蓼 つづみ

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その水槽の中の深い青は、ただの青ではない。
身体は小さく、群青を基調にしながら、角度によって藍へ沈み、
光が差すと一瞬だけ瑠璃が浮かぶ。
水面の揺らぎと共鳴して、体表は濃い藍染の染料をくぐらせた布のように艶めいていている。
鱗は、近づいて、目を凝らして、ようやく輪郭が見える。

そこにあるのは色というより、層だ。
青の堆積。

尾鰭は絹ではない。もっと脆く、もっと精緻だ。
金魚すくいのポイの紙のように、
一点に圧がかかれば、音もなく裂けてしまいそうな緊張を孕んでいる。

それでも彼は、水に抗わない。
ゆるやかに、ひれの縁から遅れて揺れ、
水圧を撫でる。
動いているのは身体か、水か、判然としない。

インクを一滴落としたときのように、
青が空間へと滲む錯覚が起きる。

彼は泳ぐのではなく、
水に溶けながら位置を変える。

ガラス越しに見ていると、
透明な空間の密度が変わる。
水そのものが、彼の輪郭に染まっていく。

観賞用に改良されたトラディショナルベタは、
自然界そのままの姿ではない。

20×40センチほどのベアタンク。
底は空白。
水温、pH。
吐出口の流れをスポンジに触れさせることで、
水の流れは、ほとんど静止。

静かに循環している水は生きている。
目に見えないバクテリアの営みが、透明の奥で呼吸を続ける。

ガラスの向こう側の“世界ごと”維持しているのは私だ。
私の手が過れば、
一晩で均衡は崩れる。

pHのわずかな傾き、
水温の数度、
見えない毒素の蓄積。
彼の宇宙は、私の掌の延長にある。

野生に戻せば幸せ、という物語はここでは成立しない。
彼は、人の選択の中で生まれた青だ。
だからこそ、その環境全体を背負う。

水を換えるということは、
世界を刷新すること。
濾過を止めるということは、
時間を止めること。

彼の命を預かった日々は、
「命とは何か」という問いを
ガラス越しに突きつけられる時間だった。

題 小さな命

2/24/2026, 12:09:17 PM