雪原の先へ
【雪原】 せつげん
1.
高山地方・極地方で、積もった雪がいつもとけずに残っている地域。
2.
見渡す限り雪が積もっている野原。
12月も終わる頃。
外は、指先の感覚すらなくなるような厳しい寒さだ。
私の心は、大雪のように荒れていた。
外とは真逆の、暖房の効いた教室での授業で、こんな言葉を辞書で引いた。
そして、ふと思う。
【まるで、命の終わるちょっと前みたい】
不思議なたとえだとはわかる。けれど、私はその人の顔を見ていたから、間違っているようには思えない。
あの、弱々しい笑顔。
雪が降りだした。授業内容なんて頭に入ってこなかった。
母は、不治の病であることを診断された。今のような、雪の降った日だった。
そうしてそのまま、笑顔のまま、天へと旅立ってしまった。やっと春になった頃なのに。
とても、笑顔の似合うひとだった。けど、あの時の笑い方は嫌いだ。無理した笑い方。思い出すだけで、心が軋んでくる。
それから、私はあまり上手く笑えなくなった気がする。
母子家庭だった。今は独りだから、家で笑う必要もない。
――私、いま独りだ。
それって、何のために生きているの?
雪を、踏みしめた。
気づけば私は、母のお墓の前に来ていた。会えるわけもないのに。花すら、持ってないのに。
立ち尽くしていたら、声がした。
「おばあちゃん、今日は雪だよ! ぼくの大好きな、雪なんだよ!」
言葉だけ聞くと、明るい話。
でも、その声は泣いているようだった。
その時の私は、何を望んでいたのだろうか。なぜ、涙の声に、声をかけたのか。
「大丈夫……?」
男の子は、とてもびっくりした顔で――やっぱり泣いてる顔で、見上げた。けど、見ず知らずの人に泣き顔は見られたくないだろう。どうにか笑う。
「だ、大丈夫です!!」
――あぁ、同じ笑い方だ。
思い出して、苦しくなった私の顔がくしゃりと歪んだ。
「私、その笑い方よく知ってるよ。無理して笑ってるでしょ」
「え……」
「私の大切なひと、その顔で、雪の日にいなくなったの」
たぶん、小さな子に伝わる言い方ではない。でも、放って去れなかった。母と同じ笑い方をする、この子を。
「たぶん、きみのおばあちゃんね、雪原の先で、のんびり待っているんだよ」
「せつ、げん……?」
首をかしげ、頑張って考えてくれる。
「そう。のんびり待ってるから、私たちは雪が溶けるのを、ゆっくり待ってたらいいんだと思う。きっといつかは、同じところに逝くから」
男の子にとったら、どこかの見知らぬお姉さんが、いきなりなぞなぞを出してきたような。そんな感覚だと思う。
ふと。
不思議そうな男の子の鼻に、白いものが落ちた。
「ああ、雪の粒が大きくなってきたね」
ふたりで空を見上げて、なんとなく笑えた。男の子がジャンプして喜ぶ。その息は白い。
「ありがとう。ねえ、お姉さんも同じなの? ぼくと一緒?」
「うん、一緒」
男の子は、じぃっと私の眼を見つめてから、こう言った。
「……じゃあ、一緒に『大丈夫』になろうよ! そうしたら、楽しい『一緒』になるよね」
目の前の男の子は、わからないなりに、私に笑ってくれた。もう、本当に「大丈夫」そうな笑い方だった。強いなあと、私も笑った。
そういえば、子どもは「お揃い」が好きだっけ。なんて考えていたら。
「ね、お姉さん! 一緒に雪遊びをしたい! いい?」
「……いいよ。こんな変なお姉さんで良かったら、遊ぼっか」
「? お姉さん、なにか変なの?」
首をかしげて上目遣いという、最強の申し込みを、受けることにした。
さすがに墓地では出来ないよねと、公園までかけっこだ。息がもっと白く広がり、ちょっと荒い。
久しぶりに走るのは、なんだか子どもに返るようで楽しくなる。
ふと、思う。
冬のあとには、春がくるように。
命が尽きたら、同じ「天」へと逝くのだから。
きっと、春が母を迎えにきてしまったんだ。母は、春が好きなひとだったから。
――あぁ。
私、今ちゃんと笑えてる。大丈夫かもしれない。
12/9/2025, 7:21:30 AM