雨夢 歌桜 AMANE KAO

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「Love you」

夜中2時。とあるコンビニの駐車場に一台の軽自動車が止まっていた。エンジンは切れているのに、ヘッドライトだけが点灯したまま。
まるで「まだ帰りたくない」と主張しているみたいだった。

運転席に座っているのは、20歳の真衣香(まいか)。
膝の上にはスマホ。画面には、2時間ほど前に送ったまま既読がつかないメッセージがひとつ。

「Love you」

たったそれだけ。絵文字も句読点もつけなかった、裸の言葉。
真衣香はもう何度目か分からないのに、また画面を下にスワイプして、上にスワイプしてを繰り返す。既読はつかない。24時を過ぎてから、一度も動いていない。
隣の席には、さっき買ったストローが刺さったままのアイスコーヒーが転がっている。氷が溶けて、コップの底に薄い茶色の水溜まりができていた。

「…もういいよね」

自分に言い聞かせるように呟いたその声は、思ったよりも震えていた。
真衣香はスマホを助手席に放り投げた。投げた瞬間、後悔した。
画面が点灯して、通知が光った気がしたから。
慌てて拾い上げる。でも何も来ていない。ただロック画面の時計が、2時30分を示しているだけ。ため息をついてシートを倒す。
「Love you」って、いつからそんなに重い言葉になったんだろう。
昔は友達同士でも軽く言ってたのに。RAINの最後に「♡love u」なんて送ってた。けどそれが今は、まるで拳銃の引き金みたいに怖い。

真衣香は目を閉じた。まぶたの裏に、去年の夏の記憶が再生される。

海沿いの道をふたりで運転していた夜、信号待ちで彼が急に「真衣香ってさ、俺のこと好き?」って聞いてきた。
真衣香は照れ隠しで「は?なに急に」って笑った。
すると彼は少し寂しそうに、けど優しく、「俺は好きだよ。love you」と言った。その時の「love you」は、風船みたいに軽く、夏の夜の匂いがした。今はもう、その風船は萎み、タイヤに踏まれ、黒ずんだゴミみたいになっている。
スマホが震えた。真衣香の心臓が一瞬止まる。
恐る恐る画面を見ると、通知は「電池残量15%」だった。
「…はは」
乾いた笑い声が漏れた。
真衣香はそのまま、スマホの電源ボタンを長押しした。
「電源を切りますか?」の表示が出る。
指が止まる。3秒……5秒……。結局、キャンセルした。
代わりにRAINを開いて、さっきの「Love you」の下に、追記した。
「…嘘でも…良かったのに」
未だ既読はつかない。

真衣香はシートを起こし、エンジンをかける。ヒーターの温風が、冷えきった指先に触れた。アクセルをそっと踏む。
車が動き出す瞬間、真衣香は小さく呟いた。
「Love you」
今度は誰にも聞こえない声で。自分自身に向けて。そしてもう戻らない誰かに向けて。
駐車場を出て、国道の街灯の下をゆっくり走りながら、真衣香は思った。

いつかまた、「Love you」を軽く言える日は来るのだろうか。

いいや、来なくてもいいのかもしれない。

だけど今はまだ、この言葉は捨てることができない。

(完) 雨夢 歌桜

2/23/2026, 11:10:01 AM