鏡が凍てつくほど冷たいと感じる状況って、何だろう…
そもそも鏡って触らないな、汚れるし。
鏡が冷たいって感じる時… (続かないかも)
→ あった、あった。
道路の曲がり角にカーブミラーっていうのがありますよね。あれは円形の凸面鏡になってて、上縁は屋根みたいに庇になってる。
あそこに降り積もった雪が、昼間のうちに溶けかけて再び夜になると、庇から氷柱が下りるんですよ。
(完・全・勝・利)
あの誰もが知っている有名な『雪国』の冒頭は、越後の湯沢温泉に抜ける清水トンネルとのことです。
川端康成といえば文豪で、日本で最初にノーベル文学賞を受賞してる。この書き出しもそうですが、文章が絶品に綺麗で、川端、太宰、三島、谷崎あたりの文章は、読んでて本当に匂い立つような、というか何かを纏って動いているような気がしません?
なんというか、旬の食材ばかりを選んで、丁寧に下処理をして、受け継がれてきた薄口の配分で朝から炊きました、みたいなものが出てきて、ここで味変にラー油かな、とか言ってる料理とは違うんですよね。
でも、書いてある内容は実は結構アレで、この雪国も3文めあたりから、おっさん何書いとんじゃいと言いたくなる。
綺麗な文章を駆使してかなり婉曲に書いてるけど、書いてあるのは実はアレか...みたいな。
川端康成といえば、『伊豆の踊り子』(1926:伊豆の湯ヶ島あたり)、『雪国』(1948)、『千羽鶴』(1952:鎌倉)、『古都』(1962:京都)あたりですけど、特に温泉ものは本当にアレで、特にこの雪国の冒頭なんて、東南アジアに頻回に行くオヤジが機内で考えてることとたぶんあんまり変わらないですよ。
そいえば伊豆の踊り子は1963年にも西河克己監督で実写化されてるんですが、その撮影現場に川端センセーが登場して、御自分でも主演の吉永小百合を追い回していたらしい、とも聞いたような...
原作者なんて、番組の終わりに自分もその店の料理を、たぶんお店のサービスで食べて、怯えた眼でビールもせびる程度でいいんですよ。
でも、綺麗な文章には、主題や作者の頭の中なんか飛び越えるチカラがあるんでしょうねぇ。
「雪あかり」といえばこの文章が出てきて、あの光景が広がる。
祈りって、捧げるなのかな。
捧げるって、敬意をもって相手に望ましいものを提供することのような気がするんだけど、祈りって当方もしくは当方の関係者に望ましいことを提供してください、ってことですよね。
(調べると、例えば定時の儀礼のような祈りは捧げる、御神酒みたいに捧げるでいいよう。)
→ そういえば随分前に神父さんと立ち話をする機会があって、その時に、祈りって人の望み=欲が全開になる場になっちゃうんじゃないんですかね、と無茶苦茶失礼ながら尋ねたら、いやいや、そういう個人的な祈りとは違う神の祈りがあるんですよ、と言ってました。
祈りの生活とかは、こういうあり方のよう。
ということで、もうすぐ初詣。
床に商品が散乱する某100均の店内が思い浮かんでしまった。
うーん...
そもそも回廊っていうのは、塔とかの建物や中庭を取り囲んでぐるっと回ってる通路のことで、修道院や日本の寺院にもある。(法隆寺とか)
欧米語だとcorridor系の言葉。
だけどこれが地政学になると意味合いが変わって、海や飛び地になってる領地につながって行く細い領地をcorridorというらしい。
だからポーランド回廊というのは、場所としては第一次大戦が終わった時に、バルト海沿岸でドイツと東プロイセン(ドイツ)の間にあった西プロイセンってところで、アメリカがポーランドに割譲して、ポーランドがバルト海にアクセスできるようにした。だからポーランドにとってはバルト海につながる細い「通路」で、これはドイツにとっても、結果的に飛び地になってしまった東プロイセンに抜けるためのcorridorでもあって、もともとはドイツ人がたくさん住んでた。
このどちらの意味合いでも、ポーランド回廊は回ってなんかない。
だからポーランド回廊ってなんだ?ってなるんだけど、そもそも同じ「回廊」で訳しちゃいけなかったんじゃないかと。
このポーランド回廊が第二次大戦のきっかけになったわけで、おかげでポーランドの同盟国だった英仏まで参戦するハメになって、挙句にはソ連まで侵攻してきたりして、ポーランドは散々な目にあう。