「愛」って、たぶんあなたが大事な方を思っている時のあの感情の動きでいいんだと思います。おそらくきっとたぶん、あれ。
でも動画サイトなんかにときどき出てくるスピリチュアル系、特に日本の新進のスピリチュアルさんは、その原動力が「愛」だとしているのがほとんどで、そういわれるとなんとなく納得しちゃうんだけど、そこからその人の書いたものを見たりしても、その愛はがどんなものなのかがわからない。
むしろ欧米のloveの概念を日本語にするときに「愛」をあてたんだと思うんだけど、あちらではもともと性行為の意味まで含めてるし、スピさんの愛がそこまで含んでいるとは思えないし。
相手を使用したい(それこそ性愛)とか、専有、所有したいという願望は、達成された段階で消滅したり、そのうち飽きて相手を飼い殺しみたいにしたりして、相手を消費して可能性を潰してしまう。これは充足を目的とした「欲望」で、たぶん違う。
まあ、あくまで個人的なはずの多様な感情なのに、さらに欧米の広い概念を輸入してそれを表現したんだから、そりゃ分かりにくい。
だいたい「愛」の字って、甲骨文では使われてなかったらしい。五教の「周易」には「愛悪」という用例があって、文面からは「好ましいー(どうでもいい)ー憎悪」の関係の中での好ましさ。そこから仏教の執着・欲望を「渇愛」と訳したらしい。
日本で使われていたのは「愛し(かなし)」とか「愛し(いとし)」の形容詞で、「かなし」の背景には「愛おしすぎて痛いほど切ない」みたいなエモい性格があったよう。むしろ相手を大切に思う感情には「情」、性愛には「色」が使われていた、とwikipediaが言ってた。
でも直江兼続の兜には「愛」があったじゃん、とも思ったけど、あれは「主君や民や味方や敵にも大切に情けをかけよう」とかいう博愛よりも、主君の謙信の「毘」に呼応した「愛宕権現」もしくは「愛染明王」の愛なんだそうだ。ちなみにあれ、作ったのは謙信で、直江兼実に下賜したらしい。
すると、執着・欲望で消費してしまうのではなく、まずは害さない、意識を常に開いておく、ちらちらと配慮する、さらに愛でつつ育てましょう、ぐらいが基本なんだろうけど、これじゃ親だし、相手も「あなた」に限らず広くいろいろ。
でも、本気の性愛が真実ではないとは言っていないし、お互いに消費しあって、犠牲になりながらも長年ぐだぐだの腐れ縁、みたいなのも「愛」のかなりの本質なんじゃないかとも思うけど、自分にはしんどい。
2/23/2026, 11:21:05 PM