「……本当に、キミって」
すぅ、と健やかな寝息をたてる雛菊ちゃんを見下ろしながら、ボクは心中で盛大な溜め息を吐き出す。いつものように彼女がボクの部屋に来て、レコードでもかけながら他愛も無い話をして、少しだけ本でも読もうと会話を切り上げて。やがてチラリと目をやった時計の針が、もう直ぐ真上を指しそうな事に気が付いて、そろそろ寝もうか、なんて言葉を掛けようとした瞬間に。
「いつの間にか眠ってるとか……子供みたい」
そんなボクの突っ込みへと相槌を打つように、彼女の手から滑り落ちた文庫本がカタリと音を立てて床に転がる。喜劇の一幕じゃないんだから、なんて下らない事を言いそうになるけれど、余りにも馬鹿らしいから止めておいた。
「まぁ、仕方ないか。ボクも本に熱中していたし」
だからって、寝落ちなんて真似はしないけどね、と呟いた声には呆れしか含ませていない筈なのに。
「ふ、ふふ」
「……何がおかしいのかな、姫君」
まるで揶揄うみたいに笑い声を溢した彼女に、少しだけ顔を顰めそうになる。それがただの寝言だと分かっていても、何だか自分の心を見透かされたみたいで酷く不愉快だと思った。
「キミ、分かっているのかな」
拾い上げた本へ、丁寧に栞を挟みながら彼女の方を見つめる。再び寝息をたてて、夢の中を漂っているだろうその顔が、何だかボクを無性に苛々とさせた。どうせ聞こえていないし、これくらいで起きる事も無いんだろうけど、と前置きをしながら、雛菊ちゃんの頬をツンと突く。
「……本当は、眠る前にもう一度話がしたかったんだよ」
別に何が言いたかった訳じゃ無い。明日は寝坊しないでとか、朝食は何だろうねとか、それから、単純に──おやすみなさい、とか。そんな言葉を交わしたかっただけ。深い意味なんて無い、だけど、キミ以外とは交わしたいとも思わない、そんな会話をしたかっただけ。
「なのに、姫君、気が付いたら寝てるし」
沢山寝て沢山仕事をして、健康そのもの、みたいな生活を否定するのもおかしいけど、少しくらいはボクに合わせる、なんて事も考えても良いのに。というか、婚約者なんだからそこら辺は察して欲しいのに。変な所で聡い癖に、変な所で鈍感だよね、とか。色んな考えを巡らせてみた所で、結局の所、多分ボクは。
(──キミと一緒に、眠りにつきたいのに)
そんな子供の駄々みたいな願望を口に出しそうになって、やっぱり止める事にした。今更そんな話をしたって意味も無いし、そんなのボクらしくも無い。だったらいっそ、明日の朝に彼女と一緒に起きた方が余程楽しい。
「まぁ、キミは文句を言いそうだけど」
ほんの数日前にも、まだ寝たかったのに、と言われた事を思い出して、フ、と唇から笑い声が漏れた。そいして、まるでそうだと言わんばかりに眉を顰めた姫君の額を優しく伸ばしてあげながら、ボクはその身体を抱き上げた。
「……おやすみ、雛菊ちゃん」
ボクは優しい婚約者だから、ベッドまで運んであげるし、暖かい布団もかけてあげる。だから──一晩中、隣に居てね、姫君。
二人で並んだ寝床は、少しだけ狭い気がした。あやすように彼女の背中を撫でながら、ボクは静かに瞼を閉じた。
2/18/2026, 10:42:44 AM