楠征樹

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《待ってて》#11 2026/02/14

「どうしても、行っちゃうの?」
「うん…ごめんね、瞬くん」
 僕を安心させたいのか、鏡子さんは穏やかに応えた。
「そんなの、他の人たちに任せておけば良いじゃん!」
 もうじき、中学生になるというのに、小さい子のように駄々をこねてみせる。嫌だ!行っちゃやだ!
「ううん…これは私じゃなきゃ、駄目なの」
 ほんの少しだけ、悲しげな表情をした鏡子さんから、強い決意を秘めているのが伝わってきて、僕は項垂れるしかなかった。
 どこかの悪い大人達が行なった実験の結果、世の中に魔物達が解き放たれてから、一年。警察や軍隊では刃が立たなかった魔物達を倒してきたのは、どこからともなく現れた"魔法少女"たちだった。
 そして、その魔法少女の一人が、鏡子さんだったんだ。鏡子さんの話によると、魔法少女としての力を使えるのは18歳までで、17歳の鏡子さんが戦えるのは、あと少しの間だけ。
「でもね、もうこれで最後だから」
 この、最後の戦いに勝てば魔物を封印出来て、世界に平和が戻るらしい。
「本当に?」
「ええ」
 僕の家の向かいに住むこの鏡子さんは、小さい頃から仲良くしてくれた憧れのお姉さんで、僕の…
「絶対、帰ってきて」
「うん」
「怪我とかしちゃダメだよ」
「気をつけるね」
「それで…僕と、結婚して!」
「解ったわ」
「え?」
「あら、本当よ」
 びっくりしている僕を、可笑しそうに笑ったこの笑顔は、いつもの明るい鏡子さんのそれだった。
「まあ、すぐには無理だけど。そうだ、これを持ってて」
 渡されたのは、女子がよく持っている折りたたみ式の鏡。
「私だと思って大切にしてね。持っててくれれば、瞬くんがどこにいても、帰って来れるから」
「本当に」
「本当よ。瞬くんに、嘘ついたことある?」
 僕が首を振ると、鏡子さんが優しく抱きしめてくれた。こんなことされるの、幼稚園以来のことで…突然のことに頭の中が真っ白になって、僕の額に素早く口づけされたのを、身体が離れて少し経ってから気付いたくらいだった。
「じゃあ!元気で待っててね」
 夕方、家の前でバイバイするみたいに、いつも通りの声を残して、次の瞬間には鏡子さんの姿は目の前から掻き消えていた。まるで、最初から、そこに居なかったみたいに。

 あれから、10年ちょっと。
 平和が戻った街で僕は大人になり、市役所の職員になっていた。
 まるで何事も無かったような日々の生活の中で、いつも持ち歩いている鏡だけが、あの時のことは事実だったと僕に語りかけてくる。
 鏡子さん…僕はもう大人になりましたよ。
 そろそろ窓口が終了する時間だ。机の片隅に置いていた鏡をいつものように胸ポケットに入れ、終業の前準備をしようとしたその時。
「あの…婚姻届はどちらで貰えますか?」
 柔らかな、そして、どこか聞き覚えのある声。
「あ、ご結婚ですか。おめでとうございます。婚姻届ならこちらではなくて…」
 席を立ち、相手の方の顔を見た時、一瞬、自分の見ている光景を疑いました。まさか、幻でも見ているのか?
 でも、そこに立っている女性の方が、確かに僕が待ちわびていた人だということを、頬を伝う涙が教えてくれました。

「瞬くん、ただいま」

2/14/2026, 8:45:15 AM