いものなのか。
この瞬間も命が消え、命が生まれる。
考えれば考えるだけ、思考の渦にのまれ、この世界の生死の交差を強く感じる。
私は今日も、人間という生物を問い、止まることのない生死の交差を感じ、考える。
__光の回廊
__綴 白
12/23/2025, 3:32:30 AM