月凪あゆむ

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雪の静寂

 一年も終わるというのに、クラスに馴染まないままでずっと独りの、生徒がいる。
 今日も、彼女はポツンと、独り教室で本を読んでいた。
 担任の自分は最初、彼女はいじめられているのかと疑った。だが違う。
「どうしたもんかなぁ……」
「ん? またあの生徒のこと?」
 職員室で頭を抱えていたら、隣の教師仲間に苦笑いされる。
「だってさ、あれだけこっちが気を使って、根回ししても、またすぐ一人になる。でもいじめではない。なんだそりゃ」
 そう。彼女は決していじめられていない。なので、それとなくほかの女生徒と合わせても、交流は長続きしない。
「まあ、独りが好きな子も、なかにはいるって」
「それにしても、だ。もうすぐ冬休みになるのに、あの生徒が誰かと歩いてる姿すら、まともにみたことない。ありえないってマジで。寂しいとかないのかよ」
 そう、思ったままを呟くと。
「あー、それ。先生のその考えが、そもそも違うんじゃない?」
 パソコン作業する手を止めて、相手はこちらを見てきた。
「違うって?」
「人には、誰かと常に仲良くしてたい子もいれば、そうじゃない子もいる。誰も彼もが、あなたと同じような考えじゃないから。これ、忘れないでね」
 そう言うと、彼はパソコンを閉じ、席を外した。
 残された言葉に、更に頭を抱える。独りでいるのが、そんなに好きなもんか、と心のなかで抗議する。


 自分はずっと、誰かと共にいるのは当たり前だと思っている。そうして今まで生きてきた。
 『独りが好き』なんて、痩せ我慢だと。
 それゆえ、いじめられたこともある。だからこそ、独りぼっちのあの生徒の気持ちが解らない。望まれているのに、なぜ輪に入らない?

 

 担任として、放っておくわけにはいかない。
 そう思い今、事務室にあの生徒を呼んだ。
 ああ、そうだ。笑顔は忘れてはいけない。
「なぜ、君は友達をつくらないのかい? いじめられているのか? もしそうだったら先生に……」
「あ、いえ。私は友達がいないわけでも、クラスでいじめられているわけでもないです」
 友達がいる? まさか。自分は彼女の笑う顔すら、まともに見たことがない。
 そんな、ひくついた顔をどうにか誤魔化して、問う。
「クラスメイトは、友達ではないのかい? 君はいつも、とても静かにしているけれど」
「……クラスメイトは、『クラスメイト』ですよね。私は学校以外の場所で、のびのびさせてもらってるので、大丈夫です」

 ――なんだと?

「それって、どんなところ? 危ないところには行ってないよね?」
 顔は笑みを浮かべさせているが、内心は活火山で、更に問う。
「何も危なくないです。……あの。そこまで言わなくちゃ駄目ですか?」
 
 ――当たり前だ。

「いやあ、先生は心配してるだけだよ。君がなにか抱えこんでいるんじゃないのかなって」
 まだ、眉間にシワはよせていない。だというのに。

「……あの。私には、私の世界があります。なんでもかんでも報告しなくてはいけないなんて、ないですよね……?」
 
 ……私の世界、だって?

ぎぃっと、奥歯を噛んで耐えようとしたが。顔にはでていたらしい。生徒の目が怯えていた。

 これは、どうするべきなのか。

「――だから、言ったじゃないか先生。誰もがあなたと同じじゃないって」

 ガラッとドアを開け、あの教師仲間が間に入ってきた。

「きみはもう、下校時間だから戻っていいですよ。驚かせて悪かったね」
「え……、はい。えっと、……すみません。失礼します」

 生徒が去ったのを確認してから、彼は改めてこちらに向き直る
「あの子には、あの子の友達がちゃんといる。ならいいじゃありませんか」
「けど、俺は……!」

「この俺が、『してやってるのに』とか思ってるでしょう」

「…………は?」

 一瞬、なんだそれは、と怒りがわく。けれど、心のなかには、『その通りだ』と訴える己がいた。
 言われて初めて気づいた。
「ねえ先生、学校があの子たちの全てでもないし、あの子たちの世界に大人が土足で踏み込んでいいわけでもない。ましてや教師が、上から目線でものを言っていいものでもない。それを、よく考えましょうよ」

 ――そうか。
 俺は、『俺が』になっていた。あの生徒を助けるふりして、自分のクラスが『善いクラス』だと証明したかった。
 もっというなら、きっと。
「自分、なんにも解ってなかったんですね。彼女の世界に入って、そこからこっちに引き出そうとしてた」
 眉間のシワは、自分のためのものでしかなかったのだ。ため息すら、この場ではおこがましく感じる。

「……彼女。静かだけど、怯えていたよね。ちゃんと、まっすぐ向き合ってくださいよ、生徒に」
「……はい。すみません……」
 さすがに、もっとも過ぎてぐうの音もでない。
 教師仲間がふと、窓の外を見て、笑った。
「あの生徒は、雪が友達なのかもしれないね」
「……? なにを言って――」
 同じく外を見て、その眩しさに驚く。

 はらはらと降る雪のなか、女生徒はうさぎ小屋の前で、誰に見せるでもなく雪だるまを作っていた。その隣には、一匹の犬と、もう一匹の猫。
 
 ――なんて、楽しそうに笑うんだろう。

 雪の静寂のなかに、彼女の『世界』を垣間見た気がした。それは、誰にも侵食されない。静かで、けれど確かに存在する世界。

12/17/2025, 1:16:00 PM